古き英雄から 9 







「何だか、外が騒がしいな」
とアイラが窓を覗いたことからだった。



 ゲド一行はミューズの鍛冶屋に居た。鍛冶屋の主人に少々無理を言い、日が暮れ
た状態であるのに、剣の研磨を頼んだのだ。
 鏃の交換が早々に終わってしまったアイラは退屈の虫が疼きだし、外を見ること
によって紛らわしていた。
 そんな時、である。
 日が暮れても夜目が利くアイラである、街上空を滑空する白い物体を確認した。
「あ、あれ!?フッチのドラゴンが空飛んでるよっ!!」
「あぁ?」
すぐ隣にいたエースの左袖を引っ張りながら言った。エースはこれに対して、面倒
くさそうに身を窓に乗り出した。
 エースもすぐにフッチとブライトを確認し、その上で街に複数の魔獣が出現して
いることを確認した。
「大将っ、大変ですぜっ!!ミューズに魔獣が溢れてる」
「……」
その声に傭兵隊のメンバー全員、窓に張り付き外を窺った。その中でゲドは、鍛冶
屋の主人に目配せし、室内に鳴り響いている鎚の音を止めさせた。
「どういうことだいっ、キメラやらが何でこんなにもっ!?」
 街に溢れて居る魔獣は、自分達がグラスランドで散々相手にしてきた魔獣だった。
 その魔獣がミューズ市内に出現するなどまずありえない。
「こりゃあ、どう見ても仮面の神官将殿の仕業としか思えんなぁ…」
 コキコキと肩をもみほぐしながらジョーカーが恐らくながら正解を言った。
「どうする?ゲド」
いつも通り緊張感のない声でナッシュが尋ねた。彼自身、準備は万端のようである。
「……、いつまでも隠れているわけにも行くまい。外に出るぞ」
「退治するってとこかい?」
「向かってくるのならな…」
そう言ってゲドは、鍛冶屋の主人に預けていた剣を取りに行った。
「今、終わったよ」
そう主人は言った。
「すまんな」
「良いって。ただ、店の周りを静かにしてくれればいい…」
御代はいらないよ、と言って、店の奥に腰を下ろした。
 ゲドは受け取った剣の感触を確かめ、
「さて、魔獣退治と行こうか」
 持ち主の手に納まったギースは、剣呑な輝きを称えていた。





