暁降りの間まで 7 




 太陽が中天を越えた頃。
 まだまだ城内城下は活気に満ち溢れたもので、賑わいに包まれていた。
 だがそんな賑わいとは全く無縁な場所もあり、時間が時間であってひっそりとしている
場所もある。
 
 銀嶺城正門横にある酒場。

 統一戦争時から、この店の火が落とされることはない。そう言われる名物の酒場。
 歴戦のつわものが、日が暮れると己が生存と仲間の生存を喜び、酒と共に死者を悼む。
統一戦争を見通したレオナの酒場である。
 酒場である以上、客入りの流れは夜に集中するのだが、日が昇れば酒場であっても、
その看板は掲げられ、明かりは灯される。15年ずっと変わらないことだった。

 そんな酒場のカウンター奥の席に。
 一人の女が難しい顔をして座っていた。いつもはシニョンを編んでいる長い銀の髪を束
ねる事無く下ろしたままで。
 酒場に入り浸り慣れている訳でもなく、酒を呑みに来たわけでもない。
 どうみたって、堅物な印象を与えるのにこの昼日中に酒場に足を向けた…。
 ただ。
 自分の居場所が見つけられず、干渉されないと思われる酒場に避難してきた…、そんな
所だろうか。
 見える表情も眉根を寄せた、難しい表情で渋面と苦渋が満ち溢れていた。



「…ずっと、睨めっこしているみたいだけど勝てそうなの?」
 茶化した声に伏せていた頭を上げると、淡いショールを肩に掛けた、紅の中華服を着た
 女将と思われる女性が、煙管を吹かして面白そうに笑みを浮かべていた。
「あ…すいません、こんな時間に…辛気臭い顔で居座って…」
 申し訳無さそうに答えると、
「別に気にしなくていいさ。
 いつもの連中はもっと夜になってからだから、茶化すような野郎はいなし。
まぁ…辛気臭いって言うより…、悲愴とか絶体絶命って感じがするけどねぇ」
「…………」
「ナンかねぇ、切羽詰って崖の先に駆け込むんじゃないかって感じがするケド?」
どこまでも面白がった言い方をする女将だった。
「……すいません。別に投身自殺するつもりはないのですが。
 どうにも頭を離れない事があって……」
「それにずっと…、悩まされているってわけかい?」
「そう…言う事になりますね……」
 そう吐き出して、さらに額の溝を深めた。
 紫煙を吐き出して、
「……何ならさ、話してみたらどうだい?悩んでいる事。
 これでもデカイ戦争は経験済みでね、愚痴吐きぐらいの相手にはなれるってもんだよ?」
「…………」
「ビッキーのテレポートミスで此処に着たんだろうケド…、まぁ来たなら来たなりの訳が
あったりするんだし…。ここはあんたらの陣営でもなければ、あんたをよく知っているわ
けでもない。
 ちょっとぐらい情けない姿さらしたって、なんら問題にならないよ」
 そう言って不敵に笑う貌を見せられて、断れるほどクリスは場数を踏んではいなかった。

 奢りだよ、と言って出されたグラスに一口つける。
 香が爽やかなよく冷えた林檎酒だった。青みが掛かったギヤマングラスが見目も楽しま
せてくれる。
「…我々の戦、何処までご存知なのですか?」
「そうさねぇ…。
 『仮面の神官将』が『真の紋章』を破壊する為に、五行の真の紋章を集める為、戦を起
した…ところかしらねぇ」
「…ほとんど、ご存知なんですね」
「酒場で女将なんてやっている以上ね、情報には早くなきゃやってらんないんだよ。
 ついでに此処には凄腕切れ者の冷酷軍師が健在でね。
 一線から退いちゃいるが、まだまだ耄碌する程落ちぶれちゃいないよ」
 酒場とは酒を扱う場所である。酒を呑めば、自然と口の紐が緩む。隠していた事を、気
付かずに零す事がある。
 零れた内容は、その時大した事でなかったとしても、時よって大化けすることがある。
そんな些細な情報に睨みを効かせるのもまた、女将の手腕といえるだろう。
「…私は父から『真なる水の紋章』を受け継ぎました。
 今までその人間が父だと言う事も知らずに、最期に判って………。
 父から受け継いだ『真なる水の紋章』は奪われました。
 偽りの情報で誘き寄せられた我々から敵の妖術師に、私は奪われたのです…」
「…………」
「この戦の決着を着ける為に…、奪われた紋章は必ず奪還する覚悟ですし、あいつを…ル
ックを討つ覚悟は決まっていますが……」
「が?」
「その後のことを考えると、私はどうするのだろう…と思ってしまって…。
 城に居た時は、目の前の事だけを考えるだけでした。
 奪われた紋章を取り返し、ルックを討つ。
 その事しか考える事はありませんでした。
 今、この銀嶺城に滞在していて、する事が無く手持ち無沙汰になると…、今まで考えよ
うとしなかっただけなのかもしれませんが…。
 途端に、先の事で怖くなってしまったんです。

