ジョウストンの丘から眺めるミューズ市街、その周囲に広がる平野の景色は広大なもので、
初めて目にした自分にとっては感動を覚えるものだった。
通された議場には、すでに各都市代表は席に付いていた。
ミューズ、サウスウィンドウ、グリンヒル、マチルダ、ハイイーストの代表…多民族で構
成されている街もあり、代表者は都市の数だけの人数ではなかった。
議場の中心には、締南国銀嶺城宰相であるシュウが、その隣に締南国大統領であるテレー
ズが座した。
「炎の運び手の方々、遠路遥々、よくこの締南に来て頂いた。
昨夜は突然の襲撃、貴殿らの手までも煩わせる結果となった事に、まずはお詫びを申し上
げたい…」
そう言って…、黒い長髪が見事な宰相が口を開いた。
「ではこれより、締南国軍派兵における議会を始める」
ミューズの街は開放した時期が遅かった事もあり、そう頻繁に訪れていたわけで無いがそ
れでも、何処に何があるかは判断が付く。
ミューズ市軍の厩に急ごしらえで立ててもらった翼竜サイズの竜房からブライトを引き連
れて、目的の場所を目指す。
行き交う街の人間は流石に、竜の姿が珍しいのか好奇の眼差しでこちらを見てくるが、そ
のどれもは暖かく優しいものだった。
ゆっくりとした足取りで街を進んでいく。
こうして歩くと、昔の戦争の傷痕は癒えたもので、それだけの年月が経っていたのだと実
感出来た。
「お〜いっ、フッチ〜!」
聞き馴染んだ声に振り返ると、ナッシュがこちらに向ってきた。
「ナッシュさん…。議会の方に出るんじゃなかったんですか?」
歩みを止めて待ってると追いついた。
「…最初は傍聴しておこうかとも思ったんだけどな、話がカタくて重くなりそうだったから、
ジョウストンの丘から景色眺めて、バックれた」
と笑って答えた。
「確かに、楽しい話の内容ではないですしね」
「だろ?
ところで…」
「はい?」
どことなく聞きづらそうに聞いてくる。
「フッチはブライト連れて、どこ行くんだ?」
ブライトの巨体は嫌でも目に付く。コッソリ、と言う事自体無理な話だろう。今もブライ
トはミューズの街を興味深げに見回して、大きな白い尻尾をご機嫌良く揺らしていた。
「…えぇ。以前の馴染みの方に会いに行こうと思って…」
「…締南の英雄?」
「そうですね、天威さんに会えれば良いんですけど、どちらかというとイーヴァさんかな」
「トランの英雄の方か…」
「イーヴァさんなら会えるんじゃないかなって思って。
最近、会っていなかったので顔を見に行きたくて…」
懐かしそうに表情を緩める。自分の過去を知っている人間に会いに行く事は、悪いもので
はない。
「…ならさ」
「何でしょう?」
「俺もちょっとだけ同行していい?」
「…………」
少し考えた。一体どうして…?という考えが生まれる。ハルモニア絡みでイーヴァさんに
会いたいのか…と考えて、一つの事を思い出す。そういえば…そうだ。
「良いですよ。迎賓館の中までだったら、何の問題も無いでしょうから」
と意味有り気な視線を送ってみると、ウンザリした感じで苦笑した。
「…俺としてもね、あれだけやらかしたのに顔出さないで帰ったりなんかしたら、それこそ
半殺し以上の目に合うからね…」
と、精彩の欠けた笑顔だ。背中をよくよく見ると赤のワインボトルが見えた。
「大変そうですけど…。
何だか楽しそうですね、ナッシュさん」
「…………。
まぁ、ずっと追いかけてばっかりだったから…、ゆっくりと会えるとなると有難いよ。
…軟弱な話だけど、体が結構悲鳴上げたりしてるからな……」
「15年ですものね…」
「あぁ…。もう15年だ……」
迎賓館への道のりを二人と一頭はゆっくりとした足取りで進んでゆく。
「…しかし、フッチ。
お前、後からヒューゴ達に恨まれるんじゃないのか?」
「どうしてです?」
「お前一人だけ、英雄に会いに行ったなんてゲドは兎も角として、ヒューゴやクリスは憤慨
しかねないぜ?
