ヒューゴと別れてから、言ったとおりに図書室に行きその蔵書内容を確認したものの、
だからといって読書をする気にはなれなかった。
アップルは度々読書で知識を得ろ、と口を酸っぱくして言っていた。そう言うだけあ
ってか、彼女の読書量は凄いものだった。休憩の合間に読んでいる本は見る度に表紙が
変わっているぐらいだから。
『別にサボっていたわけじゃない…』
シーザーもサボっていたわけでなはかった。与えられた課題は消化した。自分でも物
足りない場合は勉強をした。
だが、蓋を開けてみれば。
『俺の策は、あいつに見透かされていた…』
勝つ事は叶わず、ただ負ける事だけ無かった、ぎりぎり逃げ果せた、と表現がお似合
いな戦果ばかりだった。
戦力で分が悪いとはいえ、そのハンデを策で何とかするのが軍師の役目。
なのに、軍師としての役割を俺は全う出来ないでいる。
根本的なものであいつに劣っているのではなくて…、きっと……。
『あいつは、俺以上に努力していたというわけか……』
もしかしたら、…アップルさんは気付いていたのかもしれない。
俺とアルベルトの力量の差を…。
自分はもう第一線を退いたから、といって作戦会議に関わらず、事務的な作業を一手
に引き受けているが…、アップル自身の戦歴は目を見張るものである。経験だけで言え
ば、俺は当然、アルベルトだって太刀打ち出来ない。それでもアップル自身が采配を振
るう事は無い。
「…つっても、勝たなきゃ意味ねーじゃんかよ…」
俺が軍師として勝たなければ意味が無い。だからこそ、アップルが前に立つ事は絶対
にありえない。そうじゃなきゃ、俺がこのまま先に進む事はないから…。
「…邪魔だ」
低く冷徹な声が耳に届いた瞬間、頭部に重い衝撃を受けた。
ゴス…、と硬い音共に堅い革張りの書物がシーザーの頭部に埋まった。
「いってぇッ!何するんだよっ!」
と頭を押さえて振り向いてみると…、
「図書館では静かにしろ」
再び持っていた書物で叩かれた。
二度も書物でシーザーを叩いたのは、
「シュウ軍師…」
「ここは図書室だ。読書か調べ物が無いのなら出るのだな」
と今まで持っていた書物を本棚に戻すと、目的の書物を探すべく本棚の奥へ入っていっ
た。
「……、何でアナタがここにいるんデスカ…」
二度も叩かれた頭を撫でながら、シーザーが忌々しく睨む。
「必要な書物があったからだ。それだけだ」
本棚から視線を逸らす事無く、答える。
「……ソウイウコトって普通、部下に取りに行かすもんじゃないのかよ…」
「俺が取りに行った方が確実だし早い」
「…………」
一々癪に障る言い方をする男だ、と似た人物を思い浮かべながらシーザーは思った。
「シーザー」
名前を呼ばれ、振り向くと数冊書物を手に持ったシュウ。初めてこちらを見たのでは
ないか、と思った。
「…なんデスカ?」
「暇なら着いて来い」
そう言い放つと、了承を聞かずにさっさと歩いていった。歩速は早くもうすでに図書館
の出入り口に差し掛かっていた。
人の了承、聞いてから歩いていけよなっ!と悪態つきながら。
どうせ手持ち無沙汰で悶々と悩むのであるなら、例え使われる派目になっても構うも
んか、というどちらかというとやけっぱち加減で後を追った。
走って出て行ったため、出入り口に立っていたシュウに再び、制裁を受けたのだった。
先程探していた書物を持たされて、連れて行かれた部屋にはにこやかに笑顔を見せて
出迎える人物がいた。
「やぁ、いらっしゃい」
行き着いた先は、恐らくどころでなく国主執務室。最奥に国主の執務机が位置して、
左手前には立談用の机があり、色々な書類が重なって置かれていた。
「天威殿、少々遅くなって申し訳ありません」
「いやいや、気にしないでいいよ〜。
ちょっと書類をじっくり読んでいた事だしね」
そう言うとおり、国主の机の上には書類と、色々な書物が開いて重ねられている状態
だった。
『…俺、もしかしてトンでもない所に引っかかってたりする?…』
何ていうか蛇に睨まれた所じゃなくて、捕まって食べられる寸前…みたいな。
シュウの荷物係になりながら、穏やかならざる状況に戦々恐々としていた。
「でさ、さっき報告書、片っ端から読み直してたんだけどさ」
「ええ」
「これさ、絶対値切れるよ。もっと」
『ハイ?』
「ゴードンさんからの報告書とか照らし合わせてもさ、もっと安く仕入れる事が出来る
と思うんだよね」
大体、今絶対グラスランドが怪しい所為で品物ダブついてる筈だよね。だったらもう
少し値段安く買い叩けるはずなんだよな〜、と腕組みしながら頭を悩ます国主。
「その辺に関してはご明察どおりで。
少々担当の考えが甘かったと思われます…」
『アンタら、どういう話ししてるのかな…。どう考えてもセリフだけの内容だと、国主
と宰相のセリフじゃない気がするんだけど…』
「そのお陰で、あちらの手の内が判った事もあるのですがね」
「ふぅん。そうなんだ」
「はい。まぁ、もう少し担当官に関しては経験させた方が良いですね。掘り出し物を見
つける目はかなり筋が良いので」
「そっか。シュウがそう言うなら任せるよ」
「あんたら、何やってんだよ…」
思わず口から言葉が零れてしまった。
「何って?交易だよ」
開けっ広げに言ってくれる。
「や、そうじゃなくてさ。
