夜が明けた。
一番鶏が鳴き、城付きの女官達が、朝早くから仕事を開始する。パタパタと長いスカー
トの裾を持ち上げて、今日もまた忙しい日が始まる。
ナナミの朝は比較的早い。
それが天威を起こすためであるのかは定かではないが、かなり早い。大体女官達が仕
事をし始める頃にもう目は覚めている状態である。起きた後、部屋に設置した特製藁人
形でトレーニングをしているのか…、義弟の天威と比べると本当に早起きであった。
今日も何時も通りの時間に起きて、服を着替えながら、昨日天威が言ったことを思い出
して、……そうなると、天威はあたしより先に起きてることになるんじゃないのかな?
だったら、一緒に起こしてくれればいいのに…と。
着替え終えて、髪飾りをくくり、手袋をはめ、愛用の三節棍を持って、昨日言われた
場所に行くため部屋を出た。
部屋を出て、天威の部屋に通じる階段にさしかかった時、ぴたりと足を止めた。もし
かしたら寝てるかもしれないかな…と思い、起こしに行ってみようかと足を向けようと
したが、やっぱり止めて、大人しくエレベーターに乗った。
ベルが四回鳴って、
一階は朝早かったため日が射しておらずひんやりとしていて寒かった。降りた時、ぶ
るっと寒さに襲われ両の腕を抱きながら、ビッキーの所へ歩いて行った。何時でもどん
な時も、石版の前に突っ立ているルックの横を通り過ぎ、何故かもう起きて歩き回って
いるロウエンに挨拶して。
着いてみると先客がいた。
アイリにリィナ、そしてロウエン。
「あれ……?」
アイリとリィナが一緒にいるのは、どういう理由でここにいるかは分からないが、違
和感はないのだが…、何でロウエンがいるのか分からなかった。しかも、前日飲んだ酒
が抜け切れていないのか、浮かない顔で鏡の横にしゃがんでいた。
「あっナナミ、おはよう。やっと来たか」
ビッキーから一番離れている場所に立っていたアイリが最初に声を掛けた。
「ナナミ、おはよう。よく寝ていたようね」
とにっこり笑って言ったのはリィナ。
「…………おう…」
ロウエンはどうやら二日酔い気味のようだ。
「おはよう、みんな……。どうしてみんな、ここにいるの?」
この面子がここにいることの理由が分からない。自分は天威に言われたからだが……?
「どうしてって、昨日天威に頼まれたからさ。ナナミ、あんたもそうだろ?」
何を惚けたことを聞いてんだよ、と言わんばかりのアイリ。
「昨日天威にね、…何時だったかしら? かなり遅かったと思うんだけど、お願いされ
たの。それで私達とロウエンさんに明日の朝、起きたらすぐビッキーの所に来てくれっ
て言われたからここで待っているのよ。
……アイリなんか、夜が明ける前から起きてる始末だったのよ」
クスクス笑いながらリィナが今朝のアイリの事を言った。
「姉貴っ!! 余計なこと言うなよっ!!」
と、アイリがリィナに喰いかかったが、リィナはそれを面白そうに見て笑うだけで、歯
牙にもかけられずアイリはふてくされてしまった。
「……ちょいと、嬢ちゃん達……・。お願いだからもう少し、静かに、して頂戴……」
今まで黙っていたロウエンが、顔を顰めながら言った。頭痛に苛まれているのか、しゃ
がんでいるロウエンの顔が暗い。
「あっわりぃ」
「…ロウエンさん、二日酔い?」
酒場に行く度に飲んでいる姿を確認することが出来るロウエン。彼女の酒好きは城中、
知らない者はいない、ほどである。そんな彼女が頭が痛いというのだから、よっぽど昨
日、酒を飲んだのか?とナナミが疑問に思い聞いてみると、
「……違う。昨日、坊やに頼まれたから…、仕方がねぇから早めに切り上げたら……、
酒飲み足りなくて……、頭、痛ぇんだよ……」
「はい?」
酒飲みすぎて、翌日頭痛に襲われるというのは、世の常識だが…、酒の飲む量が少な
くて、頭痛に襲われるというのは……。
「そ、それって初めて聞く……・」
ナナミにとっては未知の領域だった。アイリは実例を知っているのか、その実例をち
らっと横目出来ただけで、リィナは「あっ、それ分かります」みたいな顔をしていた。
「みんなっ!! 遅くなってごめんっ!!」
天威がルックの石碑の方から駈けてきた。両手に麻袋を持って腕に四人分のマントを
掛けて、荷物だらけでみんなの前に姿を現した。
「天威、何なのその荷物は?」
とナナミが聞いたが、天威はそんなナナミをお構いなしに、持ってきた麻袋のひもを解