あの時、会えないって三人揃って言ったのによ…」
昨夜、酒場での三人合致の否定に、ヒューゴとクリスが肩を落とした姿は目に新しい。
「嘘はついていませんよ」
「ん?」
「僕達は、『天威さん』には会えないだろうって言ったんです。
シエラさんやイーヴァさんについて言ったつもりはありませんよ」
と、城の乙女達が見惚れる柔らかな笑顔を見せつけた。
「…………。
確かに…、そうだったな…」
思い返してみると、話題に上がっていたのはこの国の英雄。トランの英雄とシエラではな
かった。まぁ後者二人の話題を振ったとしても、結果は同様だっただろうが。
そうこうしている内に、二人は迎賓館の前に辿り着いて。
衛兵達は話が通っているようで、引き止められる事無く正門を通過した。
フッチはブライトを庭に連れて居ていき、玄関をくぐった。
迎賓館の中は、灯りが抑えられていて、それとともに人の気配も少なかった。迎賓館の大
きさからすると考えられないぐらいの人数だった。
少しの間、玄関ホールを手持ち無沙汰で立っていると、足音を抑えた女官が奥から出てき
た。
「…フッチ様、ですね」
きつそうな眼鏡をかけた妙齢の女官で、いかにも融通が利かない印象を与える女性だった。
「あっ、はい…、あの…」
と言葉を続けようとすると、
「イーヴァ様は起きていらっしゃいますので、お部屋にお通しさせていただきます」
と答えた。どうやら、こちらの動向は想定済みのようだ。
「ナッシュさん、どうします?」
この後どうするのか、とフッチが首を廻らすと、
「…あれ?」
もうフッチの隣にはナッシュの姿は無かった。
どうやら、余計な心配だったようだ。
フッチは女官に目配せすると、彼女の後について、館奥に入っていった。
『…大体、この手の館の造りは勘が働くんだよね…』
とロッカクの里の者も舌を巻く程の、隠密振りでナッシュは館の中を歩いていた。
この迎賓館の客は三人。国主が泊まっている以上、対象は館の中心部以外の部屋となるだ
ろう。
さてはて、どちらに泊まっているか…。
少し思案していると、フッチ達の気配を感じた。自分とは逆の方向を進んでいる。そうな
ると…、目的の部屋はこの先、だろう。
よくよく見ると、回廊の窓は、雨戸までがしっかり閉められた状態でカーテンが引かれて
いた。
『ふぅん…。
あいつの事、よく知ってるってワケか……』
15年前、軍の一員であり『同胞』であるからか…当然なのかもしれないが、少々面白くな
いな…。と肩を竦めて、棟の最奥にある寝室の扉まで来た。
気配を窺ってみると、全くと言っていいほど人の気配は無い。
だが…。
扉に手をかけようとすると、躊躇する。
魔力の放出が感じられる。
『……、念には念をってか?』
扉に施された雷の封印。それほどまで余裕が無いのかそれとも…、
『人の試しているのか…?』
…何だか後者な方の気がしてならないのは、それこそ15年間培ってきた付き合いからだろ
うか…。
どちらにしても、結果は変わらない。
ナッシュは対雷効果の手袋を嵌め直して、ドアノブを回した。
部屋の中は薄暗く、無人かと思ってしまうぐらい静やかで冷ややかだった。
当然の事ながら、窓からは陽光が入ってきていない。
床を覆う豪奢な絨毯の感触を確かめながら、これだけの毛足であれば、足音を十分に吸収し
てくれるだろう、と。
ゆっくりと部屋の中心に鎮座しているベッドへ近づく。天蓋付きのベッド。
周囲を覆うカーテンまでも下ろした状態で、内がどうなっているか判断つかないが。
そっ…と、布の擦れる音を音も立たないようにカーテンを開いてみると。
「シエラ…」
暗い室内では顔色を窺う事も出来ないが、そこにはシエラが横たわっていた。
こうして近くに寄っているというのに、何の反応も無いということは、それだけの疲労を受
けていると言う事だろうか…。
「御伽話だと、接吻で眠りを醒ますってのがあるけどな…。
生憎、俺は王子様じゃないし、お姫様もキスより好物なものがある…」
そうぼやいて、背負っていたワインを取り出す。
部屋に用意されていたワイングラスを取り出して、赤ワインを半分グラスに注ぐ。
揺れる水面に鼻を近づけてみて、ワインの質を確かめてから、徐に腰に下げている愛用のナ
イフを取り出し、親指の付け根に一閃走らす。
「…流石に、自分のを飲むのは気が引けるからな…」
と、紅い流れをワインに注ぐ。