 鍛冶屋から飛び出したゲド達はとりあえず、鍛冶屋周辺の魔獣を駆逐した。
 戦上手の傭兵隊のメンバー。それにナッシュが加わっているが、だからと言って
それで彼らのコンビネーションが崩れるわけはなく、次々と屠っていった。
切れ味の復活した剣を振りながら、
「さて、ここいらの魔獣共も一通りは駆逐したかね?」
返り血一つ浴びていないクィーンが刃に付いた血を払いながら口を開いた。最前線
で戦っているエースも同様に動いた割には疲労を感じさせないでいる。
「大将、これからどうする?宿に戻るか、市庁舎に行くか?」
「ヒューゴ達、大丈夫かな?」
アイラは同郷の者として心配だった。
「さてな…、とりあえずは他の連中と落ち合うことが先決だろう」
 宿屋を目指してみる。それが彼らの目的となった。
「……魔獣が増えた…」
 ジャックがボウガンを虚空に向けて構えていた。
「奴さん等、同族の血の匂いを嗅ぎ付けて集まってきたかのう?」
 闇夜を見上げると、エムプーサが数匹上空からこちらを伺っている。
「あいつ等…、鳥目っての無いのかしら?」
「ふん、ゴーストアーマーもキメラも増えてきやがるぜ」
「これは、宿屋に行くまでにかなりの魔獣を倒さなければならなさそうだな」
血の匂いに引かれて集まってくる魔獣。鍛冶屋の主人の依頼通り、周辺の魔獣を片
付けたのは良いものの、反対に魔獣達をさらに集めるハメになってしまった。
「しかし、これだけの数の魔獣、よくも召喚できるものじゃな…」
光の届かない闇には視認できないが、複数の魔獣が潜んでいることが気配で分かる。
何度も対面してその召喚術を目の当たりにしていても、こうして実践されると驚か
ずにいられなかった。
「宿屋に着くまでに、魔獣に喰われてお陀仏なんて、俺はゴメンだね」
 エースがおどける様にぼやき
「それはあたしも願い下げだよ」
ミューズの街中で魔獣に喰われて死んだなんて、笑い話にもなりゃしない。と言っ
てクィーンは敵に向かっていった。
「うーん、惚れ惚れしちまうよ」
エースも同様に戦い出す。それを合図にアイラとジャックの援護射撃が始まり、ゲ
ド、ジョーカー、ナッシュも各々参戦する。
 上空で様子を窺っているエムプーサに対して、遠距離攻撃が可能なアイラとジャ
ック、ナッシュが攻撃を仕掛ける。
 鈍重なゴーストアーマーに速さで翻弄してクィーンとエース、ジョーカーが一匹、
一匹と倒していった。
「……埒が明かんな……」
 ゲドはその右手に意識を集中して、己の紋章の一端を解放した。
「…天空駈ける神鳴る力よ、『飛翔する雷撃』となりて、敵を討て……」
言霊を放った瞬間、『真の雷の紋章』がその姿を顕現し、雷撃が幾筋もの球体とな
って魔獣に襲いかかった。
 空間を白に埋め尽くし魔獣を消滅させる。
 しかし、ゲドの真の紋章の魔法であっても、続々と増える魔獣を殲滅するには至
らなかった。
「キリがない……」
紋章の使用回数にはあるため、威力が強いからと言って多用できない。短期決着と
行きたいところだったが、考え無しの紋章使用は出来なかった。
 クィーンもジョーカーも、各々所有している紋章を効果的に使用しているが、増
え続ける魔獣の抑止力にはならず、建造物を背後にしてアイラとジャックが応戦し
ていたが、数の多さに防衛ラインを突破され、ゲド達が相手をする魔獣の数も徐々
に増えていった。
「ったく、今度こそは懐のことなんて気にせず、ぐっすりゆっくり休もうと思って
たのに、畜生ッ!!」
左手のスパイクを急所に叩き込みながら、右手に短剣を持ち、ナッシュは果敢に応
戦していた。
「こんな事なら、もう少し重装備にしておくんだったかねっ!」
と懐から取り出した『踊る火炎の札』をボーンソルジャーに放った。
 効果範囲の広い『踊る火炎の札』はナッシュの前方に展開し、ボーンソルジャー
を悉くその焔を以って舐め尽くし、後には焦げ付いた石畳しか残さなかった。
 自身の眼前から魔獣を消し、他の援護に回ろうとした時、視界の端で陰が動いた。
 ナッシュは即座に左手のスパイクを構え、臨戦態勢をとる。全く隙の無い動作で。
 これ以上の魔獣の出現で、取り囲まれることだけは防がねばならなかった。
 ナッシュが闇に定めた瞬間、彼の頭上を幾本かの雷が横に走り上空を旋回してい
た複数のエムプーサを攻撃した。
「ゲドかっ!?」
とゲドの方に首を巡らしてみると、彼自身魔獣の相手をしながら、突然使用された
雷の魔法に驚きの色を見せていた。今使用された魔法は間違いなく、『飛翔する雷
撃』。しかも強い攻撃力を持っていた。
「違うのか…?一体誰が?……」
ゲドのパーティーの中で雷の紋章を宿している人間は、ゲド以外には当てはまらな
い。ナッシュ自身、補助の為の水の紋章しか宿していなかった。
 突然の雷魔法を喰らい、浮遊高度が落ちたエムプーサにとどめを刺し終えたエー
スがナッシュと共に、光の射さない通りに構える。
「誰かいるのか……?」
 スパイクを構える左手に力がこもる。
 アイラやジャックも闇に対して鏃を向けていた。
 闇に目を凝らしていると、エムプーサの咆吼と蒼白い雷がスパークするのが確認
できた。この通りの奥で誰かが、エムプーサを相手に戦っている。
 誰とも知らぬ人間が放った雷によってエムプーサは致命傷を負ったのか、立ち向
かおうとはせず、反対の方向へナッシュ達の方へ逃げ出した。
 エムプーサの姿が街の光などで照らし出されようとした瞬間、
『ギイイイイィィィィィッッ!!』
とつんざく悲鳴が辺り一帯に響いた。
 悲鳴を上げたのはエムプーサ。重力を無視して仰け反って立っていた。
よく見るとエムプーサの胸板から、白い何かが突き出ていた。
「っ!!!」
 一体何かとよく見てみると、それはエンプーサの体液にまみれた、『白い手』。
 人間の手がエムプーサの胸板を貫いていたのだ。手の平が見えるぐらい、エムプ
ーサの中にそれは埋まっていた。
 貫いた手は、一度完全に開かれた後、無造作に左にその手を薙ぎ、突き刺した屍
体を打ち捨てた。
 そして右手にエムプーサの体液を滴らせながら闇から現れたその姿は、その場に
居合わせた人間全てを驚愕させるのに十分であった。

