亡き人を偲ぶ 




 またこの季節が巡ってきた。
 空は沈鬱な灰色に覆われ、日はその姿を厚い雲に覆われる。風は凍てつく幾億のかけら
となって吹き荒び、人の哀しみと共に雪は舞い降り、静謐と愁絶で世界は無彩色で閉ざさ
れた。

 冬が訪れた。


 吐く息が白くスッと消えていく。
 寒さが針となって、体を貫いてゆく。地面に接している足から冷気が伝ってきて、温も
りを奪う。頬にあたる風が冷たく、強張る感じで、じんじんと後からそう感じてくるのが
何か面白く、クスッと何とはなしに笑みがこぼれた。
 風に冷やされたズボンに肌が触れることで、外が寒いく冷たいことを再認識させられた。
 ただ空を見上げていた。
 灰色の染まった沈鬱な空を。空は泣きそうな顔のように雲が漂っていた。
 雪に覆われた白い大地。無彩色の林。孤独が辺りを取り巻いていた。
 そんな冬が好きだった。何もない静かな冬。いつまでも眺めていられそうな感じがする。
 白い息が規則正しく吐き出される以外、何も変化が無い、静止した世界。
 自分が立っている場所の後ろの方から、複数の人間の足音が響いてきた。
 新雪を踏み締める音。
 特有のキゥッキゥッと鳴るのが何となく楽しくて、雪が降った次の日の朝は、真っ先に
誰よりも早く外に出て、誰も足跡を付けていない雪の上を踏み締めた。自分の足跡を付け
て回った。その音が聞きたくて、ぴょんぴょん跳ね回る事がどうしようもなく好きだった。
足がどんなに冷たくなろうとも関係なく・・・・・・。
「ご苦労だったね」
そう声を掛けた。
「いえ、当然のことです」
と言ったのは、黒馬の手綱を持ったシードだった。
「・・・あまり、ご無理はなさらないように・・・・・・」
 シードの反対側に立っていたクルガンの声は幾分沈んでいた。
「・・・心配する事なんてないよ・・・・・・、馬で遠出するといっても、ハイランド国内なんだし、
今日一日で帰って来るつもりでいる。・・・・・・ハーンについてきもらうのだから、大丈夫だ
よ・・・・・・」
「そうですが・・・・・・」
 彼が馬で遠出をすると言ったのは、今日から一週間ほど遡った日ぐらいであったか・・・・・・、
この日、どうしても行きたい場所があるといって、この日を空けるために昨日までに全ての
仕事を消化した。
 一体何のために、何処に行きたいのか、結局今となっても知らされることはないが、昨日、
同行する人間がハーン・カニンガムであることを彼の口から聞かされた。
 ハーン・カニンガム。
 先のジョンストン都市同盟との全面戦争の折、ハイランドに勝利をもたらした英雄。現在
では、前線に立つことはなくなり、第二軍団長、皇都警護の任に着いているが、それでも未
だ衰えを感じさせることなく存在している。雪の中を立ちつくす少年の右手に宿る27の真の
紋章・黒き刃の紋章を宿していた人間。
 その彼が、ジョウイに同行するというのだから、心配である筈はないのだが・・・・・・、それ
でも、不安感を拭い去ることが出来なかった。
 クルガンとシードはジョウイと共に戦場に立ち、共に死線をくぐり抜けた者同士である。
ハイランドの行く末を憂い、ルカ・ブライトの狂気に危機を感じ、ジョウイのもとに下るこ
ととなった。
 しかし、ハーンにとっては、ジョウイは確かにジルを妻としたことで、ハイランド王家の
一員となったが、国王アガレスを毒殺し、狂皇子ルカ・ブライトを策略により殺した。
 ジョウイをハーンは決して快く思ってはいないだろう・・・・・・。だからといって彼がジョウ
イに剣を向けるというわけではないが・・・・・・。
 今回のこの遠出は、ハーンを連れていくことに意義があるのだろう。クルガンでもシード
でもなく、ハーン・カニンガムという存在に。

