「さて、どうしよう?」
一見、呑気な発言にもとれるセリフであったが、ボーンドラゴンを見据える天威
の眼差しは、貫き凍てつかす厳しさがあった。
「とりあえずは、小手調べというこうかのう……、イーヴァ…」
そう応えたシエラの周囲には蒼白い燐光が宙を舞っている。
「いつでもいけるよ…」
イーヴァは目を伏せ、術に集中している。彼の周りにも朱い燐光が舞い踊り、時
とともにその輝きが増していった。
「なれば…」
シエラもまた、すっと目を伏せ詠唱を開始する。
「…天駆けめぐる裁きの光……、白光の長槍よ……」
その口から紡ぎ出されるは、古の詩。
「猛き炎、気高き朱よ……、その姿…婉然なる舞…」
シエラに合わせるようにイーヴァの口から放たれるは力ある言霊。
シエラとイーヴァの周りに、魔力が集い始めた。呪文に誘われ、力が収束されて
いく。
「我が前に、我が敵を裁きし光の槍を降らさん……」
「その舞は、終わりを告げるものなり……」
二人を包む燐光は強烈な輝きを放ち、ボーンドラゴンを包み込む。
「……神鳴る力、うけるがいいっ!!」
「……全てを焼き尽くせっ!!」
二人の魔力が解放される。
「無へと導びけっ!!『火炎陣』っ!!!」
空間に二色の光球が生まれ爆発した。
光は敵を飲み込み、音は全てを圧倒する。
火の紋章と雷の紋章を用いた合体魔法(コンビネーション・マジック)。その威
力は合体魔法の中で、最大を誇る。
光は空間を歪め、雷撃は木々を真っ二つに引き裂き、爆発は辺り一帯を焦土と化
した。
「やりやがったっ!!!!」
後方にいて天威達の戦いの様子を伺っていたナッシュ達は、先手必勝の合体魔法
に圧倒された。
照らし出される夜の空間、歪む地面に爆発する大音響。
ナッシュ達は魔法によって引き起こされた爆発の余波をまともに受けていた。
「い、一体、何が起こったんだ…?」
空間の歪みに身を庇いながら、目前で起こった現象を正確に理解することが出来
ず、クリスは恐る恐る尋ねる。
「合体魔法(コンビネーション・マジック)だよ」
ナッシュと同じく最前列に立っているクィーンが応えた。
「グラスランドではそう知られてないのかもしれないけど、一つの魔法形態でね。
五行の紋章術の第四位の魔法を同時に詠唱し放ち、相乗効果によって通常の魔法
威力以上のものを引き出すっていう、荒技だよ」
「四位の魔法を……?」
「あぁ、四位の魔法はただでさえ効果がある魔法だ。それに関わらずそれ以上の威
力を求めた技でね、難易度は高いけど、結果は見ての通りだよ」
クリス達の目の前に広がるは、炎と雷によって生み出された光の海だった。
「……まさか、これがくるとは思うてはおらなんだろう?」
白色の炎に照らし出されたシエラが悠然と言い放った。とは言え、その姿には隙は
なく、彼女の紅玉の双眸はボーンドラゴンを見据えていた。
彼女には灼熱の海と化した中で、ボーンドラゴンの姿を確認出来ていた。
詠唱を終えたイーヴァも、さがっていた天威も様子を伺っている。誰も、この程
度の攻撃で事が終わるなどと思っていない。
強力な魔術によって創り出された炎の海。その海が内側から揺らめいた。
「キアァァァァァァァッッッッッッッッッ!!!!!!」
己の怒りを咆吼に乗せ、禍々しい深紅の瞳を爛々と輝かせ、ボーンドラゴンが炎
から這い出た。
「……まぁ、当然というところかな?」
「どうやら、以前より耐火能力が上がってるね……」
軽く舌打ちをしながらイーヴァは応える。ボーンドラゴン相手に雷属性の攻撃は
無意味である。火属性の攻撃は劇的な効果があるわけではないが、それでも効果が
ないわけではない。
この『火炎陣』自体、火属性の攻撃を上げるためのものであったが、思っていた
以上の効果は得られなかった。
「あまり…、グズグズしていられないね」