 私は『真なる水の紋章』をどうすればいいのだろう、と…」
 それがこの銀嶺城に来てから、クリス・ライトフェローを悩ませている事柄だった。



「…ま、やる事が無いと考えもしなかった事が降って湧いて出る、て事があるからねぇ」
 それまで口に咥えていた煙管を煙草盆に置くと、クリスの空いたグラスに新しく酒を注
いだ。
「アンタはどうしようと思ったんだい?」
 煙草の消し炭を硬質の音と共に捨てて、新しく葉を詰め込み火を点した。
「……父は、大き過ぎる紋章の力を危惧しアルマ・キナンの力を借りて封印を行いました。
 『真なる炎の紋章』継承者であった炎の英雄・焔は、シンダルの力を使い遺跡に封印を
しました。
 『真なる雷の紋章』継承者であるゲド殿だけが、そのまま自身に宿したまま……。
 私は…、恐らくは父と同様の選択をとるのだと思います……」
 …まだ取り返してもいないのに、早い話ですね。と照れたように情けなく笑った。
「確かに。気の早い話だね。まだ取り返してもいないのにさ。
 でも。
 良い事だよ。考える事は、迷える事は、選択肢があることは。
 選ぶ事が出来るのなら、めいっぱい考えて迷って悩んで答えを出せば良いさ。
 それは…悪い事じゃない」
 軽く咥えた煙草を吹かす事無く、火皿から立ち上る煙を眺めた。
「あの、お聞き…してもいいですか?」
「なんだい?」
「ルック…、の事をご存知ですか?」
「あぁ当然ね。あたし達は仲間だからね」
「…………」
「こまっしゃくれた子だったよ。
 108星の石版の前があの子の定位置で、他人に干渉される事は好きじゃなかったね」
 いっつも不機嫌そうに一人でいたけど、天威やナナミは嫌な顔されてもルックを誘いに
行って、トランの連中が集まれば、ルックも引きずられて輪の中に入っていたし、フッチ
やサスケ達と何だかんだやらかしてた。
不機嫌な表情してたけど、きっと悪くなかったんだと思うよ。本当に嫌だったのならテレ
ポートでどっかに行っちまうだろうし。
「何でだ、なんて聞かないよ。もう起こっちまったんだ。
 あの子も馬鹿じゃないしね。自分が選んだ事がどんな事なのかなんて…、端から承知の
上だろうさ…」
 ふ…と、紫煙を吐き出して煙管を煙草盆に置いた。
「だから、天もトランのお坊ちゃんも口を出さないよ。
 色々アンタ達には納得いかないかもしれないけどね。
 聞きたい事はこれだけかい?」
 聞くのなら今のうちだよ、不敵な笑みを見せ付けてくれる。
「…………。
 …締南国の国主・天威殿は『真の紋章』継承者を聞き及びます。
 何故…、平和となった今も紋章を所有しているのですか?」
 ワイアットや焔が選んだ選択ではなく、ゲドと同様に何故紋章を所有し続ける事を選ん
だのか…? 訊ねられるのであるなら本人に聞くべきなのだろうが、何か憚られるものが
あった。…実際、ゲドにその質問が出来ていない。

「簡単だよ。『それ』以外の選択肢が存在しなかっただけさ」
 口元に浮かぶ笑みは、何か自嘲を含んだものを感じさせた。
「トランのお坊ちゃんの事はそんなに知らないよ、人づてで聞いた程度だからね」
「…………」
「端折って説明すれば、『親友』の形見だからってとこだろうかね。
 親友から受け継いだ紋章を護る為に、持っている…そんなとこかしら…」
「では?」
「天の場合も、似ているね。
 形見…ていうのもなんだけど…」
「形見…ですか…」
「そうさね。あんたが継承したっていう水の紋章が、親父さんから受け継いだってのに似
ている。
 天とあの子の親友だったジョウイ…、二つに分かれていた紋章は大戦の決着の末、真の
紋章の姿に戻った。
 天の『輝く盾の紋章』とジョウイの『黒き刃の紋章』は、親友同士が戦い死闘の末、勝
者に『始まりの紋章』となり継承される」
「そんな…………」
「天威達には『そんな選択肢』は無いんだよ。
 その手から離れれば、紋章は再び大きな戦を引き起こしてしまうかもしれない。
 再び、戦で哀しみが生み出されるかもしれない…。
 そう考えたら、答えは自ずと決まっていたのさ。
 もっとも…、親友が唯一遺した紋章を捨てる事なんて、出来る事じゃない…」
 それが、あの子達の理由だよ。



 アンタ達にある『選択肢』を大事にするんだね。そういうと、店の支度があるからと言
ってレオナは奥に下がっていった。
 何がどう、と比較するものではないけど…。
 それでも、自分の手の中にあるものをクリスは深く意識した…。













 (last up 2007 12/06)   
 先週?は更新出来なかったので、ちょっと一念発起。
 レオナとクリスの語りでした。あいもかわらずレア過ぎる。
 色々扱いが悪いですね。色々書きたい事を書くと2贔屓です。
 次回はシュウ・シーザーかな…。