何でアンタがそういう世俗的やってるんだよ。そういう事って、あんた自身がするん
じゃ無くて下の人間や周りの人間がすることだろ?」
「あぁ。僕は確かに国主だけど政治には関わっていないからね。
僕が直接関わる範囲はこの城だけ。この城を維持運営するために資金は何時だって必
要だから、交易やって稼いでるんだ」
銀嶺城資金は、基本交易による収益と城内城下の借地収入で成り立っております。と
説明を受けた。
「…………」
「シュウも交易やっていた事だしね」
『ね』じゃねえよ、と突っ込みを入れたい衝動に駆られたが…、実際ヒューゴなどが
したらシーザーはきっと突っ込んでいたかもしれないが、目の前の人物は『国主』であ
る。軽々しく手など出せない…。
「…それで、シュウ。どうしてシーザーは此処にいるのかな?」
「…………」
ナンデスカ、国主はご存知ではなかったのですか…?とシーザーも天威同様にシュウ
の方を見る。
「その事で天威殿にお願いしたいのですが…」
「何かな?」
「彼にチェスの相手をしてやっては戴けませんか?」
「チェス?」
シーザーは眠い目を大きく見開き、天威は変わらない表情で話を促す。
「…執務中にお願いするのも申し訳ないのですが…」
と全てを話す事はしない。
「僕は別に構わないけど…。今の仕事はそんなに難しいものでもないからね。
指しながら相手する事は出来るだろうケド…」
シーザーに視線を向ける。
「…何か、俺無視で話が進んでませんか?」
「天威殿と対戦して勝ってみろ。そうしたら俺が相手をしてやろう」
こちらの都合など全く関係なく話をさらに進める。
だが。
シュウが提案した内容は、今の自分にとって非常に魅力的なものだった。
遊戯ではあるが。チェスは仮想戦争とも言える。
アップルともチェスを行った事があるが、アップルもシュウとのチェスを思い出深そ
うに語っていた。
『やっぱり最後まで、シュウ兄さんには敵わなかったわね…』
と負けた思い出であるのに、楽しそうに…。
「それ、本当ですか?」
「勿論だ。嘘はつかん」
相変わらず無表情とも取れる冷徹な表情で頷く。
「なら、やらせてもらいますよ」
「先に言っておくが。
天威殿を侮らない方が良い」
神妙な表情で高圧的にシュウが言う。身長が高い所為もあるが…。
「最近では、俺を負かせる様にもなられたからな」
それこそもってこいだ。
天威が執務中ということもあって、チェスは彼の机の横で行う事になった、背の無い
椅子の上にチェスは置かれ、そのチェスに並ぶようにシーザーも座った。
シーザーが白で天威が黒。駒を並べ終えてシーザーが声をかける。
「…僕はこんな状態だから、気付かないこともあるだろうから。
駒を動かしたら、ボードをノックして」
そう言って先手で黒のポーンを動かした。そして俺も同様に、白のポーンを動かした。
一つ前以て言わせてくれ。
侮っていたわけではないんだ。
ただ、甘く見ていた。と言うのが適当な表現だ。
自分の隣では、書類を手際よくめくる音が聞こえ、走り書きするペンの音がする。
決して。この相手はこのチェスだけに集中してはいない。
今も、机を挟んで宰相や側近達とややこしい議論を行っている。
そんな相手に。
俺は手も足も出ないでいた。
攻め手は全て抑えられ、キングは動いたら最後、布陣したナイト達に討たれる事だろ
う。
「よしっ! 今日の仕事は終わりっ!」
トンッと書類を調える音が聞こえた。顔を上げると、伸びをして体を解していた。
「天威殿、お疲れ様です」
天威から差し出された書類を受け取り、労うシュウ。
「シーザーもお疲れ様」
ゲームエンド、を宣告された。
あれから、シーザーは天威とのチェスで勝つ事は出来なかった。
軍師のプライドもあったものではない。
惨憺たる結果に、項垂れて復活できないでいた。
そんなシーザーをシュウはやれやれといった風で、天威は苦笑を見せる。
「シーザー、一つヒントを教えてあげる」
がばっと体を起こして、天威を見る。
「君の戦法はとても素直なんだ」
「はい?」
「シュウと比べると…って、そんな比べ方するとシュウの戦法が酷いもののように思わ
れちゃいそうなんだけどね。
色々考えているんだろうけど、正攻法なんだよ」
「…………」
「僕の裏を掻こうっていうのは判るんだけど、性格の悪さとか言葉は悪いけど意地汚さ
とかが足りない分、凄く打つ手が判り易いんだよ」
「…………」
「だから、君をよく知っている『君の敵』は、きっと戦いやすいだろうね」
君が弱いわけじゃない。むしろ君はとても優秀な軍師だと思うよ。でも、君の初陣の
相手があまりにも悪かった。君の事をよく知っているから…。
その言葉にシーザーは絶句するしかなかった。
気付きたくない自分の弱点を、この締南の国主に見透かされた。
チェスの戦略はその人間の性格を現すというが、ここまで悟られるとどうしようもな
く自分が惨めな感情を受けた。
そう、全ての敗因は自分にあったと言うことを突きつけられるのが、俺は怖かったんだ。
自分の弱点を克服し切れなかった自分を見せ付けられるのが…。
(last up 2007 10/20) ← →
特にシーザーを贔屓するつもりは無かったのですが…、もう一話シュウとの話を書く事に…。
つってもシーザーが嫌いじゃないんですよ…。