 一人の少女が闇の中から融けて出た。

 その姿は全くと言っていいほど戦闘とは無縁な少女で、戦闘に準じた装備など一
切身につけておらず、爽やかな色のショールを肩に掛けている少女だった。
「なっ……」
ゲド一行、ゲドも含めこの少女の登場に皆、度肝を抜かれた。そして、その中で最
も抜かれたのは……。

「な、な、な……」

「おい、ナッシュさん…」
 驚くのは分かるが、そこまで、というエースを無視して、

「何でお前がこんな所にいるんだよっ!!シエラッ!!!」

 声を大にして叫んだ。
「久しいのう、荷物持ち。久方ぶりに会うたかと思えば、斯様なセリフを吐くとは、
育ちが知れるのう」
と外見とは裏腹に、全く似つかわしくない口調で言葉が話された。
「久しぶりだとぉ…?この間、城に来てたくせに、よくもそんな事をのうのうと言
えるなっ!!」
 時間感覚自体、人と同じかも疑わしいというのに。
ナッシュとの口論が繰り広げられている中、最もシエラと距離を置いていたアイ
ラが驚愕の色を浮かべていた。
「あいつ、一体何?」
「…どうした?」
「あの女、一体何なの?あいつ、本当に人間なの?」
「?」
「精霊が、あんなにも精霊が騒いでる。あいつの周りで…。普通ならこんな事、絶
対にないよっ!」