 ブルルッ。
 伏せていた顔を上げると、ジョウイが馬の頭を撫でている姿が目に入ってきた。
 馬は撫でられるのが心地よいのか、ジョウイの手に頭をすりよせてきて、もっと撫でてく
れっとせがんでいた。
 ジョウイはそんな馬の首に片腕をまわして、自分の頬を馬の首に押しあてていた。じっと
首にもたれ掛かって、馬の体温を頬から感じていた。体温を感じるのと共に、馬の命の鼓動
がとくんとくんと伝わってきて、心地が良かった。
 暫くの間、じっとそのままの体勢が続いて、二度目の馬の嘶きが聞こえたとき、ジョウイ
は体勢を元に戻した。それから、馬の鬣を二三度撫でて、シードから手綱を受け取り、ふわ
りっと馬に跨った。
 ハーンもそれと同時に馬に跨った。
 馬上からジョウイは、並んで立っているシードとクルガンに
「今日中に戻るつもりにしている。・・・まあ、日は暮れるだろうけど、留守中頼んだ」
「はっ、お気をつけて・・・・・・」
「有事の際はレオンの指揮に従ってくれ」
「・・・・・・はっ」
「では行ってくるっ」
 そう言うと、「やっ!」と鋭いかけ声と共に馬の首を返し腹を蹴り、駈け出した。ハーンも
一拍遅れで馬の腹に蹴りを入れて、駈け出していった。
 後には、雪の中を佇むシードとクルガンが残されて。雪煙に消されていく二人の後ろ姿を
見ながら・・・・・・。

 手綱を握りしめ、さらに凍てついた風を受けながら、ジョウイ達は馬を走らせた。
 鼻から息をすることが辛くて、口が空けっぱなしになっていた。口から吐き出された息は、
出た瞬間、温かさを感じたが、それもすぐ外気に冷やされ、頬にあたる時には氷の粒と化し
ていた。

 白い吐息を貫いて、走る。

 皇都ルルノイエを出発してから、少し馬を走らした時、ジョウイの後ろについて馬を走ら
していたハーンが、ジョウイの横に並び、今日初めて口を開いた。
「・・・陛下っ」
 馬を走らしているため、体が上下に揺れて言葉を紡ぐのが容易でなかった。
「・・何だ・・・」
ハーンの方を振り向かずに、答えた。
「・・陛下は、一体どちらへ行かれるおつもりであらせられますか?」
 クルガンやシードも思っていたこと。勿論、同行者の白羽の矢を立てられたハーンも尋ね
たかったことだった。彼自身、何故白羽の矢が立ったのか、心当たりというものがないのだ
から・・・・・・。ジョウイを守る、ということから考えれば、あの二人ほど適した人間はいない。
 何の目的があって、この遠出に出たのか? 
「・・・・・・」
尋ねられている間、彼の方を向くことなく馬を走らせていたジョウイ。
「・・・このまま、真っ直ぐ行った先にある・・・、山に囲まれた小さな街だよ」
 それ以上は、言う必要なかった。言う気もなかった。 この道の先にある街はたった一つ
しかない。
 その事を聞いて納得したのか、否、納得どうこうという問題でなく、これ以上は何を尋ね
ても、答えを得ることは出来ないだろうと悟り、ハーンは馬を後ろに下がらせ、ジョウイの
後をついて走った。

 ルルノイエを出て、白色に濁っていた空は、泣きそうに雲が漂っていて、今にも空から雪
が降ってきそうだった。
 白い世界に、小さい灰色の影がちらついてきた。
 空を見上げると、白一色の空から灰色の埃・・・・・・雪が降ってきた。
 雪は白い筈なのに下から見上げると、灰色に見えて全然綺麗に見えなかった。
 でも、この灰色に見える雪が積もると、何もかも覆い隠して、白一色に隠してくれた。
 何もかも、そこに何があったかも分からなくなるくらい、全てを隠してくれた。
 彼女の哀しみに染まった涙も、彼の全てを怺えた顔も・・・・・・。