ボーンドラゴンは天威達を見据え、その足を踏み出した。己に仇なすものを、怒
りの対象を排除すべく、襲いかかった。
その巨躯を揺るがし大地を震わし、三人が立っていた場所に突進をかけた。
天威達三人三用、イーヴァは地を蹴り、天威は流れるようにそれをかわし、シエ
ラは刹那にその場所から離れていた。
天威とイーヴァは両翼に展開し、力を込めて、天命双牙が空を裂き、ボーンドラ
ゴンに打ち込まれる。
乾いた音と、ボーンドラゴンの苦痛に対しての声が重なった。イーヴァも同時に
攻撃を与え、攻撃の照準を逸らす事無く、自重を支える足を中心に撃ち込み続ける。
「天っ!!」
二人の一糸乱れぬ連撃を重ね、足に攻撃の影響が出始めたその瞬間、
『小言』
「背後より忍び寄り、『黒き影』よ、その力、奪い去れっ」
闇を祓う破魔の紋章と闇をも喰らい尽くすソウルイーターが咆吼した。
ショートレンジの『小言』と、サークルレンジの『黒き影』によってボーンドラ
ゴンをその場に縫いつけた。
「イーヴァさんっ、しばらくお願いしますっ!!」
「まかせろっ!」
天は『小言』を唱えた後に関わらず、再び詠唱状態に入った。恐らく天威が唱え
ようとしている術は『小言』を上回る退魔効果を持つ『破魔』。それを与えること
が出来るなら、ボーンドラゴンにとって手痛い攻撃となるだろう。
『破魔』を詠唱している天を背後に、イーヴァは即座に詠唱完了した術を解放す
る。
「赤き焔よ。『踊る火炎』となり舞い裂かせっ!」
後方で為す術もなく傍観を義務づけられているクリス達。
目の前で展開されている戦いは、恐らく凝視させるには十分過ぎる内容だろう。
剣戟とはいえない打撃音が響く。巨大な骨竜に対して三人という少数手勢で善戦
しているのだった。これに感嘆せずにいられるだろうか。
「何て奴らだ、あの魔獣を相手に……」
目の前の戦い、三人が三人ともそれぞれの力を奮って戦っていた。使われている
紋章がどのようなものか正確に判断できないでいたが、クィーン達の会話から、闇、
破魔、雷鳴、烈火の紋章が使用されているようだった。が、それでも戦局は難色を
示しているようである。
それぞれが決定打になっていない。
あとそれと、気になっていたことが一つ。
戦いにおいて、『真の紋章』が目に見えて使用されていないということ。それが
一体、何を意味しているのか、クリスには判断つかなかった。
「彼らは…、大丈夫なのだろうか…?」
「……さあな。大体、助太刀に入ろうにも、あそこに近づくことも出来ないでいる
からな」
ゲド隊ですら、傍観を強いられていた。
「…『紋章の継承者』か、末恐ろしいものだね。あそこまでの力を持っているんだ」
クィーンのセリフは偽り無い意見だろう。外見はともかく、繰り広げられている結
果は本人達の実力の賜物でしかない。
「ヒクサクが、『紋章』を集めようとするの無理ないわね……」
実際に彼女の亡郷は、『紋章』を求めたヒクサクによって滅ぼされた。
「だが、少々旗色悪くありませんかね、大将?」
「確かにな」
傍観している分、戦局を冷静には分析する事が出来る。
「あの白いお嬢さんも、あんまり紋章を使っていないように見えますしねぇ…」
実際、シエラは単発での雷鳴の紋章使用を控えていた。当然、それは効果がない
ことを理解しているからであるが、端からの判断は無理だろう。
「流石に、『継承者』三人といえども、荷が勝ちすぎるのかのう?」
退屈の虫が疼くのか、ワンが不敵な笑みを浮かべる。
『継承者』であるからといって無敵ではない。当然、それは理解していた。
「……出番があるかもしれんな」
互いが顔を見合わせ頷き合う。
目の前で繰り広げられる戦い。ナッシュはそれを冷静に伺っていた。
『……、何か狙ってるのか?』
三人の戦いは、クリスやエースが感じたように消化不良を感じさせるものだった。
