空間に紋章の高鳴りが響いてゆく。
それは紋章の継承者だけでなく、その場にいる人間全てが感じていることだった。
イーヴァ、シエラ、天威を中心にして、アイラの言葉を借りるのであれば、精霊が
騒いでいると言うところであろうか? 悲鳴を上げているのか、歓喜しているのか。
朱殷の闇、蒼白の光、翡翠の輝きが刻々と輝きを増していった。
「面白いことをしているようだな」
辺りに緊張が走った。
アイラとジャックは瞬間に弓を引き、ボルスは足を踏み出した。
闇に紛れていた、ユーバーがゆらり…と姿を現した。当然、その手には、双振り
のデスクリムゾンが剣呑な瞬きを放って。
「貴様ッ、これ以上は先に進ませんぞっ!!」
ボルスがさらに一歩。
ユーバーは剣を構えると、銀と紅の瞳が歪んだ。
「楽しまさせてくれるのなら、つき合ってやろうか? ゼクセンの騎士よ」
「その口、二度と利けぬように封じてくれるっ!!」
ボルスが吠え、ユーバーが残酷に微笑んだ時、
「……それとも、貴様が俺の相手をするのか?」
ユーバーは大して気にすることもなくそちらに振った。
ユーバー同様双振りの剣を持ち、ユーバーの背後に立ったナッシュに…。
「ナッシュ、貴様どういうつもりだっ!!」
横入りされたボルスは当然、これに反発した。
「悪いね。ボルス。
ちょおっとばかし、おじさんに譲ってくれないかな?」
「何を……?」
巫山戯たことを、と続けようとしたがその言葉は最後まで出ることはなかった。
悠然と構えているようで、普段のような隙を全く見せつけないナッシュの姿にボ
ルスは、固唾を呑んだ。
「…ま、そう言うわけだから、暫くの間、俺とつき合ってもらうよ。
そうでもしないと、始祖様の逆鱗に触れちまうんでね」
双振りの剣を構え、対峙するナッシュ。口調は軽いが、醸し出す気配は普段のそ
れとは一変していた。
「…双剣士か、珍しい。単に手先が器用なだけかと思っていたが、それだけではな
いようだな…」
「色々と苦労してるんでね、手数だけなら誰にも負けないよ」
「その減らず口…、真かどうか確かめさせてもらおうっ!!」
颶風となりユーバーは剣を振り下ろす。ナッシュはそれを受け止め、剣を突き出す。
火花が散り、鉄が重なり合う音が響いた。
ボーンドラゴンの相手を担っているゲド隊。言われた通り、時間稼ぎをしている
がそれでも疲労の色が出ていた。
12小隊の面々は人数を武器に、それぞれが四方から攻撃を加えていった。
一糸乱れぬコンビネーションに、ボーンドラゴンの大顎は空を切り、憎々しげに
咆哮をくぐもらせた。
「一体いつまでっ、こいつの相手してりゃいいんだよっ!!」
後退しながらエースが吐いた。確かに彼の剣は幾度もの攻撃によって刃こぼれが
起き、切れ味が落ちていた。当然通常与えられるであろう攻撃が与えられず、苛立
ちが起きる。
「引き受けたのじゃ…、そう愚痴るな」
というジョーカーも、度重なる魔法使用で疲れの色が出ている。
「……もう、すぐだ」
肩で息をしながらゲドが答えた。
彼には確かに、確実に感じられていた。その右手に宿る紋章がはっきりと彼に伝
えていた。
この先起こるであろう奇跡を。
「派手なことが起こるぞ。滅多にお目に掛かれないような事がな……」
打ち重なる二対の剣の多重奏。
互いに振り下ろす剣は、相手の剣によって阻まれ火花を散らす。
「面白いっ!!人間っ!!」
「それは…、結構なことだよ」
と悦を感じているユーバーに対して、ナッシュは本気とも思えるうんざりした口調
で答えた。しかし太刀筋は全くといって良いほど乱れはなく、まだまだ余力が感じ
させる。
ナッシュの背後で魔力が高まっていく。
「これ以上、遊んでいる場合でもないか…?」
ユーバーもこの先に起こるであろう事柄に、注意が向く。
「そいつは…、困るんだよね。
もう少し、俺に付き合ってもらわないと…… 」
ナッシュの剣が横を凪ぐ。そしてユーバーはそれを軽々と交わし、剣を繰り出す。
鍔迫り合いが行われる。ユーバーは上から振り下ろし、それをナッシュが下から
受け止める。
金属音が耳を打ち、火花が裂く。
全くと言っていい程の互角の戦い。傍観を強いられている者はそう判断するだろ
う。
しかし、戦況としてはナッシュに分が悪かった。
長期戦を経たナッシュに対して、戦闘を繰り返していないユーバーはまだ体力が
温存されており、なおかつ、ユーバーに年齢的な体力のハンデはありえない。
「ここまでだなっ、人間っ!!」
カシィイインッ!!
