「何だ、この程度で終わりとは、案外とやり甲斐のない……」
この黒衣の男を前にして、何度屈辱を味わっただろうか。
邂逅はリザードクラン近辺の高速路で、二度目はチシャクラン、三度目は英雄の
待つ地。
何で、俺はこの男に勝つことが出来ない。
『真の炎の紋章』を継承したという矜持もあるだろう、度重なる連戦で自信がつ
いたと言うこともあるだろう、しかし、この黒衣の双剣士に勝つことが出来なかっ
た。
「何をっ!」
鋭い声と共にクワンガで一閃しても、その攻撃は剣に阻まれ、傷を負わすことが出
来なかった。
ヒューゴの攻撃は完全にユーバーに封じ込まれていた。持てる技をを行使しても、
かわされ防がれ、彼の刃がユーバーの体を捉えることはなかった。
「流石というとこか……」
ルシアもジョー軍曹も致命傷を負わすことが出来ず、それ以上に自身が傷を負い、
肩で息をしていた。
「俺達を相手してるって言うのに、汗一つ掻いてないとは……」
ジョー軍曹の白い羽毛も所々、血によって汚れている始末である。フーバーに至っ
ては、何枚もの羽が血にまみれて散らばっていた。
「くだらんな。この程度が紋章の継承者とはな。
俺の憎悪、俺の渇き……、癒すどころか増すばかりだ……」
「お前の都合なんて知った事じゃないっ!!」
ヒューゴにはそう言うだけで精一杯で…。それでも、構えられたクワンガはユーバ
ーを捉え続けている。
「負けん気だけは、一人前と見える…が……」
振り下ろされる双振りの剣。
もはや、受け止めることだけで弾き返すことは出来なかった。
「剣を振るのも億空のようだ」
「黙れッ!!」
その瞬間、ヒューゴの感情に反応した『真の炎の紋章』が唸りを上げて輝きだした。
怒りは力、激情は炎。紋章を体現すそれは瞬時に具現化した。
「ルシア族長ッ!!」
「止むおえんっ!!行くぞ、軍曹っ!!!」
紋章に呼応して、ヒューゴの周りに魔力の燐光が舞い始める。
今のヒューゴの状態でユーバーの攻撃を喰らうわけにはいかなかった。魔法詠唱
中である。そんな状態で攻撃を受けたら、一溜まりもない。
左右から挟み込むようにルシアと軍曹が攻撃を仕掛ける。その隙に、ヒューゴは
後退し、詠唱に集中した。フーバーも重くなった体を起こし上げる。
ルシアは変幻自在の鞭を繰り出し、ユーバーに攻撃の暇を与えずに押す。軍曹は
そのルシアの攻撃の合間を縫って、ラティプラジュリを振り下ろす。
「キュィィィィンン」
フーバーの光る風の紋章が解放された。羽ばたきによって生み出された風が紋章の
力を借り、竜巻と化す。直線上に存在している対象に、風は牙となり刃となって襲
いかかった。
ルシアと軍曹との攻防を繰り広げていたユーバーに確実に放たれた。
「効果あったか?」
砂埃はまだ収まらず、ユーバーの姿を確認できなかった。
しかし直撃である。確かに致命傷になりえないだろうが、多少の効果はあっただ
ろうとルシアは思った。
「っ!!」
それは戦士としての直感というものだろうか、ルシアは咄嗟に腕を顔の前で交差さ
せ、後ろに飛び下がった。
深手でにはならなかったが、右腕に痛みが走った。
「ルシア族長ッ!!」
砂塵が収まる直前にユーバーが飛び出、ルシアに剣を振りかざした。
「なかなか味なことをするっ」
「くそっ!!」
軍曹が横薙ぎにラティプラジュリを振り切ったが、ユーバーはそれを難なくかわす
と、一直線に駆け出した。
目的はただ一つ。
ヒューゴは未だ詠唱を完成させていなかった。
「遊びは終わりだっ!!」
ユーバーに宿る『八鬼の紋章』が唸り声を上げる。
「……真なる炎の紋章よ……」
「遅いっ!!」
その瞬間、不完全ながらヒューゴの魔法が解放されたが、ユーバーは三分身からの
衝撃波と共に突っ込み、三方向からヒューゴを切り裂いた。
「ぐあぁぁっ!!」
魔法はユーバーに向けて放たれたが、魔法発動ポイントに対象を捉えることが出来
ず、ユーバーに対して抑止力となり得なかった。魔法は、制御を失いミューズの街
路樹を悉くその紅い舌で舐め尽くし燃やした。
「チェックメイトだ。貴様のその紋章、戴こうか……」
不敵に佇んでいるユーバーがこちらを見下し、嘲笑っている。
「誰が、貴様なんかに……」
睨み付けても、体を動かすことがもはや出来ない。体中、悲鳴を上げ、最早立ち上
がることも赦されない状態に、陥った。
ユーバーはその双振りの剣の一方を掲げ、残酷に笑った。ルシアも軍曹も、フー
バーも動くことが出来ない。
振りかざされた剣がヒューゴの右手を捉えようとした、まさにその時、
「いい加減、その辺で終わりにしておいてくれないかな? ユーバー」
後方の、正門とは全く正反対の方向から澄んだ声が聞こえた。その場に似つかわ