実際、シエラとともに戦ったことのあるナッシュである。彼女の戦いがどのような
ものか、知っていた。
三人の中で、もっとも消極的なのは他でもないシエラだった。
何とはなしに、右手に込められる力が強かった。左腕に装備しているスパイク。
何時でも使用可能のように安全装置は外されている。
「グラーデだけで済めばいいんだけどな……」
「?、何か言ったか?ナッシュ」
近くに立っていたクリスが今のセリフが聞こえたようで、聞き返された。
「ん、いや、何でもないが?」
咄嗟に振り返って見せた顔は、いつも通り飄々とした顔だった。
「なんか、俺言ったかな?」
いつの間にか、道化の仮面が張り付いてしまったようだった。
「……いや、私の空耳だったようだ」
たとえいぶかしんでも、問いつめて口を割らすことなの出来ないのだから、クリス
は素直に諦めた。
自分の前に立ちふさがっている男、いつも通りつかみ所のないのは変わらないの
だが、それで雰囲気が違って感じた。戦闘になれば、その実力は遺憾なく発揮され、
通常のとぼけた態度が演技であることが分かってしまうのだが、今は、そのとぼけ
た気配が全く顔を出していなかった。この男にもこんな一面があるのだな、と思い
つつも、何に対して緊張を張り巡らしているのか分からなかった。
「我々は役無し、といったところか?」
抜き身である剣が虚しく月光を弾いている。
この場に駆けつけた時、咄嗟に剣を抜き、構えたものの、戦いは蚊帳の外で行わ
れている。
「うーん、どうなんだろうな……。
案外、出番無いと思ってたら舞い込んでくるかもしれないぜ?」
楽観視はしないほうがいい。と変わらないナンパ男の顔だった。
「そうだな。気を引き締めておこう」
とクリスが応えたその瞬間。ナッシュ達の周囲がにわかに照らされた。
「っ!!」
「一体?」
辺りを見回し、気配を伺うクリス。ナッシュもグラーデを構える。
見ると自分たちに向かって、今にも雷の紋章が発動しようとしていた。
「クリスッ、伏せろっ!!!」
咄嗟にナッシュはクリスを突き倒すと、懐にしまっておいた『踊る火炎の札』を
取り出し眼前でそれを解放した。その瞬間、雷の魔法は唸りを上げて襲いかかった。
術は『飛翔する雷撃』。
ナッシュが放った札は、見事に雷撃の軸線上に展開して、爆発で持って相殺した。
「ナッシュッ!!」
咄嗟に伏せることになったクリスはともかく、ナッシュは爆発をもろに受け、地
面に吹き飛ばされた。
「いちちち…、何とか防げたか……?」
爆風を受け、地面に叩き付けられた部分をさすりながら、ナッシュは身を起す。
雷撃は見事に、札の爆発によって中和され、仲間に対しての被害は出ていないよ
うだった。強いて言えば、自分が地面と抱擁したぐらいだろう。
「相変わらず、わりにあわねえよ……」
とぼやいた。それから、雷撃が放たれた方向を見た。
「一体誰が……」と言った次の瞬間、ナッシュは凍結した。
「……マジかよ」
彼の視線の先では、先ほどの魔力とは比にならないほどの、魔力が収束されてい
ってた。
今にも発動しようとしているのは『激怒の一撃』。直線上にいる対象を攻撃する
雷の紋章術で、第四位の術。生半可な威力ではない。あんなものをまともに喰らえ
ばどうなるか……。雷を降らされているナッシュには嫌なほど分かった。
「クリスッ!! 急いで横に逃げろっ!!!」
「?、い、一体っ!?」
「いいからっ!! 早くっ!!」
ナッシュはクリスに対してそういい放つと、再び懐に手をやり一枚の符を取り出
して、精神を集中した。
あちらの術の解放が早いか、こちらの術の完成が早いか、時間との勝負。
この符が発動できなければ、ナッシュの後ろにいる仲間が悉く雷撃の餌食となる。
ナッシュの符が輝きを増そうとしたその時、ユーバーの『激怒の一撃』が発動し
た。
白い光芒は、理屈を無視して水平にナッシュ達に襲いかかった。
