ミューズは柔らかな赤に包まれていた。
色とりどりの朱、赤、紅、緋。空に浮かぶ白い姿の雲もそんな空に魅せられたの
か、その色に委ねていた。
『綺麗な夕日だこと』
と回廊の窓から外を覗いていた。何とはなしに好物の赤ワインのようである、と言
う比喩は、少々趣が欠けるものかどうか知れぬが、それでもワインのように深みの
ある色合いだった。
日の差す時間帯に活動しないでいる事もあって、余り自分とは関わりのないもの
だが、それでも、その光は自分を拒絶しないでいた。
光から離れた立場であるのに、最も好むモノは月光であるのに、それでも日の光
に懐かしさを感じていた。
ミューズ市市庁舎の客室の間では、先程まで大いに話が弾んでいた。
客室であるが故、そう使われることが無く普段は静かを保っていたが、この時ば
かりは静寂は追いやられ、賑やかさが幅を利かせていた。
客室で語らっていた人物は、マチルダ騎士団団長マイクロトフ、ゼクセン騎士団
団長クリス・ライトフェロー、同騎士パーシヴァルとボルスであった。
各々属している場所は違うとは言え、同じ『騎士』である。それ故に、様々な事
を大いに語っていた。
互いの騎士団が如何なるもの、と言うことから始まり、騎士とはどうあるべきか、
若輩であるクリス達は、年輩であるマイクロトフに騎士についての疑問をし、マイ
クロトフはクリス達に若い者達がどのように考えているかを尋ねていた。
ある時は感情的になり、ある時は大いに笑い、充実した時間を過ごした。
窓から射し込む光はいつの間にか、優しい朱の色。
流石に今が何時なのかに気づいたクリス達は、もっと話し合いたいのは山々であ
ったが、流石にそう長い時間、厄介になっているわけにもいかず、太陽と共に退出
することにした。
「マイクロトフ団長、今日は貴重なお話ありがとうございました」
クリスは感謝していた。
悪く言ってしまえば、どさくさ紛れで団長の地位についた為、クリス自身どうにも
納得のいかないまま今までを来てしまった。騎士団にその事を打ち明ける存在がい
るわけはなく、悶々と煮え切らない状態であったが、他国とは言え自分と同じ立場
の人間の言葉を聞けたことは、何かを払拭させることが出来た。
「いや、クリス殿。私も様々な話を聞かせていただき、充実した時間を過ごすこと
が出来た。
こうして他国の騎士の方と話すことなどそうないものですからな、非常に楽しか
ったですよ」
彼もまた満面の笑みを浮かべていた。
「また何時の機会か、マチルダに。その時こそ、じっくりと話し合おう」
「その時は必ず」
マイクロトフは、ドアを開けた。
クリス、ボルス、パーシヴァルの順で回廊に出て、外までマイクロトフが見送ろ
うと足を進めた時、不意に背後から声をかけられ、四人は振り向いた。
「珍しいこともあるのね」
その声は、言葉通り驚きの色を現していた。
振り向いた先にいたのは、一人の少女だった。
「マイクロトフ、貴方の部屋から女性が出てくるなんて、思ってもみなかったわ」
クリスはそう言った少女を、失礼とは思いながらまじまじと見入ってしまっていた。
その少女の風貌と言えば、何というのか一言で言えば、いやそれ以外に形容が見
あたらないのだが『美少女』だった。
年の頃は16才くらいであろうか。身長はその年齢相応でクリスと比較すると当
然低いのだが、大体160p前後と言ったぐらいである。
髪は銀髪か、と思ったがよくよく見るとクリスのそれと比べると少々違うモノがあ
り、大まかに分類してしまえば銀髪と言えるのであろうが、彼女の髪は真珠色をし
ていた。
そして不思議なことに、彼女の双眸は紅玉。
ク リスの瞳の色である菫色の瞳自体、珍しいモノだが、この少女の瞳はそうある
モノではないだろう。クリス自身、初めてみる瞳の色だった。
