『サウスウィンドゥ珍道中』 




  

 その日、信じられないことが起こった。
 ミューズ市周辺にあったトトとリューベの街がハイランドによって滅ぼされ
た事より、ミューズは警戒態勢に入り、ジョンストン都市同盟の盟約より他の
都市の協力を得て、同盟軍はハイランド軍を退けた。
 しかし実際は、退けたのではなく、一時撤退であったことが後になって分か
った。それは後になって分かっても意味のないことだったが……。

「トウタッ!! 逃げますよっ!!」
「ホウアン先生っ!!」
窓の外を覗いてみると、荷物も持たずに逃げる人の姿が見えた。誰よりも先に
このミューズから脱出しようと、門に群がっていっているのが分かった。その
門へ向かっている街の人とは反対に、街を駆ける影も見えた。
 武装した兵士。ただそれは、ミューズの兵士ではなく、ハイランドの紋章を
つけた兵士だった。
「先生ッ、ハイランドの兵隊が街に入ってきてるっ!!」
 振り向いてみると、ホウアンはいつも往診用のバッグに色々と荷物を詰め込
んでいて、トウタとは違う方向から外の様子を伺っていた。
「もう…、街に入り込んでいるとは……」
 余りにも手際が良すぎる。恐らく、誰かが手引きしたのだろう。
 家の前で剣戟が行われているのが、窓越しに分かった。
 暫くすると、剣と剣がぶつかり合う音は止み、そのかわり断末魔が聞こえた。
 戦い。どちらかが敗れ、どちらかが生き残る。この法則は絶対。
 剣戟が止んで、足音が離れていった。
 それまでホウアンとトウタは、じっと息を潜めていた。ハイランドがトトや
リューベで行ったことは誰もが知っていることで。今、ここに人間がいること
が見つかれば、殺されるのは目に見えていた。
足音が離れていくのを確認して
「ハイランド兵はここを離れたみたいですね…」
「先生…、さっきの人は…」
「…………。
 今はここから逃げ出すことです。他のことを考えていては、生きていられま
せん」
 今は自分達の命がかかっている。他の事に気をかけている言葉出来ない。今
ここでぐずぐずしていても、命の無駄である。
「…・どうやら、今この辺りにはハイランドの兵はいないようです」
窓から覗いて、人影は見当たらなかった。
「トウタ、必要最低限の荷物は持っていますか?」
そう聞かれて、トウタはいつも持ち歩いている黒いバッグをぎゅっと抱きしめ
頷いた。
「一、二の三で、駆け出しますよ。一気に門を通過します。周りのことなんか
気にせず、後ろを振り向かずに走るんですよ」
そうしっかりトウタに聞かせ、トウタはホウアンの顔を見てしっかりと頷いた。
窓から外を見て、人影は見当たらない。甲冑ががちゃがちゃ鳴る音は聞こえて
こない。
 一息吸って
「一、二…」
ドアノブに手を掛ける。
「三ッ!!」
 ドアを開け放ち、駆け出す。周りのことなんか気にせず、ただあの門を通過
することを、一心に考えて走った。
後ろから足音が聞こえてくる。
 そんな事など気にせず、ただ走った。






