残念ながら今宵は薄曇で、月の姿を鮮明には届ける事はなかった。
それでも
雲は輪郭を月光により白く浮きだたし、夜の闇をほんの少し柔らかいものにした。
「…ふん、誰か訊ねて来るだろうとは思うていたがな。当てが外れたわ。
貴様が来るとはな…」
仄かな月光に照らされて、太陽の下でも十分白く際立つシエラだが、紋章の象徴の元で
は、殊更白く、そして幽玄さを醸し出していた。
「や〜、ご期待に添えなくて悪かったね。あの優男じゃなくてさ」
そう笑ってかわしたのは、ハルモニア傭兵部隊第12小隊紅一点クィーンだった。
「別に期待も何もしてはおらぬが…。
静かな夜を邪魔されるのは、あまり好ましくはないな」
「あ〜、ちゃんと持ってきてるって。お土産は。
気に入ってもらえると思うんだけどね」
と、クィーンは持参した、ワインと酒の肴のカルパッチョを持ち上げて見せた。
「ふむ。
なればどの程度のものか、確認してやろう」
時間は少し遡って。
レストランで夕食を終えて出てきたイーヴァを物陰に引きずり込んだ強者がいた。
ずりずりと物陰に収まって、イーヴァは引きずり込んだ人物の顔を見ながら
「えぇと、僕が何かしましたっけ?クィーンさんでしたか?」
両手を上に上げた状態でおどけた様に応える。
「名乗った覚えは無いけれど、知っていてくれるなんて光栄だねぇ、英雄さん」
首と腰の回していた腕を外して、クィーンは軽く詫びた。
「一体どうしたんですか、僕に…何か用ですか?」
「う〜ん、アンタに用ってワケじゃなくて。あんたの知恵を貸してもらいたいって所なん
だけどね」
「僕が協力出来るのなら喜んで、ですよ。どうしたんですか?」
「実はね、ちょっと難しそうなお嬢様とオハナシしたいんだけどさ、どうしたら話に乗っ
てくれるかな〜、と思ってね…」
服は乾いて普段どおりの服装で、だが困っているらしく、その通りの表情で苦笑した。
「……確かに。『彼女』はとても難しい人ですからね。彼女が気に入るようなお土産を持
参しないと相手してもらえませんよ」
イーヴァとしても、自身の経験論を話す。彼自身、あの気まぐれな月のご機嫌をとるの
は至難の業だった。
「まぁ、必須条件として言えることは、旨いワインは必ず持参ってところでしょうかね」
これだけは絶対に外せない条件。過去、彼女に会いに行った人間は例外なく、上物のワ
インを用意していったのだ。
「ワインの好み、とかあるのかい?」
「大体は好んで赤を呑んでいますがね…」
「赤じゃなきゃダメってワケでもないんだね?」
「…試したわけではないですけど、ダメじゃないと思いますよ」
とのイーヴァの応えに逡巡するクィーン。
「…ここの酒場の酒の品揃えはどんなモンなんだい?」
「シエラがいる所為で、結構豊富ですよ。
天も交易に力を入れている所為で、他の酒場では飲めないような酒があったりしますか
らね」
「酒場か…」
「案内しますよ。
女将のレオナさんにワケを話したら、色々協力してくれると思いますし」
「…そうかい。
じゃあ、よろしく頼むよ」
というやり取りあったのがほんの少し前。
「…白か。珍しいな……」
トクトク、と注がれる液体の色を見ながらシエラがポツリと呟いた。
「赤を好んで呑むって聞いたからね。
偶には白も面白いんじゃないかなって思ってさ」
別段、嫌いってワケでもないんだろ?と話を振る。
「まぁな。骨のあるのを求めるとどうにも赤になってしまっていた、というだけにすぎん」
「なら、うってつけかもな。普通の白と同じに考えちゃダメだからね、コイツは」
注ぎ終え、それぞれグラスを月光にかざし。
「まずは、乾杯」
硬質の硝子がよく響いた。
グラスの口に留まる香気を鼻腔にためて、一くち口に含む。
「ふむ…、随分しっかりとした味をしているな」
「白だから軽くてあっさり、が先入観であったでしょう?」
「まぁそうだな。軽く嗜める程度、の印象であったからな。どこの産だ?」
「チシャのだよ。ヴィンテージものがしっかり酒場の酒蔵にあるんだから、大したもんだ
ね」
先程イーヴァと共にレオナに頼み込み、酒蔵を案内してもらえば出てくる出てくるヴィ
ンテージの数々。白ワインとしては甘味の強いワインが高級品とされているが、やはり国
主のお膝元であれば、揃うもの全て良質の一品だった。
「ま、見てくれに騙されるって事もあるだろうけどね。
