がちゃがちゃと鉄の鎧を擦り合わせながら、クリスは一直線に走っていた。
この時ほど、自分の装備に呪ったことはなかった。騒がしく音を立てる鎧、当然
の質量、長い付き合いから苦ではなかったが、それでも速さは求められるものでは
ない。
今、自分は一刻も早くこの事件の中心に向かいたいというのに、鎧は守る術では
なく、足枷となってクリス達の動きを阻んでいた。
それでも今はただひたすらに、足を前に出す以外に方法はなかった。
「クリス様ッ!」
前方を見上げると魔力の放出を感じられた。先程と同じ気配の魔力、恐らくこの
前方に彼の少年がいるのだろう。
「急ごうっ!!」
目的地は近い。三人は再び、重い足音をたてながら駆け出す。
あの少年は一体何ものなのだろう?マイクロトフは答えたが、それでも問わない
限り実感が持てない。
一体、このミューズで何が起こっているのか。一つハッキリしていることは、こ
の事件の中心にいけば答えが得られる、それだけだった。
その時、前方上空に蒼白い雷が地上に向けて走った。
あの少年だろうか?誰かは知らないが、紋章をまた使ったのだろう。まだ、戦闘
は終わってはいない。
徐々に戦闘が行われている地点が見えてきた。
何本もの街路樹が魔法を受けたためか、炎が燃え移り大きな松明となって、辺り
を紅く彩っている。お陰で遠く離れていても人影を確認することが出来る。
人影はざっと、5人。その中に少年もいるのか……?
目を懲らして先を睨んでいたら、突然、目の前に陰が被った。
「っ!!」
「ナッシュッ!?」
「あの男、何をっ!」
目の前に突然現れた人間は、今まで何処に行っていたのか、年齢不詳男のナッシ
ュだった。
横の通りから出てきた為、完全に自分達の方には右背中を向けていた。彼もまた
何かを、もしかしたら自分達と同じ理由で、誰かを追って来たのか、全速力で走っ
てきた。
「おいっ、ナッシュ…」
とクリスが声を掛ける暇無く、ナッシュはクリス達の目的地でもある前方へただひ
たすらと走っていった。
「一体…」
「あの男、本当に37歳なのか……?」
というパーシヴァルとボルスの呟きは当然のもので…。普段、年だのああだの言っ
ている人間の駆け足の速さではなかった。
見る限りで、充分、前線で動ける。
天速星ナッシュを唖然と見送ったクリス達は、呆然としながらも彼の後を追おう
と足を速めようとした時、
「クリスッ!!」
とナッシュが出てきた通りからかけられた声は、
「クィーン!?」
「ゲド殿達も、ご無事で?」
闇から出てきたのは、第12小隊一行だった。
「あぁ、あたし達も何とか息災ってとこだね。団長さん達はどうなんだい?」
「気遣い忝い。我らも怪我はない」
「ところで、ナッシュさん見なかったかい?」
かなりの勢いで走ってきたのか、エース達は少々息が上がっているようだった。
「あの男なら、ついさっき私達の前を凄い勢いで走っていったが…。
何かあったのか?」
「……さぁ、わからんねぇ」
とりあえず、はぐらかしておくワン。
「…ところで、お前はどうした」
ゲド自身は疲れ知らずといったところであろうか、変わらずの無表情で。
「気…、気になることがあって……」
「…そうか、なら急ぐぞ」
「えっ?」
「行くのだろう?この先に」
「えぇ、はいっ!」
ゲドが一体、何の理由でここにいて先に行くのか、そんな事はどうでも良くて、
今は目的地に向かうことが先決だった。
遅ればせながらも、クリス達は向かった。
ひたすら駆けていた。
普段は飄々として、年だの何だのと言って掴み所無く、ふざけているというの
に、この時は、真剣だった。
この先で起こっていること。起ころうとしていること。
それを確認するため。そして……。
「やっと来たか」
目の前には一足先に付いていたナッシュがスパイクを構え、臨戦態勢に入ってい
た。
状況は、芳しくないと言った所だろうか。
目に入る状況。燃えさかる街路樹の中ユーバー、膝をついたヒューゴ。そして赤
々と彩られた三人の陰。
「ヒューゴ……。
?、何故、シエラ…さん?」
ミューズ市庁舎で出会った少女が何故この場にいる?
「武器屋の少年が何故だ? それにあの少年は……?」
後ろ姿しか確認する事が出来ないが、確かに昼間の少年だった。
クリス、ゲドの目に入ってきた人間。イーヴァ、シエラ、そして……
「ふははははっ、ようやく、ようやっと揃ったわけと言うところか」
黒衣の男が似合わぬ大笑いを上げる。喜びと狂気に満ちた笑いを。
「何がっ、可笑しいっ!!」
例え膝をついていようとヒューゴの戦意は衰えることはなかった。
「この状況をっ! この奇跡とも言える状況に居合わせながら、笑わずにいられる
かっ!!
