夜になって。
暗闇の帳が街を覆い、世界を覆い、人々は家に入り、太陽が再び大地を照らすま
での間、ほんの一時の休息に付く。
ミューズ市庁舎近辺は、明日の議会のために時間に関係なく、人が動いていた。
久しぶりの重要な議会が、ジョウストンの丘で開かれる。今回は六大都市代表に加
え、西からの客人もこの議会に出席することもあって、市庁舎に務める者、議会出
席者等は明日の議会のために、準備に追われていた。
それと共に、西からの客人が敵対している『破壊者』と称する存在に対しての警
戒から、議会出席者に同行している兵達は、宿舎近辺の警戒にあたり、今回、客人
達を護衛したマチルダ・グリンヒルの兵は宿屋近辺の警戒に当たっていた。
万事ぬかりの無いように。
それが、城からの厳命だった。
街を哨戒に当たっている兵が持つ松明の火を、ミューズ市庁舎の二階にいる天威
は眺めていた。
彼は今回の議会に出席する予定はない。国主に即位する以前も、それ以後も彼は
基本的に表に出ることはなく、宰相であるシュウに外交的なことは任せている。国
内の問題に関しては積極的に関わっているが、国外の問題になると皆無である。そ
れでも、近頃は国内の問題でも、そう表立つことは控えていた。
議会に出席する予定のない天威が、今回ミューズにいるのは、当然『真の紋章の
継承者』が如何なる人物か興味があったからだった。だからといって、面と向かっ
て会うことは控えていた。
それに彼自身、気になることがあり、今回、ミューズ入りする事を渋ったシュウ
を押し切ってここ留まっているのである。
「…何もなければ良いんだけどね」
ミューズ市内を眺めながら、それでも不安を口にする。
「兵の配置は万全ではありますが、やはり何か気になることでも?」
「……何だかね。これだけ継承者が集まってるんだ。何か無い方がおかしい気がす
る。何もないことが一番なんだけど…」
と、何かに対して天威は危惧していた。
ミューズには今現在、継承者が六人存在している。過去、この様なことがあった
だろうか。歴史を動かす力を、運命に逆らう力を有する『真の紋章』。27個の内、
このミューズに6つもあるのだ。継承者である天威としては、危惧を抱かずにいら
れないだろう。
「我々の出来る限りのことが、功を奏せばよいのですが…」
「シュウが考えたんだ。何かあっても最小限の犠牲で済むよ。それに、何かのため
に僕はここにいるんだからね」
「天殿……。国主自ら動かれることは、あまり望ましいことではありませんぞ」
渋面になって言っても、この人物に効果があまり期待できないのだが、それでもそ
うする以外になかった。シュウが仕えることを良しとしたこの人物は、困ったこと
に、自分で解決しようとする質で、彼が立っている地位のことなど考えないので、
ほとほと困っていた。まぁ、シュウ自身、多少の諦めはあるし、それ自体良しと考
えている部分があった。
「この状況下で、何か起こること、あまり考えられないんだけどな」
ソファーに腰を下ろしているイーヴァが言った。
彼は今日一日、市内を回り、警備状態をその目で確認していた。
彼の目から、このミューズの状態は、まさしく万全と言っても過言ではなかった。
兵の配置数、行動範囲の限定、役割分担の絶対化、それぞれが行き届いていた。
「何もないことが一番なんですけど、やっぱり備えあれば憂いなしです。
折角、グラスランドから来ているんだから、何事もない状態で帰ってもらいたい
ですよ」
「確かにね…」
「そう言えば、天殿方はヒューゴ殿らにお会いになられたのですか?」
「…黒い人に会ったよ」
武器屋で偶然ね。
「僕は、……正門で見たよ。会った、てわけではないけど」
「……小娘と小僧は見た。黒いのは知らん」
継承者に興味があるからと言って、わざわざ会いに行くこともない。どうせ会う時
は会うだろうし、会えない時はどう足掻いたとしても不可能。それが三人の持論で
ある。別にそれが不老になったために時間感覚が無くなったわけではなく、巡り合
わせとはそんなものだ、という考えから。
「アップルやトウタ、フッチにブライト。みんな元気そうだったね」
懐かしい顔ぶれを思い出して、穏やかに笑みが天威に浮かんだ
「そうだね。フッチは無事、竜洞に戻れるようになったからね。ホントに良かった
よ…」
イーヴァも、フッチが騎竜ブラックを失った事に心を痛めていた事もあり、ブラ
イトともに竜騎士の一員としての姿を見られた事が、嬉しかった。
「トウタも、医師として活躍しているようですね」
「ホウアン先生、嬉しそうだったね」
ホウアンも今回の天威のミューズ入りにあわせて、市庁舎に詰めている。
