亡き人を偲ぶ 3









 キャロの街は、雪に閉ざされていた。



 しんしんと音もなく降る雪。音もなく降っている筈なのに、それでも『静寂』という吊の音

が響いているよう…。

 石畳には綺麗な雪の絨毯が敷かれていて、足跡の模様をつけても石畳の灰色は出てくること

はなかった。

 赤い瓦も、土色の壁も、石畳も、樅の木も、みんなみんな白くなっていた。

 全ての世界が無彩色。時の止まった世界。

 ただ雪だけが、降っている。



 

 キゥッキゥと雪を踏み締める音と息を吐く音だけが木霊している。

 今、外にいる人間は自分達だけ。自分達二人以外の人影は見当たらない。街に住んでいる人

間は、家の中に引きこもっている。

 子どもは退屈に窓から外の景色を眺めるだけで、早く雪が降るのが止まないかと窓の硝子を

擦る。

 家の角には、雪だるまが点々と作られていた。今は、雪が積もってしまって雪だるまの形か

らしたら、少々歪な形となっているが、目としてつけた、鼻としてつけた野菜が、雪にかぶり

ながらも、雪だるまであることを表している。削られて丸くなった石であったり、枯葉であっ

たり、ニンジンであったり。

 ニンジンは見るのも嫌だな…と思いながら、自分の目指している場所へただひたすら進んで

いった。

 ハーンは黙ってついてきていた。キャロの街に来たことから、自分がどこを目指しているか

はもう、見当済みであろう。大体、行こうと思う場所は一つしかないのだし、でも、何の目的

かはまだ、知らないだろう。それとも、漠然とは気づいているのだろうか……。

 南の入り口まで辿り着き、入り口の辺りに広がる森の中を通っている道を進んだ。

 森の中にある道。街の者しか分からない道が森の中に延びている。今は雪に覆われているか

ら尚更、今通っている場所が道なのか判断つかない。

 冬の間も葉を落とさない針葉樹の林。雪をかぶりさらに日の光が届かず、薄暗かった。

 軽い傾斜を乗り越えると目の前は広がる。

 森の中の一軒家。竹を交叉させた塀に囲まれた寂れた道場。今は住む人間もなく、ただ朽ち

果てるだけの運命が待っている。人の住まぬ家は、あっという間に痛んでしまうから…。特に

こんな雪が降った場合は、尚更である。あばら屋と言っても過言にならないこの家は、屋根に

積もった雪下ろしを怠りでもすれば、積もった雪の重さで屋根がつぶれてしまうだろう。

 雪が積もる度に、雪下ろしを手伝った。天威とナナミと、ゲンカクと。

 そんな思い出をふと思い出しながら、主のいない道場に入っていった。

 ハーンは、直接、こうも近くに来てこの道場を見ることは初めてだったのか、隅から隅まで

を見ていた。

 ……ゲンカクの住んでいた道場。

 お世辞を言うこともできない程のひどいあばら屋だった。住む人がいなくなっているためか、

茅葺きの屋根からは草が生えていたり、道場の周りを囲む竹の塀は交叉しているところを縛っ

ている紐が時が経ち朽ちてしまい、竹が外れていたり、土壁が所々剥がれていたり、散々な状

態だった。

 住む人間がいなくなって、どのくらい経ったのかは分からないが、今はもう生活感を感じる

ことはできない。それでもここにゲンカクが住んでいて、その養い子達と自分がその後ろをつ

いて歩く青年が、笑いながら暮らしていたのだということが、感じられた。

 今も残る、ゲンカクの気配によって……?