「……何で、お前がでばってんだよ…」
ナッシュ自体、スパイクの構えを解き警戒を解いているが、ゲド一行としては全く
判るものでもなく、ナッシュとの会話を聞いているしかなかった。
「わらわが何処で何をしようが、勝手であろう。お主程度の荷物持ちが何ぞ、わら
わに意見するのかえ?」
歯牙にも掛けぬ。とは今の状況を指すものなのか……。
「そう言う事じゃなくて、お前が動いているって事は……」
この少女を相手にすると、全く自分のペースを作ることが出来ない。過去は当然で
あり、今以ってもそれは変わらなかった。…相手が悪い事もあるのだが。
「なぁ、ナッシュさん…」
今までナッシュの後ろで話を聞いていたエースが、
「あの『シエラ』って、あんたが演劇で言ってた、あの『電撃妖怪オ…』」
「わっ、馬鹿っ!言うんじゃないっ!」
 と、ナッシュの悲鳴は、最後まで言われることはなかった。
 エースが言い終わるか否かの瞬間、エースは蒼白い雷光に包まれ、石畳に埋没し
たのだった。ついでに、その後ろでゲドが戦っていた魔獣を道連れにして。
「エースッ!!」
魔獣のカタがついたクィーン達が急いで駆け寄ってくる。エースは完全に昏倒して、
ナッシュは…、昔取った杵柄か紙一重でかわした様だった。
「お前っ!一体、何者だっ!!」
一斉にシエラに対して、武器が向けられた。
「ふん…、お主等に名乗るななど持ち合わせておらぬわ」
動じる事無く悠然とした態度で。
「その口、二度と開けないように今すぐこの場で塞いでやろうか?」
とクィーンはいつになく殺気立って。クィーンだけでなく、他のメンバーも同様で。
 クィーンに首に刃を突きつけられた状態でも、ナッシュに『シエラ』と呼ばれた
少女は全く取り乱すことなく立っていた。
「ふぅ、荷物もちめがいるのであれば、わざわざこの様な場所、訪れることなど無
かったというのに……」
と自分の置かれた状況など全く気にもしていないようだった。
「無駄足も良いところであったのう」
とわざとらしい素振りであるのに関わらず、見る者を引きつける素振りであった。
 こちらに近づいてくるゲドを目の端で捉えながら、この天使の様な微笑みの中に
悪魔の瞳を持つ月は、面白そうに辺りを窺っている。この状況を楽しんでいる、そ
んな感じを与えた。
「…貴様、何者だ?」
 背後に警戒しながらゲドがシエラの目の前まで歩み寄る。
「聞こえなんだか?お主等程度に名乗るななど持ち合わせておらぬと」
「…………」
 無反応のゲドに対して、シエラは薄く微笑んだ。
「まぁ、見当はついていたが、予想通りのようよのう…」
「何を……?」
とゲドが聞き返した瞬間、突然空間が歪んだ。
 水面のように空間が歪み、白い光の奔流が出現した。
 紫闇の白光は、シエラの周囲を一周、ゲドの背後でこちらの様子を窺っていた魔
獣を横薙ぎに呑み込み尽くし、出てきた時と同じ様に歪んだ空間へ消えていった。
 闇の紋章魔法の一つである『送る鐘の音』。シエラは瞬時にして魔法を発動させ
た。それは、目の前に立っているゲドが魔法詠唱の時、出現する魔力の燐光に気づ
かない内での出来事だった。
「ほんに…この程度の魔獣ごときに手こずってとは、先が見えているようなものじ
ゃな……」
と魔法一つ解放したのにも関わらず、シエラは疲れた素振りも見せてもいなかった。
「……シエラ、お前一体何しに来たんだよ…。
 俺達を助けに来たのか……?」
 エースの件はともかく…、シエラの行動を見れると、こちらの危機に駆け付けた
と考えられるが、如何せん、この尊大な態度である。
 行ったこと以上に、言っている内容によってその事を忘れさせていた。
「誰がお主などの荷物持ちを助けてやらねばならぬのじゃ」
「……。あぁ、左様ですか…」
 酷い言われ様。
「…わらわとて、天のためなくば、この様な場にわざわざ赴いたりなどせぬわ」
「……何で…」
と疑問に思えるのは当然ナッシュで。この尊大な性格の少女がどのようなものかを
重々承知である。であるのに関わらず、この少女は自身の言うとおりわざわざこち
らに赴いたのである。彼女のセリフに出てきた『天』という存在のためなのだろう
か?
 シエラは耳元に流れている髪を軽く掻き上げて、面倒臭そうに口を開いた。
「荷物持ち」
 彼女にとって、荷物持ち以外の人間は眼中外なのだろうか…?
「シエラ、俺にだって名前があるんだけど…」
「喧しい、お主など『荷物持ち』で十分じゃ」
 シエラはすらりとなめらかに伸びた右手の指で指し、
「……この先の道を真っ直ぐ行けば、市庁舎に着く。
 さっさと避難するがいい」
「………」
 一瞬、完全にナッシュは凍り付いた。彼自身が知る彼女の口からまず出ることの
ないセリフが出てきたから。
「…俺達にそれ、言いに来たの?」
と本気で真摯な顔で聞き返した。
「二度も同じ事を言わすでない。お主等がこのまま外で油を売っている方が迷惑な
だけじゃ」
あの程度の魔獣ごときに後れをとっているようでは、足手まといでしかない。歴戦
の強者であるゲド達に対して、憚ることなく言ってのけた。
「…お嬢ちゃん、ずいぶんな言いようだねぇ。もう少し、口の利き方ってもの、弁
えておいた方がいいんじゃないのかい?」
 クィーンは未だ、シエラの喉元に白刃を突きつけている。
「勇敢なものじゃな。そういうのは嫌いではないがのう……」
 突きつけられている白刃を気にもせず、シエラは微笑んで。
 だが次の瞬間、瞬きをする間もなく。
「少々、背後が疎かではあるがな」
 シエラはクィーンの背後に回り、心の臓のすぐ後ろを指先で押した。
「……」
 完全にクィーンは呆気にとられた。
「おい、シエラ。いい加減にふざけるのも大概にしろよ。
 …お前本当に、一体何しに来たんだよ」
 どう見ても、人をおちょくって楽しんでいるようにしか見えない。なのに一体…。
 睨んだところで、答えてくれるわけでもないのは重々承知だったが、それでも送
る視線は険しいものになってしまった。
「そろそろかのう……」
とゆっくりとした動きで首を巡らした。
 首を巡らした先は、市庁舎へと通じる通り。
「?」
 ナッシュもつられて、首を巡らしてみる。
と、その先には複数の松明の明かりが近づいてくるのが見えた。
「どうやら、助けが来たのか?」
ジョーカーは肩をほぐしながら推測した。
 松明を持った集団の先頭を走ってくるのは、赤毛の大柄な女性だった。
「あれは、締南国の……?」