とにかく、この突然の少女は言うに憚らず『美少女』だった。クリスの後ろにい
たパーシヴァル、ボルスも同様に呆然としていた。
「シエラ、少々酷い言いようなのでは」
「あら、だって本当のことでしょう。カミューならともかく、『貴方』はその手のこ
とに関して全くと言っていいほど無頓着でなかったかしら?」
「・・・・・・。それは人の違いというモノではないのですかな?」
「そういう事で片付けるには、少々つまらなくてよ」
「しかし、どう言われても関心がないのは確かですよ」
一体、この二人はどのような関係なのだろうか?、とゼクセンの三人は疑問に思っ
ただろう。
16やそこらの少女がマチルダ騎士団団長と平然と喋っているのである。お互いが
面識があると言っても、この情景は違和感があるものだった。
「ところで、マイクロトフ。後ろの方々は?」
困惑顔でシエラ達を見ていたクリス達に気づき、尋ねた。
「あぁ、失礼した。彼女たちは西からの客人ですよ」
そう言って、簡単にシエラに紹介した。
「・・・・・・クリス?」
と形のよい眉を顰めた。
「ご存じですかな?」
少し間が空いてから、思いだしたと言って話した。
「えぇ。ゼクセンの騎士殿ですわね。
ここに来る前にあちらの方にいましたから、色々と武勇伝は聞いておりますわ。
初めまして、クリスさん。私、シエラと申しますわ」
とにっこり花の顔。
クリスもそれにつられて、
「初めまして、シエラ嬢。クリス・ライトフェローと申します」
「ボルスと言います」
「パーシヴァルです」
「えぇと、シエラさんはマイクロトフ殿とはどのようなご関係で?」
「どのようなって・・・・・・」
と尋ねられた方のシエラがここで困惑顔になってしまった。それからマイクロトフ
の方に目をやりながら
「知り合いですわ」
「そうです。知り合いです」
とマイクロトフも、笑いながらきっぱりと言った。
「・・・いや、知り合いであることは判りますが・・・・・・」
クリスの方がさらに困惑顔になってしまった。知り合いであることは当然のことで
あろう。今まで平然と対等に会話をしていたわけなのだから。
「でも、それ以外に表現の方法が判りませんわ。
まぁ知り合ってからそう時間は経ってませんけど」
と、これはシエラの言。
「シエラはともかく俺としては短くはない時間ですがな」
とマイクロトフの言。完全にかみ合っていない。
「あの、一体・・・・・・?」
クリスの疑問は膨れるばかりである。
さてそんなクリスなどお構いなしに、マイクロトフは
「ところでシエラ、どうされたので?わざわざここにいるのは?」
「どうって。ただの興味よ」
「・・・・・・なるほど。で、興味本位で来てみてどうだったのですかな?」
「別に、程度は知れているし、それ以上のことを期待するつもりなど無いもの」
全く主語の存在しない会話である。
「まぁ一度で充分でしょう。二度もいらないわ」
「そうですか、俺には判らないことですがね。で、これからどうするんです?」
「そうね、正門まで行こうと思っているわ。今日は夕日が綺麗だから」
ミューズの夕日は美しい、と評判である。
ミューズ市自体、開けた大地に位置し北西には山々が連なり、山際に重なった夕
日の色はまた格別なものがあった。
しかし、シエラが示唆していることはそう言うことではなかった。
そしてそれに気づかないマイクロトフでもない。
「そうですか。余り日が暮れると冷えますからお気を付けて」
ハッキリ言って、ゼクセンの騎士達は完全に蚊帳の外に置かれてしまった。まぁ
だからといってどうしようにも、どうすることも出来ないのだが。とりあえず、状
況を見ているしかなかった。
しかし、と。ボルスはシエラとマイクロトフが会話している風景を見ながら、彼
女のあの尊大の様な態度は一体何なのかと、少々腑に落ちないものを感じていた。