対の剣のうち、左の剣が弾き飛ばされた。
「これで終わりだっ!!」
「そいつはどうかな…?大抵はこれで最後じゃない…っ!」
肉迫するユーバーに対して不敵に笑うと、ナッシュは次に予期せぬ行動に出た。
左腕を真正面に構え、クリス達にとってはごく自然な構えをした。
「何っ?」
次の瞬間、ユーバーの左頬を掠めた。その後に石畳に突き刺さる鋼の針。
間髪を入れず矢継ぎ早にスパイクを打ち出していく。
「まだまだなんだよっ」
「小細工では、俺は倒せんっ!!」
双剣を繰り出す。
が、そのユーバーに対してナッシュは軽々と交わし攻撃を繰り出す。
ナッシュは空いて左手で懐から投げつけた。
ユーバーは一閃の元にそれを斬り落としたが、「キンッ」と斬った瞬間に辺りを
白一色に包まれた。
「っく」
閃光弾。彼が血反吐を吐きながら習得したギルドの技術。
「切り札ってのはね、最後まで取っておくものなんだな」
不敵に笑ったナッシュは右手に残る剣をユーバーに投げつけ、間合いを詰めた。
「ナッシュッ、何を!?」
クリスは驚愕した。手に残る唯一の武器を投げつけるとは、何を血迷ったのか。
そう彼女は当然思った。彼の手持ちの武器であるスパイクでは、至近距離からの
攻撃は命取り。それにもかかわらず……、
しかしクリスの予想に反して、ナッシュは接近の速度を緩めることなく間合いを
詰める。
そして鋭く、叫ぶ。封印されし対の剣の名を。
「ヴァイスッ!!」
左手に現れたのは白柄の剣。
「シュヴァルツッ!!」
右手に収まるは黒柄の剣。
空気を引き裂き、現われたるは双蛇剣・グローサー・フルス。白と黒の双振りの
剣はユーバーの剣を叩き伏せた。
「さてと、これでやっと五分ってところだな…」
にっと笑い、グローサ・フルスを胸の前で十字に構えた。
「……面白いものを、持っているのだな…」
対峙し立つユーバー。このセリフには何処かしら、嘲りではなく、驚嘆の色が含
まれていた。
ナッシュは、右のシュヴァルツで一閃、横に薙いだ。細い刀身が瞬間、蛇腹の様
にばらけ、再び元の刀身に戻る。
「これぐらいしないとな。紋章の継承者相手だ、一筋縄でいくとは思ってないんで
ね。二筋、三筋ぐらい用意したまでだよ。
ついでにこいつは、期間場所限定の俺の手品だけどな」
光栄に思えっ、とニンマリ、少年のように笑う。
「見かけ通り、と言うわけではない…、そう言うことか」
狂喜が灯る紅と銀の瞳。その瞳は、何か嬉しさを感じさせるもの。最高の獲物を、
相手を見つけた時のような高揚感を感じさせた。
「もう少し、つき合ってもらうぜ。雷が落ちるのは願い下げなんでね」
再び、剣戟が空間を震撼させた。
三つの紋章はそれぞれが呼応し、その力は今にも溢れんとしていた。それを紋章
の継承者である天威たちが自分の意志で抑えている。そんな緊張した状況で…。
そして、世界の欠片である力が解放された。
力の満ちた空間で、まず最初に言葉を紡いだのはシエラ。優しく降り注ぐ月の光
を浴びて、古の詩歌を詠む。
『夜を、闇を照らす優しき月よ。慈悲深き光、死への導きの灯火…』
シエラから紡がれる度に、蒼白い魔力は彼女を中心に放射状に広がっていく。
全てを包み込むように静かに、速やかに。
蒼白い光に包まれた空間に、闇い炎が立ち上がった、朱の光をまとった黒い炎。
立ち上る陽炎は空間を歪める。
右の拳を包み込み、イーヴァは力ある言葉を発動する。
『呪われしソウル・イーターよ。魂を喰らう、その黒き力。全てに別無く死を与え
