「やぁ」
そう答えて振り向いたあの人は穏やかな顔をしていた。
朝起きて朝食を食べてから銀嶺城を探し回っていたら、
「天威様は桟橋にいらっしゃいますよ」
と訊ねていないのに教えてもらえた。何でも朝から釣りをしているそうだ。
肩透かしを食らった感じで、構えていた感じが抜けていった。
桟橋は、俺達がこの締南に落ちてきた場所。色々とイタダケナイ感情が蘇ってくる。
湧き上がってくる邪念を振り切って、ヒューゴは桟橋へと向った。
どうしても訊きたい事があった。
でもそれは、きっと訊くことが出来ないと思っていたのに。
ビッキーのお陰で、その機会にめぐり合う事が出来た。
ゲドさんに訊けばいい事なのかもしれない。でもまだ訊けてなくて…。
俺は、あの人に訊けるのだろうか…
まだ中天に位置していない太陽の光は柔らかく、水面に細かく反射していた。
その光を浴びて、あの人は湖に釣り糸を垂らしていた。
「……、おはよう、ございます……」
ヒューゴの声で振り向いた天威は、空に満ちた太陽と同じように穏やかなものだった。
「ごめんね、わざわざ足運んでもらっちゃって」
と言って竿を持ち上げると、小魚が掛かっていた。澱みない手つきで魚を針から外すと魚
篭の中に入れた。
「いえ…。
俺がお願いしたことですから」
天威は針に新しい餌をつけると再び、竿を振った。
ぽちゃり、と新しい波紋が広がる。
「そういえば…、僕に訊きたい事があるんだっけ…?」
レストランを離れる時、ヒューゴがそう天威に言った事を訊ねる。
「はい…」
振り向く事の無い天威の背中を見つめたままで、ヒューゴは開いた口を噤む。
そして開いて、
「あいつに…ルックに、見せられたんです。夢を…。世界の夢。
灰色の夢を…。
貴方は、灰色の夢を見ましたか…?」
見てどう思いましたか?
自分とクリスより長く紋章を所有する、この先の英雄は今も紋章に見せられているのか
もしれない。
世界の灰色の夢。
なら。なのに。どうして、この人はこんなにも穏やかに笑みを浮かべていられるのだろ
うか…。
「灰色の夢…ね。
自分の住んでいる世界が灰色になってしまう夢、の事だよね」
「はい…」
「僕が答える前にキミの感想を聞いていいかな?」
可笑しな事を聞く。そうヒューゴは思ってしまったが、顔が見えないでいる以上、相手
がどう思っているのか判断できない…。
「俺は……。
その夢をルックに見せられた時が、見たのが初めてで…。
怖かった……。
俺の住んでいるクランが、世界が色がなくなってしまうのが……」
そしてその、沈静と底止した世界を紋章が望んでいると言われて恐ろしくなった。
それが、ヒューゴの隠す事の無い感情だった。
「…そうか。
キミにとって世界は、暖かく愛が溢れているんだね…」
その天威の言葉にヒューゴは弾かれた。まるで自分と天威の世界の価値の違いを表現す
るかのようで…。なら、天威にとっての世界は……。
答えた天威はこの時初めて、こちらに顔を見せた。その表情はどこまでも穏やかで哀し
さを覚えさせた。
「僕はね、その夢を見たことを覚えていたのは統一戦争が終わってからだった。
不完全な『輝く盾の紋章』であった時ももしかしたら、見ていたのかもしれないけれど。
意識したのは『始まりの紋章』となってから……」
「『始まりの紋章』…」
「初めてその『夢』を紋章に見せられても、特に意識をしなかった。
何度か見るようになってから…。
この『夢』は紋章が見せているものなんだ…、そう思うようになったけれど。
僕にとってその『夢』は、何らかの衝撃を与えるものではなかった…」
ただ世界が無彩色になっているだけで、僕にはそれが何も響かなかった。
「な、なん、で……?」
「簡単な事。
『僕にとっての世界』は一度壊れてしまったから」
「自分の、世界……?」
「僕にとっての世界はね、とても狭く小さなものだった。
キャロの街の限られた世界。育て親のゲンカクじいちゃん、義姉のナナミ、幼馴染のジ
ョウイ、それが僕を構成する世界……。
小さな世界はゲンカクじいちゃんが死んでから、徐々に緩やかに瓦解していった。
ジョウイと敵対する事となって…、
軍主となって軍を率いていく事になって…、
ナナミを失って…、
ジョウイを手に掛ける事になって……、
僕の世界はその時点で、完全に壊れてしまったんだ……」
「…………」
「『僕にとっての世界』が壊れた状態だったから、外の『広い世界』がどうなろうとその
時、どうにも思わなかった」
「………今も、そうなんですか…?」
「しばらく気付く事…、いや、気付こうとしなかったんだけどね…。
……、僕は独り出ないことを教えてくれて、今と昔の世界は同じものではなくなったけ
ど延長線上で繋がった…」
「灰色の世界は……、怖くないんですか…?」
「特にはね。
だって今の僕の周りには、そして君の周りにもキミの大切なものは沢山あって、キミを
独りにしないだろう?」
「そう、だけど…」
「独りでないなら…、例え『世界』が望んでいたとしても君達の意志を貫く事は出来るん
じゃないのかな?」
「世界の…意志は…?」
「キミにとっての世界は、どんな世界?
それによるんじゃないのかな?」
キミが構成する世界がどんなものなのか、大切な事はその事だけ。
「機会があれば、イーヴァさんやシエラにも訊いてみたらいいよ」
「激しく遠慮したいです」
きっと人の悩みを鼻で笑ってくれそうだから。
「少しは役に立ったかな?」
「はい。話が出来て良かったです」
「それは良かった」
そう言って見せた笑顔は、やっぱり穏やかな表情で、きっと俺には真似出来ないものだ
な…って思った。
(last up 2008 03/13) ← →
一ヶ月更新をすっぽかしていたんですね…。。
もしかしたら…、最後の部分書き直すかもしれないんですが…(確率低い)
書きたいことは書いたかな〜。
天威、イーヴァ、シエラはそれぞれ自分の世界が崩壊しているからなぁ〜…
という思いから。そしてそれを見ていたルック…みたいな…?