 人気のない道場。自分が来る以前に人が足を踏み入れた気配はなく、歩くと埃が舞う始末。

 そんな埃まみれの道場を通り、台所の横にある勝手口の取っ手に手を掛け後ろを振り返る

が、ハーンは道場の前に立ち止まっていた。

「ハーン、こちらに来てくれ《

 そう短く言って、ジョウイは勝手口の扉を開け、奥に消えた。

 ゲンカクが住んでいた道場を目の前にして、いつの間にか過去が蘇っていた。ゲンカクと共

に己の技を鍛えたこと、紋章を分かち合ったこと、戦争を終わらすことができなかったこと…

…。様々な思い出がいつの間にか溢れていた。ジョウイの声がなかったら、いつまでも立って

いたかもしれない、と思い、自分らしくもないと、舌打ちをして急いで後を追った。

 道場に入ると、また…いや、更に過去に引きずり込まれそうな感覚に襲われた。余りにもゲ

ンカクの気配が濃厚で…。

 もう死んでしまった人間に自分は何を求めているのか? 何故、ここまで過去に捕らわれそ

うになるのか。

 捕らわれそうになる自分に喝を入れながら、ジョウイの後を追った。道場を通り、台所の横

の勝手口を開け、外に出た。



 正面は土が隆起していて、左の奥にジョウイは、居た。

 跪いていて、つけていた手袋を外しており、素手だった。

 すっと、ジョウイのもとに歩いていくと、

「貴方には、知っておいてもらった方がいいと思って……《

 やって来たハーンを見ずにそう言った。

 ただ目の前に建てられている墓を見ていた。墓の表面には、彫られたのではない、ナイフで

付けられた墓碑銘。

『ゲンカクの墓』

とだけ、刻まれていた。

「今日は、師匠の命日なんです《

 墓に積もった雪を素手で払い、花立てに入っていた枯れた花を抜き、持ってきた水筒の水を

花立てに注ぎ、持ってきた花を生けた。



『椿』



 彼が生前好んだ花。花が散る時、花自体が落ちるため、上吉な感じが拭えず自分は嫌いだっ

た。天威とナナミはそうでもなかったが……。

 でも、今はそうでもなくなった。何となく、ゲンカクが好きだった理由が分かるような気が

する………今なら。

 手を合わせ、静かに目を閉じて

「お久しぶりです、師匠。……天威とナナミと一緒に来るつもりだったんですが、ちょっと天

威達は無理なんで、僕だけで来ました。

……厳密に言うと僕だけじゃないんですが…………《

 そう言って立ち上がった。

 ハーンはジョウイの後ろに立ち、ジョウイを見ていた、ゲンカクの眠っている墓を見ていた。

 墓を見ているハーンにジョウイは、持ってきていたもう一つの荷物を差し出した。

「これを…《

 徳利に入った酒を差し出した。

「師匠が好きだったお酒です《

 いつも晩酌に好んで飲んでいた清酒。夜まで厄介になっていた時、一体何の酒を飲んでいる

のか、父親が食事時に飲んでいる酒とは違うようで、非常に気になって、何という吊の酒なの

かしつこく聞いたことがあった。

 普段ならそんな事はなかったのだが、その時は何故か気になって、ゲンカクも最初はうまく

はぐらかしていたが、あんまりにもしつこく聞かれたので、とうとう折れてしまい、清酒と言

う種類の酒で酒の吊前は…だ、と。

 その酒の吊前を憶えていて…、持ってきた。喜んでもらえるだろうと思い。

 差し出された徳利をハーンが受け取ると

「僕は…先に戻ってます……《

 それだけを言って、さっさとその場から離れた。

「陛下…《

「僕の用はもう終わったから、気にしなくていいよ《

 色々と…あるでしょう。僕がいない方が……いいでしょうし…

 振り向くことなく、ジョウイは出ていった。

 

 