る災厄の意志よ。その禍つ力を我は欲す……』
白き輝き、黒き闇を纏いながら天威は祈る。
『輝く盾よ、全てに守りと癒しを……。
黒き刃よ、全てに破壊を……』
『月よ。夜の輝きを今ここに。天に夜の慈しみの力を…っ』
『呪わしき魂喰らいの力を、天に与えたまえっ!!』
『全ての始まりの紋章よ。友に盾を、敵に刃を、全ての戦いに裁きを下せ!!』
空間が切断された。
今まで響き渡っていた剣戟、魔獣の咆吼が瞬間にして絶たれた。
天威の紋章の発動により、その瞬間に現れた。
それは今までゲド達が戦っていたボーンドラゴンを言葉通り『一刀両断した』。
「なっ……」
その後に言葉が続かなかった。
紋章の兄弟をその身に宿しているゲドは、天威達の紋章が解放される瞬間を感じ
ることが出来ていたが、何がどうなるかまでは予想がつかなかった。
そして結果は…、あまりにも予想だにしない結果だった。
闇から出現した紅闇い影朧を纏う巨大な一刀の刃が、頭蓋からボーンドラゴンを
一刀両断したのだ。それこそものの見事に真っ二つに。
「黒い刃がドラゴンを貫いた……?」
流石の強者揃いの十二小隊の面々も目の前で起こったことに呆気を取られた。
黒き刃はボーンドラゴンに身動きを取ることを許さず、その場に深々縫い付けた。
ドラゴンはその刃から逃れるため身を捩り、咆吼を上げようとした瞬間、無数の
歪な形をした刃が四方八方から襲いかかり、八つ裂きにする。
その様は、今まで対峙していたとは言え、見て気持ちのいいものではなかった。
それは、完全なる拒否。絶対の拒絶。一切の破壊。見る者に恐怖を与えるのに十
分なくらいに…。
刃達はボーンドラゴンを串刺しにすると、その役目を終え虚空に消えた。
次いで、ボーンドラゴンの足下から夜より深い黒、闇より暗い陰が広がり、球体
の空間がドラゴンを呑み込んでいった。
球体はドラゴンを完全に取り込むと、一気に収束し、無へと完全に消え去った。
何の残滓も残さず……。
「これがっ、紋章の力だって言うのかい……?」
目の前で繰り広げられた人知の及ばない現象。それは抗う事を許さない絶対の意
志を感じさせた。
ボーンドラゴンが消滅したその場所に程なくして、変化が起きた。
「まだ、何かあるのかっ!」
咄嗟にエースが身構える。この場にいたドラゴンは今完全に消滅したはず、それ
なのに、これ以上、ここで力が発動する必要性はない。
なのに何故、そう言う考えが当然あった。
現れたモノは、白い淡い光だった。幽かに瞬く萌葱色を伴った白い光。それは、
最初は緩やかにその光の大きさを広げていったが、ある大きさまでくると突然その
光は大きなモノとなり、速やかにゲド達を飲み込んでいった。
「この光は何だっ!?」
何が起こったのか分からず、身構えるジョーカー。そしてふと気づく一つの事実。
その光は何の攻撃性を孕んでいないと言うこと。そして
「ちょっと…、この光…」
自分の体を見るクィーン。
「傷が癒されていっているのか……」
魔獣との戦闘、ボーンドラゴンとの戦闘で受けた傷が見る間に塞がっていった。
その変化は自分の目で確認できるモノだった。傷は見事に消え去り、後にはただそ
の部分が攻撃を受けたという過去である服が破れているだけだった。
白い光はゲド達のみならず、クリス達もそして、ミューズ市全体を包む程だった。
ナッシュの元でも、ゲド達と同じ現象が起こっていた。
「何なんだッ、これはッ!!」
「ちィっ!!」