「ええいっ、ままよっ!!」
ナッシュは光に飲み込まれる瞬間にその手にあった符『守りの天蓋』を投げつけ
た。
符は、雷撃によって焼き尽くされようとした瞬間にその威力、絶対の盾を展開さ
せようとした。
ナッシュの目前で雷光と障壁が放つ光とがぶつかり合った。
「頼むッ、保ってくれっ!!」
まだ雷撃と符の力は拮抗している。術はもう発動したというのに、ナッシュはそ
の精神の集中を切ることが出来なかった。今、自分の念が途絶えたら、雷撃がすぐ
にでも襲ってくる。光の奔流の衝突。その輝きが最高潮に達した時、
『バシィッ!!』
目の前で音が弾けた。
「……マジィ」
完全発動寸前のところで、符は雷撃に耐えられず、その瞬間にして消し炭と化し
た。展開しかけていた光の障壁はその瞬間に霧散し、雷撃は遮るものが無くなり直
線方向にその力を解放した。
青白い光は眼前一体を包み込み、全てを白で飲み込んだ。
「ナッシュッ!!」
回避不能と本能的に悟ったナッシュはもはや成す術無く目を反らした。そしてこ
の後考えられることが頭によぎるだけだった。
「冥府の射手よ、『送る鐘の音』と共に深淵へ導けっ!」
『ドグォンッ!!!!!!!!』
大気を震撼させ、揺るがない地面が波揺れ運動を起こした。
光と光とのぶつかりあいの結果、大爆発が起こり、光と爆発によってナッシュは
吹き飛ばされ、再び地面に這い蹲る結果となった。
痛みに顔を顰めて体を起こしてみると、自分の体には、雷撃による火傷が一つも
無かった。体の痛みは全て、爆発の衝撃によるもので。
「……俺、生きてる?…」
何故?、と考える前に答えは降ってきた。
「…どういう事じゃ? お主の相手、わらわ達ではなかったのかえ?」
「何、確かに貴様らが主役だが……、観客を退屈させてはいかんのだろう?
ほんの少し、変調を加えたまでだ」
悠然と話しているのは、当然、あのシエラだった。
シエラの足下の石畳。それは全て焼け焦げた痕がなかった。
「……そう言うことか」
「守りの天蓋」の符が焼き尽くされ、ナッシュに雷撃が直撃する瞬間、冥府へと誘
う『送る鐘の音』の攻撃で、ユーバーの雷撃を相殺したのだ。その結果、雷撃は掻
き消され、石畳が焼き付くことがなかった。先程、ナッシュが符で雷撃を相殺した
同じ手段。
「おいっ、大丈夫か?」
クリスが手をかざし、『優しさの流れ』をかける。
「あぁ、悪い…。ざまぁ無いね、おじさんは」
「そう、自分を卑下するな。
…大した怪我ではなさそうだな。あの爆発で、よくこの程度で済んだものだ」
そう言ってかざしている手は、ほんの少し震えていた。
……二度も助けられた。この男にはずっと助けられっぱなしだ。そんな自分が、
不甲斐なくて…嫌気がさしてくる。何が、ゼクセン団長だと罵りたくなる。
「そう言ってもね……」
「ほんに…、無様なことよのう……」
と道化の笑顔で、クリスに応えようとした瞬間、その笑顔は凍り付いた。彼の背後
には、何とも表現し難い、雰囲気を漂わせて立っている人物がいる。
「シ、シエラ……」
表現し難い雰囲気、どうやらそれは怒気のようであった。
恐る恐る振り向いてみた瞬間、「スパカーンッ」と一発叩かれ、再び地を転げた。
「全く、お主という男はほんに役に立たぬ男であろうのう」
「おい、いくら何でもこれは酷いんじゃねえのか?」
流石に頭にきているのか、いや、まぁこれ以前にも散々罵られ、酷い仕打ちを受
けているわけだから、当然なのかも知れないが、すくっと立ち上がり、間を詰めた。
「何がじゃ?」
こちらの方が、おかんむりであった。よくよく見ると、宿している雷鳴の紋章が
雷を纏っていた。
「いくら何でも、叩く必要があるのかよ?」
ナッシュもナッシュで、完全に地が出ている。
「お主が無能じゃからであろう」
「無能無能って、言い過ぎなんじゃねえのか?