いて中身を出した。
「遅くなってごめんなさい。…ええと、4人分のブーツですから履いていって下さい。
そのままだと、絶対、歩けなくなっちゃいますから」
肩で息をしながら、荷物を分けていった。
「ありがと」
「それから、これマントです。もう雪は止んでるみたいだけど、山の天気なんてすっご
く気まぐれだから、それに風があるだろうし…」
「分かったわ、天威」
「これっ、朝御飯と昼御飯の入ったお弁当です。
で、ロウエンさん」
「……あん?」
「お酒です。レオナさんに貰ってきました。しっかりした容器に入れて貰ったから壊れ
る心配はないと思います。…中身は清酒だって言ってました」
「ありがと〜〜、恩に着るわぁ〜〜〜」
と言って天威の持ってきた徳利を抱きしめてロウエンが本当に幸せそうに言った。
一人、状況が掴めないままアイリとリィナに急かされ、天威が持ってきたブーツとマン
トを身につけた。
それでも一体、何なのか必死に考えていると
「ナナミ、これ」
と言って、手のひらに収まる小さな物を目の前に差し出した。
手のひらの中には小さな手鏡があった。
「…これって……」
指さしながら天威に確認するように聞くと
「そう…『瞬きの手鏡』だよ……」
そう言う天威の顔は、泣きそうで、それを必死に怺えていた。
「ナナミ、…ごめん。ごめんなさい……」
「天威?」
「何とか、何とか仕事、終わらしたかったんだけど、やっぱり片づけることが出来なくて
……一週間前から何とか無くそうって頑張ったんだけど……。
昨日、また問題が起こっちゃって……」
必死になって泣くまい、と涙が流れるのを怺えているのに言葉を紡ぐ度に涙が溢れてく
る。泣いたってどうしようもないのに
「……だから、ナナミ。僕の代わりに……
じいちゃんのお墓参りに…行って来て……」
「天威……」
……忘れている筈がないのだ。誰よりも甘えていて、ずっとじいちゃんの後をついて回
っていた天威が。
だから。
だから、ここのところずっと大広間に籠もりっぱなしだったのだ。軍議をずっとして、
今日の日のために、今日何とか空けるために、ずっと、ずっと……。
天威が忘れる筈ないのに……。
ふわっと抱きしめた。きゅっと、落とされた肩を。
「天。お姉ちゃんに任しなよ。お姉ちゃんが天が行けない分、お姉ちゃんがじいちゃんに
言っといてあげるから。天の分もじいちゃんの墓掃除しておいてあげるから…」
落とした肩を抱きしめて、ナナミの肩に埋めている頭をよしよしと撫でて
「それにねぇ、じいちゃんならきっと分かってくれるよ。
天が来られない理由。
天は締南軍のリーダーで、忙しくって大変だって事、じいちゃんが一番よく知ってるよ。
それに、天威がお墓参りのためにどれだけ頑張ったのかも。
だからね、天」
今までナナミの肩にもたれ掛かっていた天威両肩を掴んで、引き起こしてナナミはにっ
こり笑った。
「泣いちゃダメだよ。
天威が泣いたらみんな悲しくなっちゃうよ。お姉ちゃんも悲しいし、アイリもリィナも
ロウエンさんも悲しくなっちゃう。じいちゃんも悲しくなっちゃうから、だから、泣かな
いで」
生成り色の手袋で涙を拭ってやる。こしこしと
ナナミに涙を拭われて、天威は拭われたその上を自分の革の手袋でごしごしと拭い、グ
スッと鼻を吸い込んで、にっこり。
「……ごめんね。みっともないとこ見せちゃったな」
いくら悲しくっても、ナナミ以外の人間がいるというのに泣いてしまった。すっかり忘
れていたわけではなかった筈なのに、気づけば涙が溢れて。
「…………」
恥ずかしくて、人前で泣いたことに後から気づいて恥ずかしくて、俯いてしまった。
ぶすぶすぶす…と顔が熱くなっていく。
「たぁ〜〜く、何恥ずかしがってんだよっ!! 坊や!! 今更恥ずかしがる事でもねぇだろ
うがっ!!」
ロウエンが照れて俯いていた天威を後ろから首に腕をまわし、ぐにぐにと首を絞めた。
首を絞めながら、ついでに頭を拳でご〜りごりとネジくり回して
「坊やが、泣き虫ちゃんだってことは、周知の事実だろうが。今更、照れたってしょうが
ないだろう」
首に回している腕にさらに力が掛かる。
「甘えてられる時が花なんだから、しっかり甘えちまえば良いんだよ」
脇の下にしっかり組み敷かれている天威ににかっと笑って見せた。
ロウエンの乱暴なセリフ、乱暴な扱いがかえってありがたかった。