マイクロトフ自身気にしていないのだから、他人である自分がどうこう言う立場で
ないのは判ってはいるが、煮え切らないものがあった。彼にとっては、『マチルダ騎
士団のマイクロトフ』と言えば、名を馳せた騎士で尊敬の対象である。その人物に
16才程度の少女が対等に話しているとなると・・・・・・面白くない。
「マイクロトフ、私はこれでお暇させてもらいますわ」
と行ってさっさと立ち去ってしまった。
後に残された四人は、一気に肩の荷が下りたようだった。
「何ともまぁ不可思議な女性でしたね」
今まで傍観者であったパーシヴァルが、この時初めて口を開いた。
「あの少女、・・・・・・一体何者です? あのような無礼なことを・・・・・・」
「いえ、ボルス殿。お気になさるな。私自身、何の気にもしていませんからな」
「申し訳ない・・・・・・」
「しかし、マイクロトフ殿。あの女性は一体どう言う方なのですかな?」
ただの16才の少女ではないだろう。と腕組みしながらパーシヴァルは考えた。
「そうですな・・・・・・、まぁあまり話せるわけではないのですがな。とりあえず、彼
女もまた締南国の客人ですよ。これ以上は控えさせてもらいますがね」
「客人って、彼女も国賓というのですか?」
「ええ。でもクリス殿達とは違い、まぁ招いたわけではないのですがね。
ハッキリ言って久しぶりですよ。彼女が訪れるのは・・・・・・」
マイクロトフはそう言って、クリス達を玄関まで見送った。
ゲド隊一行+αは、市庁舎での話が終わった後、総出で街に繰り出していた。宿
屋に納まっているのには早い時間であったし、こうして一介の傭兵部隊が、『国賓』
として招かれ、堂々と大手を振って他国の街を歩くことなどそうない。十分に謳歌
せねば詰まらないというところであろう。
そんなわけで、人目を憚ることなく彼らは街を歩いていた。
しかしだからといって、何処問わず顔を出すのではなく、彼らの向かう先は決ま
っていた。
ミューズ市庁舎東側にある鍛冶屋が彼らの目的地だった。
「ねぇ、ナッシュ。鍛冶屋がこんな所にあるのかい?」
ミューズに一度訪れたことのあるナッシュの案内で、一行は道を進んでいた。
「あぁ、鍛冶屋が引っ越ししてない限り、この先を行った所にあったぜ、クィーン」
ナッシュ達が進んでいる道は、大通りを外れ、日の射しがそう良いと言える場所で
はなく、薄暗かった。夕方であることも関係しているのであろうが。
「しっかし、ナッシュ、貴様もよく色々と知っているもんじゃのう?」
「まぁ色々と苦労しているからな・・・・・・」
このミューズでの苦労も、今思い出すと、今もっても笑い話にすることが出来ない
事ばかりであった。宿代折半、熊男の肘鉄、クライブとの遭遇、そして、世にも不
思議な手料理・・・・・・
「おい、何一人で思い出に浸っとるんじゃ」
「訊くなワン・・・・・。これには深遠な訳があるんだよ・・・・・・」
などと一人の世界に浸ってる間に、ゲドはさっさと目的地に入っていた。
鍛冶屋の中は熱気に溢れ、鎚打つ音、鉄を研ぐ音が響いていた。
彼らの目的は、自分達の武器の手入れの為であった。このミューズに来るまで戦
闘があったわけではないが、今までの戦闘でかなり消耗していた。いくらミューズ
にいるからと言って何時戦闘が起こるとは知れない。その事を念頭に置いた行動だ
った。
「主人、この剣を診てはもらえないか?」
鍛冶屋の中でふんぞり返っている人物にゲドが口を開いた。
主人は、「ん?」と応えて、ゲドの剣を物色した。
「・・・・・・旦那、結構使い込んでるねぇ」
「あぁ。だから、研磨を頼みたい。どのくらいで出来る?」
「・・・どのくらいで仕上げて欲しいんだい?」
「早ければ早い方がいいのだが・・・・・・、いつまでここにいるかもしれんからな」