「……しかし、アップルがまた戦争に関わっていたとはね…」
「……」
アップルはイーヴァの戦いから、天威の戦いを経験している。年齢ももうそれなり
なのだし、もう少し平穏な生活をしても良いものの、巡り合わせが悪いのか、今回
も戦争に参加している。兄弟子のシュウにとっては頭の痛い話である。
一時は、トランに落ち着きシュウの心配も無用なものかと思っていたが、予想が
的中というのか、最悪の結果というのか、アップルはトランを離れてしまった。
まぁ、シュウとしては、予想しなかった内容ではないのだが、それでも、当たら
ないでいて欲しかった。
「ところでシュウ。アップルが離婚したことは真か?」
あてなく旅をしているシエラにとってこの手の話は疎い。
「…………」
流石のシュウもシエラの質問に、こめかみが微妙に動いていた。
「…そうだ。夫の浮気が原因だそうだ」
夫の性格を知っているので、シュウとしてはもう少し考えるように言いたかったの
だが、アップル自身それを選択したのだから、他人である自分がとやかく言うべき
立場でないことは判っていたが……。
『アップルの離婚』事件のお陰で、一時期、トランと締南の間には緊張状態が走っ
たとか。ともかく、レパント大統領とその妻アイリーンは「育て方を違えた」と、
本気で後悔して、シュウに詫びたのだった。
「……まぁ、あの小僧ではな…」
無理もないだろう。だからと言って、夫を責めない、理由にはならない。
当の本人であるアップルはその事に対して、そう気にも留めておらず、荷物が無
くなった途端、再び、マッシュの伝記取材に旅立ってしまったのだ。大した器であ
る。
「…話は変わりますが、グラスランドでの争乱。一体誰が首謀者なのでしょうな?」
アップル達から詳しい話は聞いているが、敵の首謀者は仮面を付けてるため、依然
誰であって、真の目的が分からない。
「判っている内では、セラという幻術を使う強力な魔術師、黒衣の剣士ユーバー、
そしてレオン・シルバーバーグの孫であるアルベルト・シルバーバーグ……」
「レオンはもう年だからね、表舞台に立つようなことはないと思っていたけど、ま
さかその孫がね……」
次代に譲った…というわけだろう。
「ハルモニアの神官将なのじゃろう?そやつは。何ぞ分からぬのかえ?」
「仮面の神官将自体、神官将位を授かってから日が浅く、望んだ情報を得ることが
出来なくてな……」
シュウの情報網を以ってしても、この『仮面の神官将』が何者なのか、掴めてい
なかった。
「仮面を付ける……、何か隠す必要からか……?」
「…………」
「そう言えば、気になる話が……。
仮面の神官将と戦闘した時、その男が使用した紋章が『風』であったと……」
「『風』?真の五行の紋章が全て姿を現しているのか?グラスランドに?」
ヒューゴの炎、クリスの水、ゲドの雷、ハルモニア・ササライの土、そして、
「『真の風の紋章』は……」
その瞬間、窓から耳を劈く音が響いた。
「何事だっ!!」
窓に駆け寄ってみると、街の至る所で魔獣の咆吼が聞こえた。それと共に、街の辻
辻で魔獣と戦闘に入っている兵の姿を捉えた。松明の炎が魔獣を明々と照らしてい
る。
「市内に魔獣が?」
「一体どう言うことだっ!!」
シュウの鋭い声の後に、兵が彼らのいる部屋に飛び込んできた。
「申し上げますっ。市内に突如として中空より無数の魔獣が出現。各兵、戦闘に入
っております」
「中空から出現しただと…」
「召喚されたのか?
シュウ、各市代表に伝えろっ。各個協力し、魔獣を駆逐しろと」
「御意」
「住民は?」
「外に出ている者は、付近の家に退避、中の者には戸口を塞ぎ、決して出るなと伝
えに回っております」
「シュウッ!」
「当然、件の者等でしょう。そうなれば、目的は……」
それを聞くか聞かないかの内に、天威はソファーに立てかけていた天命双牙を掴み
取ると開いていた窓から身を宙に躍らせたのだった。
「天威殿ッ!!」
彼らの目的など明白。ヒューゴ、クリス、ゲドの真の紋章だろう。それを奪われる
わけにはいかなかった。
「あの方はっ!!」
と言っても無駄なことだった。彼はもうミューズの闇にとけ込んでいた。
「シュウ殿、僕も出るよ」
「致し方ない。付きおうてやろう」
「すまん。天威殿の元へ行ってもらいたのだが、紋章の継承者に会ったなら、市庁
舎に退避するよう伝えて下さい。私もすぐ出ます」
「分かった。とりあえずは、継承者の方をあたってみるよ。
天威が簡単にどうかなることはないからね」
そう言うと、イーヴァも天威に倣い窓から飛び出していった。
「ふぅ。賑やかな夜になりそうじゃ」
シエラはいつの間にかその姿を消していた。