「…ロウエンさん」
「何だい坊や?」
「……苦しいんです、けど…」
先程までロウエンの顔を見ることが出来ていたが、脳に行く酸素の量が極端に少なく、
よく見るとぐったりと項垂れていた……。
「あぁっ!! ごめんよ坊や、しゃんとおしっ!!」
意識がもう少しで消え失せる寸前で、何とか天威は解放され、ロウエンはナナミとアイ
リの両方から叱られてしまった。
リィナに「大丈夫?」と心配されながら、朦朧とする意識に喝を入れてふらつく体を立
たせた。
今もなお、ロウエンを叱っているナナミとアイリに、
「ナナミ、もうその辺にしておいて、もうそろそろ行かないと間に合わなくなっちゃうよ。
昨日の雪を考えたら、多分、燕北の峠は大変なことになってるよ」と、声をかけられたら
しょうがない。ナナミはもう少しロウエンに言いたそうであったが、しぶしぶその声に大
人しく従った。アイリも…同じく。
天威が持ってきた荷物を各自手に持ち、ビッキーの前に並んだ。
「じゃあビッキー、みんなを燕北の峠まで送ってあげて」
「うん、まかせてっ!」
ビッキーは手に持った杖の先の飾りに意識を集中し、何を言っているか分からない言葉
を唱え始めた。
ナナミは天威の方に向き
「じゃあ天、行って来るね」
「うん、じいちゃんによろしくね。
アイリ、リィナ、ロウエンさん、ナナミをお願いね」
ナナミの後ろに立っている二人は、アイリはナナミをこづきながら、リィナはそんなア
イリを見ながら、
「任せなって。こいつが無茶しないようにしっかり見ておいてやるよ。だからあんたは大
船に乗ったつもりで、待ってな」
「……アイリが張り切り過ぎないように見ておいてあげるから、安心しておいてね」
ナナミはアイリに文句を言い、アイリはリィナに文句を言う、と言う始末になって。
そんな賑やかな三人に何か言いたそうであったが、流石に口を挟める状態ではない。挟
もうでもしたら、三人いっぺんに反論されることが明白なのだから。
三人娘がきゃんきゃん騒ぎ立てているのを横目で見て、頭を押さえながらこの中で一番
…まともとは言い難いが、……いや、まともさから考えたら一番なのはアイリなのであろ
うが……。酒が足りず頭痛に悩まされているロウエンが、
「……坊や、あんたの心配はよく、分かるわ……。あまり、期待されてもしょうがないけ
ど、一応、子守しておいてやるよ……」
ていうか、何でこんなパーティーなのか? かなりパーティーバランスが悪い。大体、
Sレンジが誰もいないのだ。ナナミはMレンジだし、アイリとリィナと自分はLレンジ。
はっきり言って、物理攻撃に弱い人間が半数な気がするのだが…、いや、事実そうであ
るのだが
「すいません……、ご迷惑かけます」
天威自身にも、何か考えがあっての人選なのだろう……。
そうこうしている内に、ナナミ達が光に包まれるようになった。
周りを光が包み込み、次第にナナミ達の周りの風景が一点に吸い込まれていくように歪
んでいった。
「気をつけてね。燕北の峠のモンスターとか気をつけてね」
「大丈夫。心配ないよ」
「みんな、気をつけてね」
「任せとけって」
「天威もあまり無理しちゃだめよ」
「まっ、気楽に構えとけって。日が暮れる前に戻ってくるよ」
ロウエンが言い終わると、空間の歪みはピークに達し、ビッキーの
「えいっ!!」
のかけ声で四人は時空の歪みに消え失せた。
後の空間には、テレポートで四人を送ったビッキーと見送った天威だけが今まで賑やか
だった空間に取り残された。
テレポートの余韻が辺りに静かに消えていく。歪んでいた空間が時間が経つとともに元
に戻っていくのをじっと眺めながめていた。
はぁっとため息が無意識に吐き出されていた。
息が白くなって消えていった。この銀嶺城が位置しているでデュナン湖は普段は温暖な
気候で、そう冷え込むことはないのだが、この一週間は温暖な気候地帯には珍しく、霜が
降るまでに冷えていた。
吐き出した後、息が白くなって見えたことで、そこで改めて寒いことに気づき、ぶるっ
と身震いに襲われた。
「寒い……」
呟いても寒さが緩和されるわけではないのだが、気づかず呟いていた。
寒い。
「…何だ、行ってなかったんだ…」
後ろから面倒くさそうな声が聞こえた。
振り向くと、珍しい人間が立っていた。声で誰なのかは分かったのだがそれでも、その