「ふ?ん。
あんたら、西からの客人だろ?」
「・・・・・・」
「とりあえず、今からやってやるよ。まぁ早くて夜ぐらいだろうがな」
「では、それまで厄介になる」
とどっかりと座り込んでしまった。
それを合図に他のメンバーもまた、それぞれに動いていた。
エース、クィーンもまた武器の研磨を依頼し、ジャック、アイラは己の武器の調
整に入った。鏃の交換もついでにしているようであった。ナッシュはスパイクの研
磨をエース達と同様に依頼して、その後、何やら懐から取り出し、調合のようなも
のを行っていた。
唯一素手攻撃のジョーカーだけが手持ちぶさたで退屈につき合うこととなった。
単調な変化のない鎚打つ音が響いている空間、時折熱した鉄を冷やすために水の
中に突っ込み、蒸発する音がするだけだった。そんな空間にゲド達が居座ってから
暫くして変化が訪れた。
「主人、お邪魔するよ」
そう言って鍛冶屋に入ってきたのは、15〜6才くらいの少年だった。
赤い右合わせの胴着を着て、少しくすんだ黄色のズボンを履き、頭に緑色の布を
巻いた風貌の少年だった。
「頼んでいた物、仕上がってますか?」
現れた少年に、鍛冶屋の主人はゲド達に対してはとうって変わって、仏頂面だった
のが愛想の良い顔になった。
「あぁ、よく来なすった。
約束の品できあがってるよ」
と答えて、弟子の一人に命じて部屋の奥から、少年が頼んだと思われる品物をもっ
てきた。
それは長い物だった。
少年はそれを受け取ると、かかっていた布を取り外し包まっていた物の手応えを
確かめた。
布から出てきた物は、『棍』。
「・・・・・・・・・・・・」
ゲドは、目の前の棍を握った少年を何とはなしに見ていた。
鍛冶屋に棍の修理を依頼していたのだろうか。この棍を持つ少年を見て、年齢不
相応に落ち着いた雰囲気のある少年だ、とまず思った。
年齢からいえば、アイラと同じくらいであるのに、鍛冶屋の主人と会話している
限り、年齢相応の対応に関わらず、この少年を一目見て、何とも言えない齟齬を感
じるのであった。
「すみません。突然お願いしてしまって・・・」
「いやいや、気にしなさんな。俺としても、やり甲斐のある仕事で楽しかったよ。
どうかね?」
「うん。丁度良いよ。かなりボロボロになったから、本当に肝を冷やしてしまった
けど、早く直してもらえてよかったよ」
「残念ながら、城のテッサイ殿のようにはいかないんだけどなぁ・・・・・・。
まぁ、元がダメになってたわけじゃなかったからな、俺の手でも何とかなったも
んですわ」
と話に花が咲いていた。見事なほどの態度の変わりようである。
『棍・・・か』
とゲドは、もうこの世にはいない盟友のことを思いだした。
『あいつも、何でか知らんが棍使いだったな』
グラスランドの風土がそうしたのか、分からないが、『炎の英雄』焔舞(yen-woo)
は棍を使用していた。
『懐かしいな・・・』
そう見ていたゲドの視線に気づいたのか、棍の少年はゲドの方を振り向いた。
「珍しいですか?棍って」
「・・・あぁ、いや、少し懐かしくてな。
俺の友が棍を使っていたから・・・・・・」
「そうなんですか。
僕の師匠が棍使いだったんで、僕も使うようになったんです」
「そうなのか・・・・・・」
柄にもなく、ゲドは喋っていた。寡黙であることを自他問わず認めているのに、初
対面のこの少年と会話をしていた。クィーン達も珍しい物を見ているような感じで
あっただろう。
その後、少年は鍛冶屋の主人に代金を払い、店を後にした。
店はまた再び、元通りに戻り、単調な鎚の音が響いていた。
「あの人、例の西からの客人か・・・・・・」
クリス達が回廊で会話が賑やかになっていた頃、ヒューゴはミューズ市街観光に