これでも、割にあって無いんだぜ?」
「割など知らぬわ。…大体、この程度の攻撃で手こずっておる事自体、情けない事
よ。
お主がしゃんとしておらんかったせいで、わらわがここまで下がらねばならなく
なったのじゃぞ」
おかげで、天達が二人になってしもうたではないか。ということなのである。
「しゃんとってなぁ…。俺にだって出来る限界があるんだぜっ!!」
人外と同じにするなっと思わず叫ぶ。
「……以前のお主は、もう少し使えていたがな」
「あのなぁ、俺だって年食ったんだよ。昔と同じにするなっ!!」
「経験を得たのではないのか?」
見事な舌戦である。互いがああ言えば、こう言い、果しなく低レベルな、否、不
毛な戦いを繰り広げている。
「ほんに、期待はずれじゃな。以前より幾分かマシになっているかと期待していた
が…」
「無能無能扱いするなよっ!!」
「ふん。己一人で仲間を守れず何を言うか」
「うっ!」
「それに……、何であったかのう?」
何か非常にシエラの表情は、悪さを称えていた。嫌な予感がする。
「確か…、『囚われの姫君を助けるナイトの役をやってみたかった』なんぞ、歯の
浮く台詞を言ったのは誰であったかのう?」
悪魔の微笑みを湛え、にんまりと言った。彼女の台詞を聞いて、若干二人が瞬間
に反応した。
「…………、何でそれ、知ってるんだよ」
当然言った本人の言。
「……月の綺麗な夜であったか…。
なかなか、見晴らしの良い城ではあったな」
「まさか…、ブラス城に?」
クリスも動揺を隠せないでいた。あの時あの部屋でのことは当然、ナッシュと自
分しか知らないことなのだから。
「……言い趣味してるじゃねえか。盗み聞きとは聞いて呆れるな」
ここぞとばかり言い返すナッシュ。
「勘違いするでないわ、荷物持ち。
別に、お主らの会話など聴きたくて聴いたものではないわ」
「何だと?」
「聞こえたのだから仕方あるまい」
吸血鬼の身体能力は人のそれを遙かに凌駕するものである。であるからしてシエ
ラがたまたま付近に居合わせていたとして、話が聞こえてしまっていた場合、これ
は不可抗力といったものだろうか……?