シュウは三人を見送ると、彼もまた部屋を出た。
市庁舎ホールには、フィッチャーを始めとする都市代表達が顔を並べていた。
「フィッチャー殿、テレーズ殿。貴方方は市庁舎を頼みたい」
「分かりました」
「マイクロトフ殿、オウラン、貴公等は市内に出、天威殿の援護を頼む」
「了解した」
「分かったよ。ついでにお客さんも何とかしてみる」
皆、行動は迅速であった。戦闘が出来る者そうでない者違わず、自分にとって何
が出来るかを心得ている。戦える者は戦える者の戦い方を、そうでない者はそれ以
外での戦い方を各個に開始した。
宿屋で休息をとっていたヒューゴ達は、突然響き渡った咆吼に、まさか、と思い
ながらも剣を手に取り、外に飛び出た。
「一体何が?」
と言うルシアの疑問は、瞬間にして消え去った。
街の状態を見れば一目瞭然。ミューズ市内は、ヒューゴ達が戦場で相手をしてい
る魔獣で溢れかえって、市内に配置されていた兵は、魔獣と戦闘を開始していた。
「こいつら、何でこんな所に」
「大方、例の魔女が呼び出したんじゃないのか」
見る限り、決して街になどに出てくるわけがない魔獣が確認出来た。ゴーストアー
マー、キメラ、ボーンソルジャー、エムプーサ…。まず街中で見かけるなど、有り
得ない。
『キュイイイィィン』
「フーバーッ!!」
鳴き声がした方向を見ると、フーバーがヒューゴ達に向かって飛来してきたのが分
かった。それと同時に夜の空では空中戦が広げられていた。
「フッチさんッ!!」
竜騎士のフッチがブライトに騎乗し、羽を持つ魔獣エムプーサと戦いを繰り広げて
いた。ブライトの白い巨躯を駆使しながらの戦闘だった。フッチは両手の大剣を振
りながら、ブライトは爪と牙、そして火炎の吐息でエンプーサを撃退していた。
「一体、何匹、魔獣がいるんだ?」
「とりあえずは目の前の敵を倒す方が先決だな」
前を見ると、ゴーストアーマーが臨戦態勢に入っていた。
「ヒューゴ、抜かるんじゃないよ」
「母さんこそっ!!」
そう言ってヒューゴは真っ先に敵に躍りかかっていった。
「ルシア族長、少し嗾けすぎですよ」
「我が子の活躍は見たいものなのだよ」
「だからって、怪我したら意味がないでしょう」
とジョー軍曹が後に続いた。
度重なる戦闘によって、苦戦を強いられるわけではないが、流石に楽に倒せる相
手ではなかった。
ヒューゴ達は、宿の前に出現した敵を倒し終えた後、状況を確認するため、他の
仲間を捜すためにその場を離れた。
宿屋を出てすぐ突き当たる大通りでは文字通り、ミューズ兵と魔獣とで死闘が繰
り広げられていた。
「数が、魔獣の数が半端じゃないよっ!!」
シュウの策が功を奏し、魔獣に対して衛兵の方が数で上回り取り囲むことが出来て
いるようであったが、この場に出現している魔獣自体、獰猛で凶悪な部類に属しミ
ューズの衛兵達は苦戦を強いられていた。
「このままじゃ、埒が明かないッ」
「何なら、埒を明かそうか?」
「!!」
声を投げた先を振り向いてみると、そこには一人の黒ずくめの男が満月に照らし出
され立っていた。
「お前……、ユーバーッ!!」
「楽しんでもらえているようだな?」
凶悪な笑みを浮かべて歩み寄る。両手には月光に照らされてデスクリムゾンが瞬く。
「お前が、この騒ぎをっ!?」
ヒューゴはクワンガを胸の前で構え、それを合図に軍曹達もまた各々の武器を構え
た。
「少々、挨拶にな。貴様等が締南に顔を出すのであれば、こちらとしても顔を出さ
ねばなるまい…」
「どういう理屈だよっ!!」
「色々と、縁、と言うところか?」
「貴様が『縁』とは、笑わせるな。ユーバー。
旗色が悪くなった途端、逃げたのは何処の誰だったか?」
ユーバーのセリフに答えたのは、
「……、あの時の小娘か」
15年前、ハイランド軍で共に戦ったルシアだった。
「確かあの時、貴様はどの軍よりも一目散に逃げたのではなかったか?」
「先の見えた戦など……、価値のあるものでもあるまい。
生憎、俺には貴様等の言う主義主張など興味のないものだからな。
俺の目的は、破壊、滅尽滅相。混沌だけが、俺の渇きを癒す…」
「そして今度は、『破壊者』と共に、グラスランドを滅ぼすのかっ!!」
理解出来ない表情を隠すことなくヒューゴは噛み付く。
「『滅ぶ』のか、『あるべき姿』となるのか、言い様は様々だろう……・」
「戯言はここまでだっ
今ここで貴様を討つッ!! チシャ村での屈辱、ここで晴らすさせて貰うッ!!!」
「楽しまさせてもらおうか…。
『炎の英雄』…、貴様がどの程度のものか、その手の刃で俺を滅せよっ!!!」
ヒューゴが己の肉体のしなりを最大限活かし、ユーバーに襲いかかった。
(last up 2003) ← →