「オウラン、こちらじゃ」

 真っ先に駆け付けたオウランと呼ばれた大柄の女性は、一目周囲の現状を見て、
「シエラッ、あんたまたやったのかいっ?」
 当然、地面に伏したエースのことを指して。
「何、少々無礼なことを言ったその酬いじゃ。分かりやすい狼煙であっただろう?」
と、全く悪びれた風でもなくぬけぬけと言ってのける。
「そう言う問題じゃないだろうがっ!! 客人なんだぜっ!!その客人に何かあったら、
誰に迷惑かかると思ってるんだよっ!!!」
「……」
このセリフには流石のシエラも黙るしかなかった。
 口を噤んだシエラを置いておいて、オウランはゲドと向き直り、
「悪いね、うちのとこの身内がしでかしちまって」
「いや……、ところで貴殿は?」
「あぁ、紹介が遅れた。俺は締南国親衛隊長オウランだ。で、あっちはシエラって
のだ」
「『炎の運び手』のゲドだ」
「了解した。
 ゲド殿、御覧の通り、今ミューズの街中は魔獣が溢れかえっている状態でね。あ
んた達の身柄の安全を確保しに来た。市庁舎にこれから同行してもらうぜ」
「随分と、丁重な持てなしだな……」
「…それに関しては謝罪させてもらうよ。ちょいと、色々と難しい存在なんでね…。
 でもまぁ、言うだけのことはしただろう?」
「……確かに」
 ただ一方的に毒舌を吐いているわけではなく、確かにしっかりと仕事はしている。
あれだけの数の魔獣をいとも簡単に消滅させたのだ。只者ではあるまい……。
「オウラン、何をぐずぐずしておる?さっさとそ奴らを連れていかんか」
 魔獣共がまた集まりだしているぞ、と忠告した。
 周辺にはまだ気配は感じられない。だが、あながち嘘ではないのだろう。彼女の
力を垣間見た今となっては、疑う気が起こらなかった。
 先程、シエラの雷撃を喰らったエースもようやく意識が戻ったようで、シエラに
抗議しようとしていたところ、ナッシュに止められた。
 そんなナッシュに、あの不可思議な少女シエラと過去に接点があったのだろうか、
とふとゲドは考えた。
 夜の闇にも関わらず、その存在の白さを確認することが出来るシエラ。あの少女
が一体何ものであるのか、ゲドには皆目見当が付かないでいた。恐らく、同族では
ないのかも知れない、と漠然と感じるくらいでしかないが。
 だからと言って、人と呼ぶ存在に対して、脅威であるかと考えれば、そうでない
気がするが。
 全てにおいて、推測でしかなかったが…。
「何だか、とんだ出迎えだね」
 漸く剣を鞘に収めたクィーンが、不愉快であることを隠そうとせず吐いた。彼女
の視線は肩越しに、オウランと何か喋っているシエラに向けられている。
「しかし、これでこことおさらばできるのじゃろう?やっと肩の荷が下りたわい」
とジョーカーは連戦で悲鳴を上げているようで。
「……、大将、あの女一体何なんですか……」
この中で最もとばっちりを喰らったのがエースである。まさに『口は災いの元』を
体現してくれた貴重な存在だろう。
 だが、思ったよりもというより、魔獣一匹倒したのに、エースはその割にはピン
シャンしているのである。彼女のなせる技なのか、それとも日頃の行いか……。
「…さぁな」
「ヒューゴ達、無事だと良いんだけど……」
「………………」
「曲がりなりにも『炎の英雄』だろう?そう簡単にくたばったりはしないよ」
 ところでナッシュ。あんた、あの娘とどういう関係なんだい?」
 クィーンが腹いせに訊いて来た。
「…………………………………………」
彼の顔は表現できない複雑かつ微妙な色になっていた。そう、まるで森の中で見て
はいけないモノ見てしまった時のような色合いに……。
「…………………………荷物持ち……」
としか言えない、自分をこれほど不甲斐ないと思ったことはなかっただろう。本人
がいる手前、実際、シエラとナッシュの距離は大分空いているのだが、下手に喋る
ことが出来ない。それこそ『口は災いの元』。彼は15年前、散々それを身を以って
思い知らされたのだから。
「……喋ることが出来ない仲なわけかい?」
「………………」
 もう顔面蒼白で、冷や汗が滝のように流れ落ちている。
「……、へ〜ナッシュさん、そっちの趣味があったのかい?」
「そっちって?」
「まぁ、世の中、色々あるってことさ」
 コドモは知らなくていい。
「…………」
「まぁ犯罪にならん程度にな」
 まさに好き勝手言い放題。しかし、本人がいる手前、否定して下手なことを言えな
い。言ったら最後、それこそ血祭りとなるだろう。嗚呼、彼の苦悩は果てしない。
 そんなナッシュの苦悩を横目に、シエラとオウランは……
「で、これからどうするんだ?」
 ゲド達は親衛隊員に任せて、彼らを連行している。
「…天の所へ」
 素っ気ない言葉。それでも言葉の裏側に在るものを容易に汲み取れる。
「一体どうなってるか見当ついてるのか?」
「大体はな」
 前方を進むゲド達の姿を見ながらオウランは、
「思ったよりも、期待外れな感を拭えないんだけどな……?」
 市庁舎へ進んでゆくゲド達の後方につき、周囲の気配を探りながらオウラン達は歩
いていく。その顔には少々落胆の色が見えている。
「そうか? 存外に面白いと思うがな」
「散々けなしておいてか?」
「程度が程度じゃ」
「まぁ、俺達にはわかんないからな。任せるよ…、ん?」
 視線を向けると並んで歩いていたシエラの姿が、いなかった。
 何処に行ったのかとオウランは振り向いてみると、シエラは数歩後ろで立ち止ま
っていた。
「?どうした、シエラ?」
 彼女の視線は、正門の方を見ていた。
「何かあったのか?」
 オウランの表情も険しくなる。
 そんな二人に気づいたのか、ナッシュも立ち止まりこちらを伺っていた。
 月は輝き、闇を照らす。魔獣の声は遠退き、辺りは静寂が降り立っている。その
中で全神経を集中させる。