「……、これで落雷ってのは勘弁してくれよ、お姫様…」
そう言って、グラスの液体を口に含み、シエラにゆっくりと影を落とした。
「………、お主にしては気を利かしているのう…」
今まできつく閉ざしていた瞼が開き、紅玉が薄らとその姿を覗かせた。
「気がついたか…?」
傾けていた体勢を起こして、シエラと距離を開ける。
「…ふん。貴様のような無粋な気配があっては、眠ろうにも煩わしくて叶わぬわ…」
そう答えて、横たえていた体を起こし、ナッシュが持っていたグラスで喉を潤した。
「ワインのセレクトはどうかな? 俺にしてはかなり身銭切ったんだぜ…」
と苦笑を洩らす。
「お主も色気の無い男じゃのう。そのような現の事を持ち出すなど、まだまだ青い…」
ふぅと息をつく。
「へぇへぇ…、悪うございますねぇ。色気も嗜みも無い男で……」
「これで血の味まで悪かったら、それこそ何の価値も無い人間じゃ」
「…………」
流石に凹む。
「じゃが…、ワインと昨夜の礼は施さねばならぬのう…」
すい、と白い左手が襟まで降りていったら
気付けば、床と天井が逆転して。
紅玉が笑うように瞬いた気がした…。
「やぁフッチ、久し振りだね」
そう言って部屋で寛いでいた主が出迎えてくれた。
「お久しぶりです、イーヴァさん」
自分はこの15年ですっかり変わってしまったが、この『トランの英雄』は…、いやこの館の
賓客である3人は、出会ってから時を留めたままだった。それでも…、その事実は何の蟠りで
もなかった。
「暫く会えていなかったけど、大分ガタイが大きくなっちゃったね」
何ていうのか背も胸板もしっかりしたっていうか…、と目を丸くした。
「…そのセリフ、天威さんにも言われたんですよね。
確かに昔の線の細さを思い浮かべると、自分でも逞しく育ってくれたなって思いますし」
「窓から見たけどブライトもホント、大きくなってるものね。
元気そうで何よりだよ」
そう笑顔で労ってくれた。
「…イーヴァさん達は、何かご存知なんじゃないんですか…」
ソファを促されて、出された紅茶を一口含んだ。
締南に炎の運び手が召喚される事となった。
だが、締南はグラスランドとは隣国ではなく、ティントを挟んだ形であり、グラスランド自
体で何らかの事変があったとしても直接被害が出るわけではない。
なのにだ。
ティント自体は何ら、ゼクセンにもグラスランド・シックスクランに対して軍事・人道支援
は行っていない。
いくら15年前に因縁があったとしても。
派兵は国庫を傾かせる。戦争は簡単に起こせるものではなく、兵、輜重を賄える国力が無け
れば出来るものではない。
それぐらいに、安易な判断で行えるものではないのに、天威はそれを承認した。
戦争を行うリスクを一番理解している彼が…。
「…さあね。
フッチ、僕達は色々な面で情報が不足しているんだよ…。距離が空いている以上ね…」
イーヴァも紅色の水面を揺らした。
「…………ですが…、でも…今回の締南の派兵は納得出来ません…」
「……うん、確かに理由としては強引だからねぇ」
「じゃあ、どうして」
「それは秘密」
とニッコリと笑顔を見せられた。
この「如何にも作り笑いですけど鉄壁です」な笑顔をされると、周りが何をどう言っても聞
き出すことが出来ない。可能なのは彼の忠実な従者くらいだろう。
「…判りました。
今回の事は、これ以上イーヴァさんにも天威さんにも訊きません」
「うん。それがいいよ。
どうせ、もうすぐしたら判る事だろうしね……」
「…………」
「そう言えば、…今回はミリアの子どもが一緒なんだっけ?」
ちらっと聞いた話をイーヴァは持ち出してきた。
「えぇ。一緒ってワケじゃないんですけどね…。
シャロンって言って、僕が竜洞を出た後、追っ掛けて来て…」
と語るフッチの表情は苦労が滲み出ているもので、
「…ミリアの娘である以上、無碍にも出来ないな…」
苦労症なフッチを同情した。
「でも、シャロンを見ていると、もしかしたらハンフリーさんも僕みたいな苦労してたんじゃ
ないかなって思ってしまって…」
ふと過去の己を振り返ってみるのが恐ろしい。
「……、『シャロン』がどんな子なのか知らないけど、フッチの場合、そういう苦労はかけて
いないと思うよ」
「そうだと良いんですけど……」
と確認出来ない事に気を病む事となった。
(last up 2007)食い違ってるかもしれないけど気にシナーイ。 ← →