人間が自分に声をかけてくるなど、思いもしなかった。
驚いた顔で振り向くと、「何?」と不機嫌そうな顔で睨み返してきた。
「ルック……」
「……。……てっきり、一緒についていくものだと思ってたけど」
喋ること自体を面倒だと感じているのか、喋る度に眉を顰めていた。
「……………」
「好き勝手なこと、出来ないから…」
寂しそうにナナミ達が消えた場所を見ていた。
普通の天威だったら、こんな思いはしなかったのだろう…。
「関係ないと思うけど……」
あくまでも素っ気ない。
「…前科があるから……」
前科がなかったら、あの時ナナミと一緒に墓参りに行っていただろうか。でも以前、誰に
も行き先を告げずに出かけた時、一人ではなく、フェザーも一緒についていってもらってい
たが、帰ってきた時、シュウにこっぴどく怒られたのだ。
「…前科ね……」
無論、その時のことはルックも知っていたが、『別に』自分には関係ない事なので、彼だ
けが、天威とフェザーの行った場所を知っていたが、誰にもそのことを伝えることはなかっ
た。
「…あんなの大したことないだろ…?」
「そういうわけには、いかないから……」
答えの分かっていた答え。 多分、この人間はそう答えるだろう。その通りにそう答えた。
くだらない。誰かと同じ道を知らずに歩いて行っている。まるで、目隠しされて、崖っぷ
ちに歩いていっているような…、でも、『こいつ』の場合は、歩いていく先が、無いことを
知っているような気もするけど……。
「馬鹿みたいだね……」
ふいっと背を向けた。
「そうかもしれないね……」
他人からしたら、その言葉につきるのだろう。何事も気にせず、自分のしたいことをすれ
ばいいだけのこと。たったそれだけのこと。
でも、今になってはもう出来ない。そんな不自由な立場を選んだから。
「馬鹿だよ……」
「うん…」
「………………」
ナナミ達が立っていた場所をしばらく眺めていて。気が済んだのか、いつまでも突っ立っ
ていてもしょうがないことが分かったのか、自分の部屋に戻ることにした。ルックは天威よ
りも先に動いていたらしく、振り向いた時にはもう背を向けて歩いていた。
ルックより数歩遅れて、階段を上がり広間を通り過ぎて…。ナナミが来た時はまだ、光は射
し込んでいなかったが、今はもう日が射し込むようになっていた。だから射す光の中を歩い
ていくのは、冷えた体を暖めてくれた。
ルックはもういつも通りの場所に戻っていて、無関心に立っていた。
さっきのことを思い出して…、ルックが所定の位置から動いて自分に話しかけた事に、珍
しいこともあるんだなと思いながらルックの側を通り過ぎようとしたら、不意に声をかけら
れた。
「……軍議?」
また、ルックだ。
「…そうだよ。まだまだ、しなきゃいけないことがいっぱいあるから」
「…そう」
これで話は終わったのだろうか?呼び止めれて、立ち止まったけど、どうも話の感覚がつ
かめなくていけない。変に突っ立ていると睨まれるし、話しかけると機嫌が悪いし…。
考えていても仕方がないから、チラッとルックの顔を盗み見て、こちらを見ていないよう
だったから、もう用はないだろうと思い、足を一歩踏み出した。
ルックの横を通り過ぎて階段を上がり、右に曲がりまた階段を上がって、左側にあるエレベ
ーターに向かった。
「………………。
………今日中なら、付き合ってやってもいいよ…………」
ルックの後ろに当たる階段を上がって、天威がルックに対して完全に背を向けた時、ぽつ
りと呟いた。
ルックの思いがけないセリフにハッとなって振り返えると、ルックの顔は約束の石版がル
ックの陰となって、見ることが出来なかった。
階段の踊り場の縁まで歩いていって、縁から身を乗り出して、ルックを上から見下ろす形
になり、といっても石版があるため真上からではなく、少し斜めから見下ろす形なのだが、
そんな形で、
「…ありがとう。…………ナナミが戻ってきた後に、お願いするね」
と小さく言った。
「……………………」
返答はなかった。が「ふんっ」と鼻の鳴る音が聞こえた。
その音を聞いて。天威はくすっと小さく笑って、何も言わずに自分の部屋に戻ることにし
た。彼の機嫌を損ねないように、足音を忍ばせてその場を離れた………。
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