これぐらいしっかりしてると、肉料理相手でも引けを取らないぐらいだし」
「言うだけのものではあるな。
随分と博識じゃな」
ワインの香気を楽しみながら、クィーンを見やる。
「……昔は、色々と堅苦しい生活をしていた所為でね、ちょっと知ってるって程度さ。
後は実学。楽しめる事も、それぐらいしか見つからなかったし。
あんたはどうなんだい?」
くっとワインを流し込む。グラスには幾滴もの水滴が付いている。ここに来る前によく
冷やしていたため、冷たさでよく味がキレていた。
「…さて、どうだったのであろうな。
麦酒はどうにも膨れる感じが好きで無くてな。
渋味を好んでいたことからはじまったのかも知れんが…」
今振り返っても、始まりがどのようなものだったのかよく覚えていない。『森』にいる
間に呑み始めたのか、出た後だったのか。
「長く呑んでいて、愉しめるものがこれしかなかった、それだけにすぎんだろう…」
「太刀打ち出来そうに無いわね」
「やめておけ。好みが煩くなりすぎるのも問題よ」
そう苦笑を浮かべて答える姿は、年齢的には不似合いであるのに、醸し出す気配は違和
感の無いものだった
「で、何が聞きたいのじゃ?」
ワインと肴を嗜みながら3杯ほど開けた頃、シエラが尋ねた。尋ねてやった。
「ただワインをネタに来たわけでもあるまい。…わらわはそれでも一向に構わんがな」
「…………」
クィーンはボトルに残っていたワインをグラスに注ぎ、勢いよく一気に飲み干した。
「赤のしっかりした奴も持ってきてるんだ。
呑まないかい?」
ワインクーラーの水と氷に挟まれたワインを指差す。ラベルは古いものでここからでは
判断出来ないが、恐らくカナカン産ワイン。
「付き合ってやろう」
「ありがたいね」
それぞれのグラスに注いで、それぞれが愉しんで。
「……あんた達にとってさ、私達の感情は邪魔なものなのかい?」
「…………」
「今は…、まぁ事故で手元を離れちゃいるけどさ、きっとあいつは真の紋章を取り返して
自分に宿すだろう…。
そんなあいつに着いて行きたいって…思うのは、あんた達にとって、どうなんだい?」
先程まで見せていた利発さは形を潜めて、自信なさ気な姿を月に晒していた。
「……聞く相手が違うであろうに…」
「本人に訊けって言うのかい? あの無口の仏頂面が殊勝にも答えるものかっ!
だんまりかまして、その場お流れになるのがオチだよ…」
12小隊で共に任務をこなしている為、対象がどんな考えを持っているかなど把握が付く、
尋ねられて素直に話すような、可愛らしい性格をしていないし、加齢の結果、口がすこぶ
る堅い。
相手が悪すぎる、とは弱音を吐きたくないが愚痴りたくなる。
「違う。あの金髪ナンパ男じゃ」
「ナッシュのことかい?」
「…立場から言えばお主と同じであろう? 奴には訊かなんだか」
悪そうな笑みを浮かべている。
「…………。
話をしたってワケじゃないけどね。
ゲドが紋章を持っていたのが知れた後、軽く会話はしたけど…、通夜みたいになっちま
ったよ」
お互いがそれぞれ…、同類相憐れむなど言われたくは無いが境遇は同じで。だからと言
ってかけられる言葉など無く、
「通夜とはなかなかいい表現じゃ」
「からかうんじゃないよ。こっちは真面目だって言うのに……」
言えばからかわれる事は目に見えていたわけで、案の上の結果に、クィーンはグラスの
ワインを感情のまま飲み干した。
「無粋な呑み方は止めよ。折角のワインが勿体無い…」
「悪うございましたね…」
への字に曲げて見せた。
目の前の存在に、クィーンは少しばかりではなくナッシュに同情した。
シエラと顔合わせしたのは、以前のミューズでの騒動の夜。ナッシュの話によればそれ
以前にもビュッテヒュッケ城に来ていたらしいが、その時点で12小隊は別行動だった筈。
演劇や噂話でその存在を辛うじて知っている程度で、こうして顔を突き詰めて会話をす
るとは思っていなかった。
そして、自分がナッシュと同じ立場になるとも思ってみなかった。
童顔の金髪ナンパ男。傭兵隊でも噂に欠く事はなく、そして単独任務が可能な実力者。
小奇麗な顔のつくりをしている所為で、カレリアでも人気があったが浮いた話を聞くこ
とはなく、ある種奇妙な存在だったが…。
そんな奴が惚れた相手は、『月』。
クリスと行動をしていた所為で、ゼクセン騎士団の連中からは疎ましく思われているよ