 何かが、起こっている。




「--------------------------!!!」
 前方で鋭い悲鳴が上がった。その声に引かれて視線を向けてみると、
 右手の甲を押さえつけて、片膝をついているゲドの姿が飛び込んできた。
彼は左手で右手を抑え込み、必死で何かを封じ込めようとしている様に見えた。
 右手は翡翠色の雷光がまとわり、弾く様な音が響き、力が溢れ出かかっている。
 ゲドはそれを必死になって抑えていた。
「『真の紋章』が……?」
ゲドの右手の甲が輝きを増していく。
「まさか、暴走……?」
心臓を鷲掴みにされたような恐怖に襲われる。噂でしか聞いたことはないが、紋章
が暴走したとなると、その被害は尋常なものではない。
「大将!!」
 輝きが最高潮に達した時、『それ』は顕現した。
 翡翠色を纏う鋭角的な姿をした『真なる雷の紋章』が。
『真なる雷の紋章』はその姿を現すと刹那に、虚空へと掻き消えた。
「……っ」
 オウランは咄嗟に振り返っていた。
「シエラッ!!」
 彼女はその声で漸くオウランの方を振り向き、
「そう事じゃ。後は任せたぞ。
 シュウに伝えておくがいい、騒がしい夜になるとな…」
「分かった」というオウランの返事を待たず、シエラはその次の瞬間には、闇に融
け込んでいった。
「ゲド、大丈夫なのかい?」
 クィーンは同様に膝をついて。
「…あぁ、……心配掛けてすまん」
と声の調子も、元に戻っている。
「ゲド、一体どうしたんじゃ?」
 付き合いの長いワンであっても、流石に肝が冷えたようで。
「……わからん。ただ、紋章が共鳴した……」
「共鳴? 誰とのです?団長さんのとか?」
 エースが素早く考えを巡らす。
「いや……、クリス達のとは違う気がする」
「じゃ、一体誰なんだい?」
 三人寄れば文殊の知恵、になるような状況ではなかった。ゲド本人が状況を把握
出来ていない。
 歩みが完全に止まってしまった集団に、オウランが駆け付けた。
「何が起こったのか分からないが、市庁舎に急いでもらうよ」
 彼女自身、何かに急いていた。
「隊長さん、あの、お嬢…さんは……?」
 エースが言葉に選んで。オウランの背後にはシエラが見えなかった。
「シエラはもう向かった」
「向かったぁ?」
「どういうことだ?」
 ゲドが鋭く聞き返す。
「あんた達には関係ないことだ。兎に角、あんまり心中穏やかならざる事が起こっ
てるようなんでね。あんたの紋章を奪われるわけにはいかない」
「……何が起こっている…?」
「俺達には、わからんよ。ただ、ここでのんびりしているわけには行かない」
 このオウランのセリフに、ふと何か引っかかった。
「どういうことだ……?」
「分からないと言ってるだろう。俺達にはね」
「……、じゃあ、俺達以外なら分かるのか?」
とナッシュは自分でその言葉を言った瞬間、目を見開いた。
 一つの符合が合致した。共通する事実。それは……
「お、おい、ナッシュさんッ!!」
 その瞬間、ナッシュは弾かれるように駆け出していた。
「一体、何だってンだよ、血相変えて」
 ナッシュが消え去った方向に視線を向けてることなくゲドは、
「…………オウラン殿…」
「言っただろう。
 分からないのなら、その程度だって。
 俺にとって大事なのは、あんた達の身柄の確保だ。それ以外に何でもないよ」
「何が言いたい?」
「あんた、本当に分からないのか?俺ンとこは事ある毎にぶっ倒れてたんだぜ?
 それとも、気づこうとしていないだけなのかい?」
「…………」
 何かが、このミューズで起ころうとしていた。いや、起こってはいる。ただ、気
づいていないだけで。
 その何かへ、シエラは即座に行動し、ナッシュもまた単独で行動した。オウラン
は具体的な内容を把握してはいないが、それでも漠然と察知している。
『俺達』は分からない。その『俺達』を指しているのは一体誰なのか?