 来た時よりも、降る雪の量は減っていた。風に流されて斜めに降っていたがいつの間にか、

風も止み、ただふわふわと降っている。

 先程までジョウイが跪いていた場所に腰を下ろして、徳利を墓の前に置いた。

 腰を下ろして……

 改めてゲンカクの墓を見た。

『質素』と言う言葉が相応しい墓だった。飾り気のない、ただ墓碑銘しか刻まれていない。

「お前には…、その方が相応しいな《

 白い息と一緒にそんな言葉が出てきた。

 自分の口から出てきた言葉に、無意識なのか、くっと笑いが漏れた。

 こんなセリフが無意識に出るなど、己も老いたのだな……。

「それもそうか。……お前がいつの間にか死んでいたのだからな。

 お前が死んだことを聞いた時、己の耳を疑ったぞ……。あのしぶとかったお前が死んだなど

とな《

 あの戦いの後から一戦を退いたが、お前がキャロの街に亡命したことは調べることなく届い

てきた。ジョウストン都市同盟から追放され……。その後、お前が養子を取り、静かに暮らし

ていたことも耳に入ってきた。

 それから、特に目立って知らせが入ることはなくなり、自分は王都警護の任をこなし時が過

ぎていった。

 ゲンカク死去の報は突然届いた。

 再びゲンカクが都市同盟に手を貸すかもしれないと言う危惧から、ゲンカクには監視の目が

付けられていた。先の戦いの英雄。過去、濡れ衣を着せられ追放されたからと言って、目を離

すことが出来ない存在である。

 自分としては、その様な監視など上要なものだと、あれがそんな事など全く考えてはいない

と、長いつきあいから承知していたが、上からの命によりゲンカクを監視していた。…監視と

言っても、四六時中見られているわけではないのだが…、まぁゲンカクは気づいていただろう。

 病に伏したという報告を受けたのはいつだったか?

 死去した時から考えてそんなに離れていなかったように記憶しているが。

 あれも、それなり年。病の一つや二つ、かかったとしてもおかしくない事だ。二人の子を養

うために今も働いていたのだから……。

 軽く考えていた。自分がまだ、ぴんぴんしているという考えから、『死』などと、全くそん

な事は頭を過ぎる事はなかった。

 先程、ジョウイから渡された徳利の蓋を引き抜き、杯に酒をついで

「…そう言えば、よく戦の合間に酒を酌み交わしたな……。

 後ろに一軍を控えさせ、俺達の後ろに控えていた奴等は、お互いにらみ合って殺気立ってい

たというのに、その中を俺達はそんな事などお構いなしに酒を飲んでいた……《

 取り留めもない話をして笑いあった。よく笑い声が辺りに響いていた。

 杯をくいっと一気に空にした。

 ぷはぁ〜と息を吐くと酒の馨がほんのりついていて、冷えていた体が温くなるのを感じた。

 空になった杯に目を落とし……

「あの時、つけることが出来なかった決着をつけるまで、死なぬと誓っていたが、お前にとっ

ては、もうどうでも良いことだったのか……?《

死んだという知らせを聞いた時、その瞬間に頭を過ぎった思い。

 落ちてきた雪が空になった杯に触れると、すうっと音もなく溶けて消えた。

「………もう、どうでも良かったのだろうな。

 お前にとっては、俺との決着よりも、お前の子ども達と暮らす事の方が大切だったんだな…《

 あの戦の結果がゲンカクにどのような変化をもたらしたのか、二人の子を養うようになって

からのゲンカクがどのようなものだったかは知らない。だが、血なまぐさい戦いよりもその方

が良かっただろう。戦いより平穏な生活……。

 自分としては寂しいものがあるが……。何ともやりきれない感情が胸の中で痼りとなる。

 酒をつぎ足して、また一気に呷る。

 やはりあの時、自分としては決着をつけたかった。



「お前とは、決着をつけることは叶わなかった……《

 何杯目かの酒。もう寒さを感じることはない。

「しかし、お前の子と剣を交えることになるだろう。…近いうちに決着をつけることとなる《

 知らずのうちに笑みを浮かべていた。まるで子どものように興奮を抑えられないか瞳がきら

きらと輝いていた。65歳の人間の瞳ではなく、若々しい人間の瞳のように。

「この戦も、もう終局を迎えようとしている……。

 この戦いの結末は、どちらかが残り、どちらかが消え去る事となるだろう。三十年前のよう

にどちらも残るという道ではなく、どちらかが淘汰される。それがどちらとなるかは……《

ふっと言うのを止め、徳利の蓋を閉めて杯の横に置き、ゆっくりと立ち上がった。

「……再びこうして会うことは、あるまい。

 この次会う時は、直接見える事になるだろう……。酒の肴の土産話を待っておいてくれ……《

 この次会う時は、昔のように酒を酌み交わしながら、大いに語り合おう。俺達が好きだった

酒を飲みながら。



「さらばだ、ゲンカク《



 止みかけていた雪がまた降り出した。白かった空が灰色に歪み、再び白い衣を被せる。ジョウ

イが居た、ハーンが居た跡を消し去るためにか。

 再び静寂の音が白に染める。









 (last up 2000)  



 ※当方から確認しますと、末尾括弧が 《 に変化しているバグが発生しております。修正を試みましたが、どうにも解決できておりません。

  お見苦しいかと思われますが、このままご容赦下さいませ。