精を出している真っ最中であった。
「すっごいな、ジョー軍曹。ホントに色々な店があるんだね」
何度も何度も首を左右にしながら、飽きることなく店に釘付けになっていた。
「そうだな。何といってもミューズだからな。締南国の品は大体ここに集まってい
るんじゃないのかな?」
恐らく交易の中心地として確立しているのだろう。店には様々な地方の特産品がこ
れでもか、と言うくらい列べられていた。
店々の品揃えの豊富さに驚きを覚えながら、軍曹は街の至る所で目にする衛兵に
目がいっていた。
通りの辻々には必ずと言っていいほど衛兵が立って周辺を警戒している。自分達
への殺意は全く感じさせてはいないから、ヒューゴなんぞは全く無警戒だが、衛兵
の配置数をざっと考えると、締南国がどれほど敵に対して警戒しているのかを伺い
知れた。
『それだけ、今回の会議が重要だって事か・・・・・・』
軍曹が脳内会議を開いている間、ヒューゴはヒューゴで色々と動き回っていた。
少年である。何かと食べ物に釣られてしまうのか、屋台で売られている食べ物を食
べ歩いていた。
「軍曹〜、これっ結構美味いよ。軍曹も食べてみない?」
と言うヒューゴの声で軍曹は我に返り、ヒューゴの方へ向かってみた。
ヒューゴが食べていたものは『コロッケ』と呼ばれる油で揚げられたジャガイモ
と肉をこね合わせたもので、歯触り感と肉のうまみ、その上にソースの香ばしさで
美味さが引き立たされていた。
「・・・どれどれ、どんなもんだ」
と言って、ヒューゴから手渡されたコロッケを食べてみると、
「おう、美味いな」
と早速、軍曹も自分の分を購入した。
いつの間にか太陽は沈みかけ、暗闇のベールが静やかに幕を下ろしだして。
流石にミューズ今の時間まで歩き回っていたヒューゴ達は疲れたのか、喧噪のな
い正門近くで休憩をとっていた。街中であれば、どうしても賑やかで自分達として
は落ち着くことが出来なかった。
市長フィッチャーは市内から出ないでくれ、と言ってはいたが正門の近くである。
そう距離が離れているわけではないので、少しぐらいは良いだろう。との理由だっ
た。
正門近くの石段に腰を下ろして、ヒューゴが一息ついた。
「はぁ〜、くったくただよ。これだけ街の中、歩き回ったのに、半分も見られてな
いんじゃないのかな?」
「そうかもな。何にせよ、店の数が多すぎて位置感覚なんてものが働きやしない。
こんな事初めてだよ」
ジョー軍曹も白いお腹をふかふかと揺らしながら答えた。
「それだけ、このミューズが栄えているって事なんだろうな」
グラスランドの比ではない。ゼクセンの比ではない。ミューズはそんな雰囲気を与
える街だった。
ふと、ヒューゴは周りに視線を巡らしてみた。
ミューズに広がる景色を見た。そこに広がる景色は、平和なものだった。
戦の気配を感じず、街の人間は仕事に精を出し、子供は街の通りを駆け抜ける。
死を背後に感じず、憎悪に満ちていない世界。
「…軍曹」
「ん、何だ?」
「俺達のクランもグラスランドも、こんな風に平和になればいいな…」
「そうだな」
「・・・・・・早く戦を終わらして、みんなが幸せに暮らせるようになりたいな」
「おうともよ。期待してるぜ、『炎の英雄』」
「って、軍曹は手伝ってくれないのかよ」
「手伝うさ。だが、やっぱり、何と言っても頑張ってもらわにゃならんのは、我ら
が英雄殿だろう」
「それって、すっごく都合のいいように解釈してないか」
「当然だ」
と軍曹は豪快に声を上げて笑った。ヒューゴも何だかそんな軍曹につられたのか、
いつの間にか大きな声を上げて笑っていた。
何が可笑しいのか、何が面白いのか判らないけど、それでも、声を上げて笑った。
肺を思いっきり膨らまし、腹の底から声を出す。
何だか久しぶりに大笑いしたような感じだった。