 石造りの壁にある明かり取りの窓から、部屋の光によって浮かび上がった闇の中を白い妖
精が風に舞い上げられていた。
「・・雪・・・!?」
 今まで壁に凭れかけていた体を、ガバッと起こして窓に身を乗り出した。
「うっそ〜・・・、銀嶺城の辺りで雪が降るなんて・・・」
 ・・・これだと、キャロの街の方は大雪だろうな・・・・・・、とハァッと息を吐き出して、ナナミ
はまた、壁に身を預けた。
 壁は、冷気が染み渡っていて、体の触れている部位からどんどん熱が奪われていっていく
のが分かった。
 そういえば、今日はやけに寒かったもんなぁ・・・。
 お日様照ってたのに全然、外の温度上がらなかったし、地面さわっても、ひんやりして冷
たかったし、風が痛かったな・・・・・・。
「ガスってたもんな・・・雲。
 どうしよう・・・、明日はゲンカクじいちゃんの命日なのに・・・・・・」
 壁に凭れかけ俯いていた顔を上げて、扉を見た。
 自分が見た扉。その扉の向こう側には自分の義弟がいて、軍師や都市の代表と難しい話を
しているのだろう。
 ここのところ、義弟と一緒にいた覚えが余りない。朝起きて、朝食を食べた時まで一緒に
いるのに、その後は最近はいつも、義弟は軍議が忙しいのか大広間に籠もりっぱなしでいる
気がする。
 何でそんなに忙しいのか分からない、ちょっとは休めばいいのにと思うのけど、そんなの
は自分の身勝手で、言えるわけがなかった。天威は自分で望んで、銀嶺軍のリーダーになっ
たのだから・・・、義姉だからといって勝手なことは言えない。言いたいけど・・・言えない・・・・・・。
 ナナミはずっと待っていた。軍議が終わるのを、天威が出てくるのを。
 明日は、ゲンカクの命日で、どうしてもキャロの街に行きたいから、天威と一緒に墓参り
に行きたいから、その事を天威と相談したいからずっと待っていた。
 早めの夕食を終えて、・・・・・・実際は天威と一緒に食べたかったのだが、軍議が忙しくて食
べることは叶わなかった。それからずっとこうやって、旅の紋章球の前で待っている。
 だが、いっこうに軍議は終わる気配を見せなかった。
 今も言い争いが続いている。扉越しでも声が聞こえてきた。よく聞こえてくる声は、どう
やらリドリーさんや、フリックさんの感情的になった声であったり、テレーズさんの落ち着
いた声だったり、シュウさんの・・・冷たい声だったり。
 ゴツンと、うなだれていた頭を上げて石壁にあてて・・・、
「今日も会えないかなぁ・・・・・・。どうしても、会って話したかったのにな」
 仕方ない、という気持ち半分、どうしようもで出来なくて苛立ち半分。
 部屋に戻っておこうかな・・・。それとも、天威の部屋で待っておこうかな。天威の部屋・・・、
暖炉が入ってて暖かいし・・・・・・。
 でも、いくら天威の部屋が暖炉が入っていようが、ナナミの冷えた足がそれで暖かくなる
わけでは、なかった・・・。
「部屋に・・・、戻っておこうか・・・・・・」
 いつまでもここで待っててもしょうがないから、じゃりっと右足で床を擦って、壁に接し
て冷えた体を起こして、部屋に戻るためにエレベーターに足を向けた。
 とことこと歩いて、旅の封印球からエレベーターまでそんなに距離はないのだが、ナナミ
がエレベーターに辿り着くまでに、大広間で変化が起きた。
 ドタドタと賑やかになった。別に言い争いが、さらに白熱しているわけではなくて、誰か
が慌てて行動を起こしているようで、そのせいでやたら机や椅子にぶつかって物音がたって
いた。その慌てぶりにシュウが注意したが、その注意された相手は、臑をぶつけようが、肘
を打とうがそんなことなどお構いなしに大広間を出ていった。

 バタンッ!!