しない穏やかな声色だった。
ユーバーはその声に、満足なのか残酷な笑みを浮かべて振り向いた。
振り向いた先には一人の少年が立っていた。
「真打ち登場……か。
貴様がもっと早く現れていれば、こんな事にはならなかったさ」
黄色の肩布、紅い服を着た少年は武器を構え立っている。
「すぐにも駆け付けるつもりだったんだけどね。少し、他のことで手間取ってしま
ったよ」
「楽しんでもらえたか? 俺からのプレゼントは?」
「悪趣味だね」
即答である。
突然現れた少年。その少年は、全くユーバーに気圧されることなく悠然と立って
いた。
「あいつ……、正門の…?」
ヒューゴには見覚えがあった。あの紅い服の少年に。そう、今日見たばかりだった。
ミューズの正門で、あの紅い服の少年はずっと立っていたのだ。あの時は、普通
の少年でしかなかったのに、ユーバーを対峙しているその姿は、自分が見た時の姿
と同一の存在であると言うことを信じられなかった。
余りにも…、その気配が違った。
「おいっ、さっさと逃げろっ!!こいつは危険だっ!!」
そうヒューゴは叫ぶ術しかなかった。この突然現れた少年が一体何者か知れないが
それでも、相手はユーバーである。手加減などする筈もない。最悪の結果が頭に浮
かぶしかない。
「天、威……」
信じられないものを見ている表情で、軍曹に抱え起こされたルシアが少年の名を呼
んだ。
「ルシア族長、下がっていてください。
こいつの相手は、僕だ」
その手のトンファーを構える。
「楽しまさせてくれっ!俺の渇きを癒せッ!!天威っ!!!」
狂喜を含んだ声と共に、双剣が襲いかかった。
横薙ぎ、縦薙ぎに振り下ろされる剣。開いていた距離を一気に縮め、天威を完全
に捉えていた。
そのスピード、剣技、確実にヒューゴと戦っていた時を上回っていた。双振りの
剣が天威を切り刻むとヒューゴは疑わなかった。
天威の両手に握られている武器。天命双牙の銘を持つトンファー。
ユーバーと同じく両手での扱いである武器で、天威はその攻撃を完全に殺した。
「っ!!」
攻撃を完全に受けきると、天威は難なく押し返した。
剣と木材が擦れ合う音の後、その空間に激しい剣戟が響いた。
天威のトンファー、ユーバーの双剣が残像を作りながらぶつかりあった。風を切
り裂きながら繰り出される刃に対して、その攻撃を受け流し、弾きながら横に薙ぐ
トンファー、斬る、撃つの攻撃の応戦。
二人の攻撃は恐ろしく精密で、無駄なものが一切無かった。
「…、一体、あの少年は……?」
ルシアに肩を貸しながら、ユーバーと激戦を繰り広げている少年の姿を追いながら
軍曹が漏らした。
ルシアは苦痛に顔をゆがめながら、
「……天威…。この国の、国主だ……」
「国主ぅ? あのちびっこい少年がぁ?」
ヒューゴと大して変わらないじゃないかっと、驚きを隠さない。
「あぁ。私は15年前、あいつと戦い敗れた……。あの時のままだ…」
額の金冠、黄色の肩布、紅い胴衣。そして、あの時と同じ表情……。
「15年?…ってことは、坊主、紋章の継承者ってことで?」
「そう…だな…」
そう言ってルシアは顔を伏せた。あの目の前で戦っている少年と共に思い出す少年。
歴史の激動に己から飛び込み、ハイランドを率いた少年。自分が力を貸すに値し
た少年だった。そして、誰よりも優しい少年…。
「皇王殿……」
あの戦の結果、ハイランドは敗れ締南が勝った。屈辱を感じたが、それでも戦の虚
しさをあの時ほど感じたことはなかった。そして、彼の少年を見て。
「あいつ自身が、出てくるとは思ってもみなかったな」
今も剣戟は続いていて。お互い押されることなく、退くことなく、己の技量を最
大限に発揮していた。
振り下ろされた剣を左手のトンファーで横殴りに弾くと、右を弾かれたことによ
り体が開いたユーバーに即座に迫り、遠心力を応用し右のトンファーで鳩尾に叩き
込んだ。
「ぐうっ」
剣による攻撃ではなく、打撃。貫く痛みではなく重く浸みていく痛み。急所を的
確に攻撃を受けたことにより、流石のユーバーも前のめりになり、膝が落ちた。天
威はその隙を逃がすわけもなく、引いていた左で側頭部を打ちのめした。
「やりやがったっ!!」
軍曹達の目の前で、抜けるような音と共に側頭部に痛烈な一撃を食らったユーバー
が吹っ飛ばされた。いつも目深にかぶっていた帽子は落ち、漆黒のコートに土が付
いた。今まで、何度も戦いを重ねたが、彼に土が付くことなど無かったのに、天威
を前にしてユーバーの不敗が崩された。
「流石と言うところか……」
しかしルシア達の安堵もつかの間、倒れ伏したユーバーはすぐにも悠々と起きあ
