古き英雄から 17 










 応接間の、ドアの向こう側から響いてくる足音が一体誰か、靴音の間隔、速度から判断
出来た。
 そして、その人間である事に、イーヴァは軽く安堵の息を吐いた。
 ノックは無く、極力音を抑えて、締南国宰相シュウが入って来た。
「…まだ、起きていらしたか」
「あぁ、きっと貴方が来ると思ったので」
と答えるイーヴァの顔色は良いものではなく。彼自身、ソファに体を横たえて沈み込んで
いた。
「天威殿は?」
「部屋に着くなり、ベッドに直行したよ」
その天威の様を思い出したようで、軽く笑いを浮かべた。
 大通りでシュウ達と別れた後、天威達は自分達が寝泊りする部屋に戻った。シエラは、
部屋の前に着くと自分が部屋から出てくるまで人を寄せるな、と伝えて入った。
 その後イーヴァは天威に付き添って彼の部屋に入り、ベッドに沈み込んだ様を見届けた。
イーヴァ自身最後まで起きていたのは、ただの意地。
 天威を差し置いて自分が早々にベッドに入る事を良しと思えなかっただけである。
 実際シエラは、意地など関せずに部屋に入っている。…彼女の場合は、あまりに由々し
き状態であったと言う事もあって、早々に部屋に引っ込んだのだが。
「シエラは?」
「時期が悪過ぎたって言って、部屋に篭った。
 しばらく人を近づけるなって。後、起きた時に、赤ワインの名品、用意しておけって」
 今宵は満月で。シエラの持つ『月の紋章』の力が最高潮に達する時期であり、『吸血鬼』
の性が最も強まる時である。
 その時期に紋章の力を解放する事は、紋章自体の力を強くする事、シエラ自身の紋章へ
の制御が弱まる事を意味していた。その為故に、早々に引き下がった。
「……問題ないのか?」
「それを本人に言えば?
 きっと落雷間違いなしだよ」
「確かにな…」
 シエラの矜持の高さは新同盟軍内では、知らぬ者がいないほど。黙って成り行きを見る
ことが吉であろう。
「…で、貴殿はいかがか?」
 さらりと訊かれたくない事を、平然と訊いてくる。
「相変わらず意地悪だね。
 僕もそろそろ休むつもりだよ。皆、先に休んでしまったので、言伝の役が回ってきただ
けだから」
「そうか。
 天威殿も、早々に目を醒まされるとは思えぬが、議会は予定していた時刻より、一時間
後に開く事が決定した」
「ジョウストンの丘で?」
「そうだ。連中は天威殿らに御会いしたがっている様だが、遠慮してもらう。
 この館自体、最低限の人払いをしておく。明日はゆっくりと英気を養ってもらいたい」
「…残念だろうね、彼ら」
 山猫のような少年の姿を思い浮かべて苦笑する。天魁星ではないが、彼が『炎の運び手』
のリーダーであり、『炎の英雄』。何かと自分達の存在は気に掛かるのではないか…。
「さてな。
 私としては彼らは恵まれていると思うが?」
「何故?」
「己をよく知る数多くの仲間に囲まれ、同様に真の紋章を知る者も居る。そんな彼らに何
かしら助言を与える必要があるか?」
「…………辛辣だねぇ、シュウは」
「貴殿とて、思っていないとは思えないが?」
 含みありげな笑みを浮かべて見せる。
「明言は控えさせてもらうよ」
 そう言って立ち上がり、
「じゃあ、僕も休ませてもらうよ。
 あっ明日、もしアップルやフッチが来たなら僕の所に通してもらえる? まぁ、僕が起
きているかっていうのが前提なんだけどね」
「了解した。二人の場合だけ通すようにしておこう」
「………、あぁ。もう一人訪ねて来る人間がいるかもね…」
 イーヴァは一人思い出したように呟く。イーヴァ自身は面識が無いが、『彼』が単独で
訪れる可能性はかなり高い。
「…………。
 その場合は、玄関から来るとは思えんが?」
「確かにね。来るとしたら窓からこっそり入るだろうから、気にしなくていいだろうね」
「何かあれば『主人』本人が手を下すだろうしな…」
 そう答えて、イーヴァも自室に引き下がった。
 
 沈み込むようにベッドに飛び込んで。豪華な作りの寝台は柔らかく体を受け止めた。
 ゴロリ、と仰向けになり。
 自惚れでは無いが、今回、一番負荷がかかっていないのは恐らく自分だろう。
 『月』のフォローと『はじまり』の解放のお陰で、『生と死』は面白いくらい大人しか
った。『力』の一端を解放したというのに、『生と死』自体はまるで凪いだ状態でいた。
 シエラの存在に慄いたのか、『はじまり』の存在に安堵したのか、判断出来ないがそれ
でも心地よい疲労だけで済んだ。
「彼らはどうなんだろうなぁ…」
 これだけの真の紋章があるこの場に居て。何かしら感じているのだろうか…。
 まぁ、何であれ…。知らなくても構わない。
 一時の間、この安定を感じていれば良い。
 ここは『原初』の『はじまり』のある場所なのだから。

 

 


                                              
(last up 2007)紋章に対しての制御力・威嚇力はシエラが断トツですので。