と大広間の扉が開け放たれた。
 ナナミは、エレベーターが来るのを待っていて、その騒がしさに一体何事かと振り返って
みると、両方の扉を開け放って天威が飛び出してくるのが見えた。
「えっ天威ッ!?・・・」
と言い終わるか終わらないうちに、天威におもいっきりし抱きつかれた。
「ナナミッ!!」
 いきなり抱きつかれて、抱きつかれたナナミも一体何が起こったのか最初の方は分からな
かった。
 開け放たれた扉の向こう、大広間にいる人間にこの今の状況は丸見えで、一番扉の近くに
座っていたフリックや天威の声を聞いて扉の方まで歩み寄っていたシュウの顔が、一体何事
だ、と言っているような表情なのが見えた。
 ぎゅうっと抱きしめてくれた。
 ちょっと息苦しい感じがしたけど、すっごく気持ち良かった。天威の体温がすっごく温か
くって、今まで待っていて冷えた体に温もりが伝わってきて、心地よかった。
「ふに〜〜、天威だ〜・・・」
自分の肩に頭を埋めて、ぎううぅぅと抱きついていた。
「・・・・・・」
「お〜い、ねぇ・・・天威〜、ちょおっと苦し〜よ〜〜」
いっこうに力が緩まる気配のない腕。このままずっと抱きついているのではと思うぐらい、
天威はナナミにしっかり抱きついていた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「天威?」
と呼び掛けてみたら、ようやく腕の力を抜いてナナミを解放した。でも、解放する時、今の
ままでいたかったのか、まだ抱きついていたかったのか、名残惜しそうにノロノロとした行
動だった。
 ナナミは天威の抱きつきから何とか解放されて、どうしたのっという風に
「天?」
と顔をのぞき込んでみた。
 のぞきこんだ天威の顔は、数日の軍議のせいで幾分か窶れていたが、それでもいつもナナ
ミに見せる笑顔をしていた。それでもナナミには、天威が疲れているのは一目で分かったし
、無理をしていることを知った。無理をして平然としていることを。
 そんな無理をしている天威を見て、ナナミはその瞬間に紙に水が染み渡るように不安の色
が広がりそうになったが、天威は
「ナナミ」
とニッコリ笑って、ナナミの両手を握った。両の手をぎゅうぅと握って
「ナナミ、すっごく急だって分かってるんだけど、僕のお願い聞いてくれないかな」
と切り出した。
「お願い?」
 天威からお願いを頼んでくるなんて珍しいと思いながら聞き返すと、コクンと頷いて、握
っていた両手に力を込めて
「うん。・・・すっごく我が儘だって分かってるんだけど、でも、ナナミ以外に頼める人がい
ないんだ。ナナミにしか頼めないから・・・・・・」
とシュンと項垂れた。
「天、お姉ちゃんに言ってみなよ。お姉ちゃんが天威がして欲しいことしてあげるから」
今まで握られていた手を自分でほどき、今度はナナミから天威に抱きついた。
「あたしは、天威のお姉ちゃんなんだから、何でも言っちゃって良いんだよ。
 天威は、今リーダーになって大変なんだから、何かして欲しいことがあるんなら、お姉ち
ゃんがしてあげるよ。だから、そんなに気になんかしなくていいんだよ」
きゅっと握ってて、項垂れていた天威のおでこにコツンとナナミのおでこを当てて
「だから、天威がして欲しいこと言ってごらんよ」
そう言われて天威は少しの間、戸惑ったように視線が左右に揺れたが、それもすぐなくなり、
ナナミを見据えて
「ナナミ、・・・今は時間がなくて詳しいこと、話せないんだけど、明日、明日の朝、起きたら
すぐにビッキーのところで待っていて欲しいんだ」
「ビッキーの所?」
「お願いだよ、朝起きたらすぐに来て欲しいんだ、ご飯も食べずに」
と天威の必死の様子に、ナナミは気圧されてただ頷くことしか出来なかった。
「・・・な、何だか、よく分からないけど明日の朝、ビッキーの所で待ってればいいのね?」
「うん。
 お願いだよ、必ず、朝起きたらすぐに、行って待っててね」
 そう言って天威は、ナナミにもう一度きゅっと抱いて、停まっていたエレベーターにナナミ
をつっこみ、「必ずだよっ」と念を押して、天威は階段の方に駈けていった。
 ・・・・・・ナナミは、エレベーターにつっこまれたナナミは、天威に何か言いたい筈だったのに、
それを言う前にエレベーターの中につっこまれ、しかも当の天威は階段の方に走って行ってし
まい、結局何も言えないまま、自分の部屋に戻っていくこととなった。
 部屋に戻って、今日天威に言われたことを思い出して
「・・・え〜と、明日の朝、起きたらすぐにビッキーの所へ行けばいいのよね・・・」
とベットにはいる前に、再確認して眠りについた。
 夢に入る寸前・・・、そう言えば「ゲンカクじいちゃんのお墓参り・・・・・・」と天威に会う目的を
この時ようやく思い出したが、もう気づいた時には夢の中へと旅立っていた。


 (last up 2000)