がり、帽子を拾い上げかぶり直した。天威に殴り倒され額からは血が流れていると
いうのに、ユーバーのその顔は、狂喜に溢れて。
伝う血を舐め取りながら
「面白い…、面白いぞっ!!継承者っ!!! こうでなければつまらぬ。戦いとはこうあ
るべきだっ」
開いているユーバーと天威の距離は、互いに瞬時にして間合いを詰められる距離。
殺気は隠せるものでもなく、ありありと伝わってくる。
「生憎と…、僕は戦いに楽しみを求めたことはない……」
静まり返った水面のように
「つまらぬな。生を最も感じる行為に興味がないとは」
力によって理不尽によって命を奪われる瞬間の、あの断末魔、愉悦を与える最高の
甘美な音といっても過言ではない。
「お前と同じにしないでくれないか?」
「所詮、人間ごときには理解できぬか?」
「当然だ。僕は人間だ。それ以外の何者でもない」
「不変という異形の存在になりながら、おこがましいことをっ!!」
嘲笑いながら、ユーバーはその両手の凶器と共に肉迫する。再び響く鈍い衝撃音。
人間の速度と言うには逸脱している動きに対して、天威はかわし反撃をする。目立
った攻撃ではないにしろ、それで確実に攻撃を防いでいる。死の刃を受け殺すトン
ファーに疲弊の消耗の色はなく、変わりのない攻撃力を保っていた。
「いい加減、僕としてはお前に退出してもらいたいのだけどね」
トンファーと剣の競り合いながら、天威は言葉を紡ぐ。
互いその息を感じることが出来るほどの間。天威の眼光は人に圧倒的な存在を焼
き付けるのに十分で、ユーバーのそれは、不敵で残虐な色を称え、怯むことなく真
っ向からぶつかり合っている。
「気の早いことだ。
まだ、宴は始まったばかり。メンバーすら集まっていないのだからな」
トンファーで押し返されるのを利用し、再び間合いが空いた。同時に空間を歪めて
現れたのは、ミューズを蹂躙し続けている複数のキメラだった。
「配役間違い(ミスキャスト)なんじゃないのか?」
「どうかな?予想外であった方が面白いだろう」
「………………」
ニンマリと邪悪な笑みを浮かべて様子を見ている。
ユーバーとの戦闘に疲労の色を見せているわけではなかったが、いきなりの魔獣
召喚によって、流石に緊張が走った。トンファーを改めて構え直す。
「楽しんでくれよ。まだまだなのだからな……」
キメラが獰猛な咆吼を上げ、天威に狙いを定め、石畳をかぎ爪で抉りながら突進し
てくる。
凶暴な風となり襲いかかってくるキメラを天威はタイミングを計って飛びす去る。
「…っ!」
キメラの突進、かぎ爪をかわしながら天威は出方を窺っている。悪戯に紋章の力
を解放する訳には当然いかない。第一、詠唱する間が確保出来ないでいた。右手の
白い輝きは冷静に状況を窺って、黒い輝きは敵を屠ろうと凶悪な思念を囁きかけて
いたが、今はそれに傾けられる状況でなかった。
キメラの攻撃を防ぎ致命傷にはならない攻撃を加えながら、じりじりと後退を強
いられる。
「どうする?このまま逃げるつもりなのか?」
「それは、どうかな?」
最後に後退した瞬間、天威の前方、キメラの足下に虚空の闇が広がった。
「ソウルイーターかっ!!」
闇は足下から吹き上がり、抉る様にキメラを完全に包み込むとその命を吹き消し
た。
天威の後から出てきたのは、棍を手にした少年、
「イーヴァさん」
「どうやら間に合ったようだね」
生と死を司る紋章の継承者、イーヴァ・マクドール。
「随分と、派手にやっているようだな。ユーバー…」
彼の少年に彩られる表情は、憎悪。彼の親友はこの男の手によって村を焼かれ失
った。三百年前、その現場に彼も居合わせている。
「人が血を流す限り…、戦がある限り、俺は存在するさ」
「迷惑な限りだな」
「…貴様の存在自体、同様な事が言えよう?」
まだ、キメラはこちらを捉えながら唸りをあげている。突然の闖入者に、突然の
禍々しい力に対して、呪いの声を上げている。
「……口の減らぬは疎ましい限りよのう?
その減らず口、わらわが噤んでくれようか?」
下されるは、蒼白い神鳴る力。辺りを白く染め上げ、キメラを掻き消した。
「『月』のお出ましか…」
「ほんに騒がしい夜よ。折角の満月であるというに、これでは夜を楽しむことすら
叶わぬではないか」
月の光を浴びて来るは、月の紋章の継承者シエラ。
「何を言う。夜を楽しむのはこれからだろう? 血と死の狂乱の夜、月に捧げる供
物としては最高のものと思わないか?」
「貴様の好みと同じにするでないわ、下郎め」
「……まぁいい、後はギャラリーが揃うだけだ。
なれば、楽しい宴の始まりだ……」
(last up 2003) 三人集合。ヒューゴスルーされてます。 ← →