うだが、クリスには悪いが、全くと言っていいほど眼中に無いだろう。クリスに対して少
なからずある感情は、どちらかといえば目上の者が下の者に対して見せる気遣いであって、
疚しいところは無い。
『妹でもいるんじゃないかしらね…』
ま…、お堅い騎士団の連中には判断つかないだろうけど。
ナッシュをそこまで振り回している人物が噂に上ったのはつい最近の話で、城の壁新聞
の『白い少女』。
クリスに対しての追求はものの見事にはぐらかすというのに、その時、奴の歯切れの悪
さに少なからず驚きを覚え、「本命かしらね」とエース達と酒の肴にもしたが。
最悪だ。
本当に『月』だ。 そこにあって、手を伸ばしても届かず、追いかけても追いつけない、
夜天の月。
そんな相手を惚れ込んだらそれこそ最後、だろう。
曰く、出会ってから15年間ずっと追いかけっぱなし、と言っていた…。
そんなナッシュに『ご愁傷様』と思ったりしたが、まさか自分もそう、だとは……。
頭を抱えたくなる。
「…あたしはあの人が『何者』であってもかまやしないんだ…。
例え、報われなくてもね…。
ただ、この想いを抱く事も迷惑だと思われていたら…。
そこまで無神経に我を押し通せるものでもない…」
ゲドに直接聞く事が叶わないのなら…、だから、同じ立場にいるシエラに聞いてみたか
った。
言い終えて、グラスのワインを口にした。口の中に広がる重い渋みが、苦虫を掻き消し
てくれた感じだった。
「…あの木偶の坊がどうなのかは知らんがな…」
くるくるとグラスを揺らして芳香を楽しんでいるかのようだった。
「そこまで強い存在ではないのじゃよ。
『紋章の継承者』と呼ばれようと、幾年を生きようとな……。
元が人であった以上、何ら変わりは無い。
人の輪から外れ、時の輪から外れようとも、人を恋しく思ってしまうのは当然の事じゃ。
独り、であるならなおの事……」
「でも……」
「嫌であるのなら、とうに態度なり行動なりで示すであろう。
嫌であるのなら、掻き消えればいい。その時間を持ち合わせている」
「…………。
あんたは……?」
どうなんだい?そう最後まで言葉を言えなかった。
誰よりも長く生きている、アンタはどう思っている?
「言うたであろう?
人であった以上…、わらわ達も泣きもすれば恋もする」
月が微笑んだのを見た。
幾分か月が明るく感じるのは何故だろう?
薄曇だった夜空に雲が消えたからか?
夜半も過ぎたのに寒さを感じないからだろうか?
…本数としては多いものではないが、頬が熱を帯びているのがよく判る。2本程度で酔
いが回るなんて情けない、と叱咤しながらワインを傾ける。
呑んでいないとやっていられない。
もうすでに、月は気まぐれを起こしてこの場から立ち去っている。残っているのは自分
ひとりで。だからこそ、今の自分を誰かに見られていなく安心している。
赤くなっているであろう、頬を押さえて。先程の一連の会話が、頭の中をぐるぐる回っ
ていた。
月との秘密の会話。
『答え』を得られたわけではなかったけれど。きっと誰にも聞かせてはならない『月』の
話だった。
「…………」
考えがまわらず、またもくいっとワインを流す。
「おいおい、そんな風に呑んだら勿体無いぜ」
声に弾かれて振り向いてみると、件の人間がいた。
「ナッシュ…、あんたどうしたんだい?」
「う〜ん…、まぁ様子見…かな。
さっきまで酒場で飲んでたんだけどな……」
「だけど…?」
「相方が機嫌損ねちまってよ…。面倒臭くなって逃げてきた」
オッサン相手だと辛いねぇ、とぼやく。
「まだ飲む気があるなら、酒場に行きなよ。一人で飲むより相手がいた方が良いだろう?」
「えっ!? あぁ…」
と生返事を返す。頭の中は未だ考えが纏まっていない状態である。
「クィーン?」
「えぇ!」
らしくも無く取り乱す。
「…………。
…うん。ちょっと、呑みなおしに行って来るよ…」
とりあえず納まりが付かないから呑む事にしよう。
そう結論付けてクィーンは適当にナッシュに返事をして、屋上から降りて行った。
後に残されたのは、ナッシュとクィーン持参のワインセット。
空になったグラスを眺めて、
「ま、いい結果に転んだみたいで良かったな…」
こうして、銀嶺城一日目が終わった。
(last up 2007 11/03) ← →
シエラ贔屓ですみません〜。
クィーンとシエラってやってみたかったのですよ…。