「……・地獄耳め」
15年前も確かにそうだった。一階と二階、床によって隔てられていたというのに、
この吸血鬼の始祖は階下の会話を聴いていた。
「ふん、無能の役立たずに何を言われようが痛くも痒くもないわ」
やれやれと肩をすくめながら、明らかに嘲笑っている。
「…………。
いい加減、その無能だの、役立たずだの、撤回してくれないかねえ?」
「真のことであろう?言って何が悪い?」
ぷちん、と流石に切れてしまったようだ。
「……そんなに、そこまで言うんだったらやってやろうじゃないか。
俺が無能かどうか、確かめてもらおうじゃないかっ!!」
もはや、やけっぱち。というより、あれだけ散々コケにされたのだ。この反応は
当然のものだろう。
「ほう、なれば見せてもらおうかのう?お主が無能か、そうでないか」
「やってやろうじゃないか」
やる気満々、ではなく、殺気爛々で睨み返すナッシュ。それをシエラは、満足そ
うに返し、すっとに指を刺す。
「では、暫くの間、あれの相手をしてもらおうかの」
指が指した方向にあるもの、それは……、
『キシャァァァァァァァッ!!』
咆吼が轟き、辺り一帯にプレッシャーがかかる。そんな状況下、イーヴァはボー
ンドラゴンの攻撃をかわしながら、注意を引きつけていた。
爪による攻撃を棍でかわし、隙をついて自らが攻撃を加える。紙一重での戦闘で
ある。
『破魔』
天の力ある言葉の発動。最高の威力を持つ退魔術が発動される。
込められた力の具現・梵字が白い軌跡を描きながら、ボーンドラゴンに襲いかか
る。
『ギャァァァァァァァッ!!』
「やはり『破魔』でも、効果が見込めぬか…」
ため息混じりでシエラが呟いた。
「……おい、……シエラ…」
「何じゃ?」
「あれって、『あれ』のことかなのか?」
「それ以外に何があるというのじゃ?」
当然、ここで指されている『あれ』は、イーヴァと天威が戦闘を繰り広げている
ボーンドラゴンを意味していた。今もなお、激戦は繰り広げられている。
「おっ前なぁ、人を殺す気かぁっ!!」
「なあに、倒せとはいわん。少しばかり、足止めをする程度で十分じゃ。
それであれば、お主でも可能だろう?安心しろ、タダとは言わぬ。後で何らもて
なしてやろう」
と、全く悪気無く、いけしゃあしゃあとにこやかに言い放つ。
「人をなんだと思ってるんだっ!!」
拳を奮わせながら、言ったナッシュの台詞に、
「勿論」
にっこりと天使の微笑みで
「荷物持ちに決まってるであろう?」
ナッシュは撃沈し、地に崩れ落ちてしまった。あまりにも酷い台詞である。なお
かつ、さらに追い打ちをかけるように、崩れ落ちたナッシュにトドメを刺すが如く、
シエラは「早くいかんかいっ!」と急かしていた。
不毛な、そして低レベルでありながら他者を近づけぬ舌戦が展開されていて、傍
観者にならざるを得なかったクリス達。歴戦の強者も、この戦いに足を踏み入れよ
うなどと言う勇敢さ、否、無謀さを持ち合わせていなかった。クリスはただただ、
圧倒されるばかりで、ボルスは目を白黒させたじろぎ、パーシヴァルは、賢明なこ
とに火の粉がかからないように避難していた。
しかし、最後のシエラの一言に反応した。
「シエラ…、今の言は聞き捨てなら無いものがあるが?」
シエラが一体どのような存在であるかは知らない。だからといって、今の言が許
されるものではないだろう。
戦闘から距離を置いたこの場所でシエラは、クリスに背を向けたまま、天威達の
戦闘を伺っている。
ボーンドラゴンとの戦闘が開始されて、暫く経つことになる。一般の戦士であれ
ばとうに、疲労により体が動かなくなっていてもおかしくない状態であろうが、彼
らは動いている。流石に疲労の色は隠せないでいるが……。
当然のことだろう。格闘と魔法、その両方を駆使して戦っているのだ。しかも使
用する魔法は、高レベルな魔法ばかりである。疲労の色が見えて当然というものだ
ろう。
「シエラッ!!」
怒気を孕んだ声で呼ぶ。
「クリス…、気にするな。こういうことは、残念ながら慣れっこなんでね…」