多分、その通りなのだろう。この戦が始まってから、皆に心休まる隙など無かっ
たのだから。皆が皆、戦にその神経を傾けていたのだから。
こんな時勢だが、ヒューゴをこのミューズに連れてくることが出来たことは良い
ことだと、軍曹は思っていた。
幼い身でありながら、戦禍のまっただ中に立ち続けているのだ。その上、英雄殿
である。たまには肩の力を抜かなければ、やっていけない。
このミューズに来たことが、ヒューゴにとって自分達戦士にとって、一時の休息
になれば良い、と軍曹は感じるのだった。
締南国は15年前までは戦乱が続き、混乱との背中合わせだった。しかし、15年前、
ハイランドを統一したことによって、国は一つとなり、安定を手に入れた。
そして、平和となった。
自分達グラスランドも、戦争のない、安定を、平和を手に入れることを願うばか
りである。
「あれ、あんな所に人いたっけ?」
というヒューゴの声に首を回してみた。ヒューゴの指す方向に、一人石段にもたれ
掛かって立っている少年の姿を確認することが出来た。
ヒューゴと同じくらいの少年。どちらかと言えば、ヒューゴより華奢な感じがあ
るだろうか。多分、肌の色も関係しているかも知れないが。
頭に金冠をはめ、黄色の肩布をし、紅い左上の胴衣を着た少年だった。
「さぁ、でも俺達がここに来てから誰か通った人間なんて無かったから、前からい
たんじゃないのか?」
自分達が気配を感じないなんて、と思いながら実際にそうであったのだから否定し
ようがない。
少年はただ、夕日の中を立っていた。誰かと待ち合わせをしているとか、誰かを
待っているとか、そんな風な感じではなかった。
ただ、立っていた。
「どうしたのかな?」
「さあな。ミューズの人間じゃないからな」
少なくともあの少年はかなりの長い間、あの場所で突っ立っている事になる。自分
達がこの正門に避難してくる以前からだから、もう半刻くらいはああして立ってい
ることになるのか、何とも
「暇なのかね」
「カラヤと違うんだから、別におかしくないのかも知れないよ」
「まぁそうなんだがな」
それでも、ああして突っ立っていること考えると、何か変な気がするジョー軍曹だ
った。
風が一陣、通り過ぎて。
今まで三人しかいなかった空間が変わった。
街の方から足音が近づいてきて、振り向くと一人の少女が歩いてきた。
その少女はヒューゴ達の前を通り抜けると、立っている少年の元へ歩み寄った。
少年もその少女の存在に気づいたのか、今まで伏せていた顔を上げて、何か会
話をしていた。
「迎えに来たみたいだね」
「そのようだな。
じゃあ俺達もとりあえず宿の方に戻ろうか、流石にこれだけ歩き回ったら疲れち
まったし、ルシア族長達に心配させるといけないからな」
「そうだね」
そう答えて、体を翻した。
ヒューゴは、体を宿の方に向けながら、正門の前に立っていた少年をふと思い出
した。
横からしか見ていないから、あまりハッキリしたことは判らないけど、あの少年
は立っている間、ずっと悲しい顔をしていた。いや、悲しい感じをしていた。
今にも泣いてしまいそうで、でも、表情はそんな感じがしなくて。
一体どうしたのだろうか。そんな思いが残った。
今まで、悲しみに彩られた顔を、何人もの顔を見てきた。敵味方関係なく。
でも、あの少年の表情は、悲しみの表情は、何かとても深いものを感じた。
もう、会うことはないだろうけど、でも、どうしてあんな顔をするのか。この平
和なミューズで、どうしてあんな悲しい表情をするのか、聞いてみたかった。
陽は落ち、天空には闇を照らす満月が姿を現した。
光の中では見付からず、闇の中に隠れた真実を照らす儚い光。
彼らの道行きを、照らす道標となるのだろうか・・・・・・。
(last up 2003) ← →