と吐き捨てると共に後退したユーバーだったが、黒き刃の全方位攻撃を完全にかわ
しきれるモノではなく、無数に襲いかかる刃を防ぐ術はなかった。
そして足下から広がる漆黒の球体。流石のユーバーも地に膝が付いた。
「てこずらさせてくれたな…」
ヴァイスを構えるナッシュ。恐らくこの傷ではナッシュの攻撃をかわすことは無
理だろう。第一、ナッシュは天威の癒しを受け、その身に受けた傷は完治していた。
「アルマ・キナンでの借り、返させてもらうぜ」
「…………」
剣を振り上げ、袈裟懸けに斬り裂く
筈だった。
「どういうことだ。そこをどけよっ!!」
たった二本の細い指でヴァイスを受けとめたのは、
「そこまでじゃ…」
シエラだった。
「どういうことだ月よ。俺にとどめをささないのか?」
「わらわにはその必要がないからな」
さも興味なさそうに、応える。
「何を寝ぼけたことを……。
シエラ、こいつは敵だぞ。今ここでとどめを刺さないとこいつは……」
この千載一遇のチャンスを逃すものか、と言わんばかりに食い下がるナッシュ。
「そこの人間の言うとおりだ。俺は何度でも、血を死を求めて戦を求めるぞ…」
「ならば、締南の外で決着をつけるがいいわ」
「っ!?」
シエラが何を言わんとしているかを察した時、複数の足音が聞こえてきた。それ
を見計らいシエラはナッシュを横に下げ自分も身を引いた。
後ろから歩いてきた人物にユーバーは不敵な笑みを作り、蔑むように笑った。
「どういうつもりだ。借りを作ったつもりでいるのか?」
その台詞に対して、当人全く気にもとめていなかった。
「別に。ただ僕は自分の分は弁えているつもりでいるよ」
「それと俺にとどめを刺さないことにどう関係がある」
「僕達は無闇に歴史(おもて)に上がるべきではないと思っている。だから僕は、
お前にとどめを刺さない。この締何では。
お前にとどめを刺すのは『今は』僕達ではなく、そしてこの場所でもない筈だよ」
僕達はただ、強引に舞台に立たされただけに過ぎない…。
「それに……」
「何だというのだ?」
「いいのかい? 風が、吹き始めたよ……」
天威の髪を優しく撫でる風。夜風にも関わらず、彼を労り慈しむように風は優し
く彼らを包んでいた。
「……。引き際、と言うことか……」
苦渋に満ちた顔で、すっとユーバーは立ち上がった。その姿にはもう戦意は感じ
られず、両手にあった双剣はいつの間にか消えていた。
「……ならば、今は貴様の言葉に甘え、この場は下がろう…」
ユーバーの足下は輝きだし、周囲の空間は歪みだしていた。ナッシュは不本意な
顔をしていたが、それをシエラが抑えた。
「再び見える時、貴様らの死に際だと覚えておくがいい……」
帽子を深く被り、呪詛を放つ。
それに対して、三者三様。
「その時は、全力で相手をするよ。僕はまだ死ねないからね」
「返り討ちにしてやる。貴様を倒すのは僕だ…」
「……ならば『死』を与えてみるがいい。それこそ、願ってもないこと……」
三人がそれぞれ言い終えた後、転移の魔法が完成し、ユーバーはその場から堕ち
るように消え去った。
転移の魔法の余波による空間の歪みが元に戻ると、天威は息を吐いた。
長かった騒がしい夜がやっと終わった。
街には魔獣の声はもう聞こえず、剣と剣がぶつかり合う音も聞こえない。いつも
の静かで平和なミューズの夜がやっとこの時戻った…。
(last up 2003) 考えてみれば『始まり』の攻撃属性は判らないままでしたね。 ← →