ようやく復活したナッシュが立ち上がりながら、クリスを制止した。
「しかしだなっ!!」
なおも食い下がり、不快を顕わにする。
「喧しいぞ、小娘」
振り向くことなく言い放った。
「…小娘・・?」
ゼクセン騎士団は絶句した。自分たちより遙かに年若い少女に、小娘呼ばわりさ
れたのだ。一瞬、何を言われたのか反応できなかった。
真っ先に反応を返せたのが烈火の剣士ボルスで、
「貴様ッ、クリス様に対して暴言をっ!!」
納めていた剣を抜き放ち、剣を突きつけた。パーシヴァルもまた、剣の柄に手をか
けていた。
「締南国の賓と言えど、今の暴言、見過ごせるものではないぞっ!!」
「だから何だというのじゃ?」
「っ……」
「役にも立たぬくせに、のうのうとのさばっているような貴様らなぞその程度で十
分よ」
「何をッ!」
「市庁舎へ、大人しゅう避難しておればいいものを、余計なことに首を突っ込み、
足を引くなど呆れてものが言えぬわ。
戦わぬのであれば、疾く去ね。
他人を守うてやる余裕なぞ、あらぬわ」
涼やかに言い放った後、ようやく振り返り、シエラはナッシュを見て言った。相
変わらず、クリス達などは眼中に入れず。
「さっさと行くがいい。時間が惜しい」
「…………」
腹を立てているのか、不承不承として一向に行動に移そうとしなかった。
「ナッシュ」
弾かれたように顔を上げ、ナッシュはシエラの顔を見た。
「お前…、えげつなくないか…」
ナッシュは不愉快で、煮え切らない、消化不良で納得のいかない顔で吐いた。
「何だか、揉めているようだね」
クリスの背後から複数の足音ともに、面白うそうな雰囲気が感じられる声が耳に
届いた。
「力が必要ならば貸そうか…?」
「傍観しているのにも、飽きちまってね。白いお嬢さんさえよければ、協力するぜ」
ゲド達、12小隊が闇から現れた。皆それぞれ、戦闘態勢万全といった状態だった。
「ほう、何処ぞの荷物持ちとは違い、頼もしいことを言う…」
ナッシュをちらりと見ながら、婉然とした笑みで答える。
「このまま何もせずにれば、12小隊の名が廃るってもんだよ」
クィーンも余裕の笑みで返す。
「頼もしいこと…。では、足止めを願おうか?」
「何なら、足止めだけでなく倒しても構わんが…?」
ゲドのその言いに、シエラはクスリと笑い、
「確かに、お主達であればあれを倒すこともかなおうが……、残念ながらあれはお
主のとは相性が悪くてな、あそこでくたばってる小僧のであればまだしも、そう一
筋縄ではいかぬわ」
「……」
今のシエラの発言にゲド以下、クリスまで反応した。先において、そしてこの場
において真の紋章は使用されていないのに、この少女は自分たちが所有している紋
章が如何なるものかを理解していた。
「とりあえずは、足止めを任せよう。始末はわらわ達が為す」
「え〜と、お嬢さん方は一体何するんです?」
雷を喰らってから、エースは非常にしおやかな態度である。
「何、大したことではないわ。少々、手間のかかる魔法を使うのでな。時間稼ぎが
必要なだけじゃ」
「手間がかかるって、さっき合体魔法使ったってのに、それ以上に何があるって言
うんだよ?」
思い当たらないクィーンは尋ね返した。
「……楽しみにとっておくがいい」
「どの程度、時間を稼げばいいのだ?」
ゲドのその問いに、シエラは少しの間思案し、それから月を見上げて言った。
「少なくとも、第五位の術の詠唱時間は必要じゃ」
「……了解した」
「で、ナッシュ。あんたはどうするんだい?」
クィーンは涼やかな横目で、金髪のナンパ男に問いかけた。「このまま、黙って
引き下がるつもりかい?」と、瞳で問いかけていた。
ナッシュは、肩をがっくり落とした状態で、
「……謹んで、手伝わさせてもらいます…………」
もう全てを諦め、腹をくくった様である。
「ふん、最初から素直に行動しておけばいいものの…、余計な時間を取らせおって」
そしてさらに追い打ちをかけるシエラであった。
(last up 2003) ← →