過去、この様な事があったか?
一つの街の中に7つもの真の紋章が集う事がっ!」
「7つだと……?」
「分からないのか? この高揚を、この血の狂喜をっ!!」
「………」
「火、水、雷……、この場に存在している紋章は貴様達のものだけではない…。
俺のを含め、最も呪われし生と死、至高なる月、そして全ての始まり…。
未だかつて、この様なことがあったかっ!!!!」
ユーバーの狂喜に、五行の継承者達は息を飲む。
「あいつ等が、継承者!?」
炎に照らし出された、天威達を見る。その目で確認しても、ヒューゴにはそうで
あるという確信が持てていなかった。
「皆が、紋章の継承者だというのか? シエラも、そしてあの少年も……」
「全てが仕組まれた茶番と言うところか?」
「シエラッ!!!!!」
「ふんっ、有象無象共が役にも立たぬと言うにノコノコついてきおって…」
さも迷惑だ、と言わんばかりのシエラ。
「それで、お前は一体何をしに来たんだ? 彼らとわざわざ感動のご対面をさせた
くてこんな手の込んだことしたわけでもないだろう?」
ユーバーに狙い定めるイーヴァ。
「本当にいい加減、終わりにしたいんだけどね。
……おまえがここにいること自体、あいつの意志じゃないだろう?」
落ち着いたまま、天威は口を開く。
「何?」
このセリフは、ユーバーだけでなくここにいるグラスランドの民たち全てが何か
しらの反応を示した。
「この件…、目的としている紋章は五行の紋章だけのはずだ。僕達の紋章を必要と
する理由などないからね……。
となると、これはお前の独断行動でしかない。いいのか?」
恐らく、不似合いという表現が最も適しているだろうか。外見と存在、全くと言
っていいほど合致していない覇気。
「なぁに、単なる挨拶さ」
「お前に、そんな礼儀があったのか?」
答えたのイーヴァ。普段の彼なら考えられない程の殺気を放っている。最早、隠
そうともしていない。
「隣でドンパチやらかすのだ、過去の英雄に何の挨拶がないのは失礼なのだろう?
人間共の考えでは?」
「よく分からない考え方だな」
下らない、吐き捨てるようにイーヴァが洩らす。
「それで、そのような下らぬ事にわらわを巻き込んだのかえ?」
「敬意さ、『月』よ。紋章の所有者として、年長の者にも挨拶をしたまでさ」
「不愉快じゃな。敬意が何であるかも理解できぬ輩が言えた口か?」
「そこまで俺の知ったことではない。ただ、必要なのは俺がこの場にいると言うこ
とだけだ……」
その瞬間にユーバーの周囲の気配が蠢いた。深い闇の胎動、虚空の中から何かが
這い出そうとしていた。
「…何を?」
咄嗟にトンファーを構え臨戦態勢に入る天威。イーヴァもシエラも同様に。
「やっと…メンバーが揃ったんだ……。じっくりとこの宴を楽しんでもらおうか」
彼の足下から膨れあがる黒い影。闇と死の臭気を放ちながら形取っていく。
「……人というものは、懐古主義だそうだな。
楽しんでもらえれば幸いと言うところか……?」
形取られていくのは、竜の骨。頭蓋には虚空に灯った二つの禍々しい紅い瞳、肉
を纏わぬ、生から逸脱し死を越えたもの。
その現れた姿は忘れるものではなかった。
15年前のグリンヒルで、天威達の前に現れた死の顎・ボーンドラゴン。
「15年前の……」
天威がその存在に忌まわしく呟く。
「少し姿が違うようだけど……、それだけではなさそうだね」
過去、グリンヒルに出現したボーンドラゴンは爬虫類のような姿をしていたが、
今、目の前に現れようとしているそれは、翼を生やした竜のような姿だった。
紋章の高まりが周囲に共振していくイーヴァ。
「懐古主義じゃと?たわけが、単に代わり映えのない芸なだけではないか」
輝く月を浴び、白むシエラ。
「過去と同じだと思うなよ。それなりに趣向は凝らしているさ……」
その瞬間、様々な獣の重低音の咆吼が轟いた。
地は呻り、大気が鳴動を起こす。
虚空の双眼はゆっくりと、自分の餌食となる対象に定めると、満たされることの
ない胃袋を、餓えを癒すために顎を開いた。
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