『本当に分からないのか?』

 あの直前、紋章が突然共鳴した。

『俺ンとこなんて事ある毎にぶったおれてたもんなんだぜ』

 そのセリフが指している事実。
 この時初めて、ゲドは気がついた。ある事に。
 余りにも気配が雑多に混じっていたため、事実が分からなかった。
「そうか…、そういうことか…」
 見落としていた事。それとも言われたように、見ようとしていなかったのかどち
らか判断しかねたが、今はそんな時ではない。
 今、何が起こっているのか、何が起ころうとしているのか。それを黙って傍観し
ている場合ではなかった。
「やっと、気づいたみたいだね。そんなんだから、あの娘に『その程度』って馬鹿
にされるんだよ」
「そうかもしれんな」
 自嘲的に口の端が上がる。
「さてと、気づいてくれたのは御の字なんだけど……」
 辺りの気配を伺うと、殺気が四方八方から感じとる事が余りにも容易だった。
「あんまりにも、ちんたらし過ぎてすっかりと取り囲まれちまったようだな」
 獣の咆吼、鎧が擦れ合う音、骨の足音。
「万事休すっすかぁ?」
「くたばるんだったら、エース、あんた一人でして頂戴。あたしはさっきも言った
ようにゴメンだよ」
「ったく、やっとゆっくり出来ると思ったのに、この様かい」
「あたしも、こんな所で死にたくないっ」
「…………あぁ…」
「なら、答えは一つだろう」
 彼らの答えは当然一つ。
 見事なものである、先程戦ったというのに、全くと疲れを見ず。皆が皆、戦意に
満ちあ溢れていた。
「なぁ、虎と狼、相手するんだったらどっちがいい?」
突然の問いかけ。
「……虎だな」
それに動じず、ゲドは答えた。
「なら、決まりだ」
 シエラ達が消え去った方向を指して、
「この道を進んで、右に曲がれば、何れは正面大通りに出る」
「オウラン殿…?」
「その先で恐らく派手にやり合ってるだろう。
 このまま、強引に市庁舎に行くよりも、そっちで固まってもらった方がいいだろ
うしね…」
「すまんな」
 そう短く言うと、ゲド達は互いの顔を確認しあって、闇へ駆け出した。
 ゲド達を見送った後、オウランは一息ついて、
「さてと、引き受けちまった分はしっかりと仕事しないとなぁ。
 命令違反しちまったんだ、それなりに働かないと軍師殿にどやされちまうよ」
 右手に怒りの紋章、左手に乱れ竜の紋章。二つの拳が光って唸る。


「大人しく、冥土に落ちなっ」



(last up 2003) すごいエコヒイキ具合です。