 どのくらい走ったのだろうか?後ろから響いてくる足音をから逃げたくて、
ただひだすら走った。
 息が苦しくって立ち止まってみると、辺りは真っ暗で全く見えなかった。
 夜にミューズから出ることなど無かったから、外の暗さが不安を掻き立てた。
「…ホウアン先生……」
 無我夢中で走ったから、後ろから走ってきている筈のホウアンの姿が見当た
らない。自分ははぐれてしまったのだろうか?それとも、自分を逃がすために
追ってきたハイランド兵に捕まってしまったのだろうか?
悪い考えが頭の中をぐるぐる回って、どうしようもなく不安になってしまった。
「ホウアン先生っ!!」
 辺りを見回しても、闇が広がるだけで、全く認識することが出来ない。こん
な状況で声を上げるのは、自分の位置を分からせるだけなのに、心配で不安で、
ホウアンの名を呼ばなければ、いてもたってもいられなかった。
 名前を幾度呼んでも、沈黙しか帰ってこなかった。
「ホウアンせんせい……」
 どうしよう、どうすれば良いんだろう。今から来た方向を戻ろうか、もしか
したら、ホウアン先生が見つかるかも知れない。そう思って、ミューズの方を
振り返ってみるが、今まで暮らしていたミューズは禍々しい赤い光に彩られて
いた。
 ミューズの方を見て、どうしようか迷っていた時、自分を呼ぶ声が遠くから
聞こえてきた。
「……トウタ…!!」
目を凝らして暗闇を見ると、遠くからホウアンが駈けてくるのが見えた。
「ホウアン先生ッ!!」
 そう呼ぶと、暫くしてトウタの立っている位置まで辿り着いた。どうやら今
まで走っていたようで息が上がっていた。
「…・すいません、トウタ。…どうやら運動不足だったようで、引き離され
てしまいましたね、心配かけました…」
 どうやら脱兎のごとく駈けたトウタの走りが思っていたよりも速くて、引き
離されてしまったようだった。
 しかしトウタにとってはそんな事より、ホウアンに会えたことが何よりも嬉
しくて、気が抜けたのかへなへなへなと腰が向けて、地べたに座り込んでしま
った。
「せんせい〜…。心配しましたよ〜〜……」
「すいません。心配を掛けてしまって…。
 さて、トウタ。あまりゆっくりもしてはいられませんから、すぐにでも出発
しますよ」
今まで地面に着いていたお尻を上げて、付いた土を払いながらトウタは聞いた。
「でも先生、これからどこに行くんですか?」
「まずは、コロネの街を目指すとします。それから、サウスウィンドゥに行こ
うと思います」
「サウスウィンドゥですか?」
トウタはデュナン湖周辺の地図を思い浮かべて、たしか湖の向こう側を治めて
いる街で…・
「ミッターマイヤー殿が治められています。まずは、サウスウィンドゥに向か
うのが妥当でしょう。
 恐らく、天威さんやビクトールさん達もサウスウィンドゥに向かっているで
しょうから……」
 これ以上ハイランドの侵攻を防ぐためには、サウスウィンドゥで食い止めな
ければならないことを、戦いの生業としているビクトール達は承知の上だろう。
「大変かと思いますが、今はサウスウィンドゥを目指しましょう」
「はいっ」
 トウタもは、元気いっぱいに答えて、暗い夜道を歩き出した。


 ミューズを脱出して、夜休める場所を探しだし一夜を過ごした後、夜明けに
はトウタとホウアンは出発していた。天威やナナミ達のように体が鍛えられて
いる訳ではないので、一刻も早くみんなと合流するために、時間にゆとりのな
い彼らはぐずぐずしていられなかった。
 眠たい目をこすりながら、長い道のりを歩いていた。
「ねぇホウアン先生、コロネの街ってどんな所か知ってますか?」
トトやリューベ、ミューズくらいしかいったことのないトウタにとってはまず
第一の目的地であるコロネの街が気になってしょうがなかった。
「そうですね…・、コロネは私もそんなに訪れたことがあるというわけではあ
りませんが、湖を渡った先にあるクスクスという街やレイクウェストという街
などと交易をしていますからね、にぎやかな街ですよ。後、ラダト経由以外で
サウスウィンドに行くためには必ず通ることとなりますね」
「へ〜、そんなににぎやかなんですか」
 ホウアンの説明により早速、わくわくしていた。子どもの特権といえるもの
か事の重大さを知らず、何に対しても好奇心を持てることは良いことだろう。
 しかし、とトウタの喜ぶ様を見ながら、恐らくと思っていた。
『恐らく、ハイランドの手はもう伸びていることだろう。果たして、コロネに
着いたとしても、サウスウィンドまで行けるかどうかが、問題と言うところで
しょうか……』
と思案していると、いきなり横を歩いていたトウタが声を上げた。
「ホウアン先生ッ!!」
大声で呼ばれ、しかも服の袖を引っ張られ、トウタはとある方向を指さしていた。
 何事かと思い、トウタが指さす方を見てみると、何か黒い塊が地面にあるのが
分かった。
 一体何があるのかと、じっくりと目を凝らしてみてみると
「先生ッ、人が倒れていますっ!!」
 旅装束の人間が倒れていた。
 倒れているのが何かわかると、二人は急いでそれに駆け寄っていった。
 急いで駆け寄って、倒れている人間がまだ生きているかをまず最初に確かめた。
何といってもこのご時世だ。戦争から逃げてきて、力果て、行き倒れてしまった
など、何ら珍しいものではない。
 うつぶせに倒れている人間を起こして、息があるかを確認した。
 倒れている人間は、初老の男性で五十歳くらいで剣士であった。大剣を持って
いたことから恐らくそうなのであろう。それと、体格が見事なものであった。
 その男は、何やら呻いているようで、時折、呻き声を上げる始末であった。脈
などを計った結果、異常は見られなかったが、呻き声を上げていることからあま
り楽観視できないと判断し、急いでどこか休める場所を探して、そこでまず落ち
着けることをした。
 丁度良いところに、木が生えていたのでそこまでその倒れていた男性を運んで、
一体何の原因なのか診察することとなった。
 木にその男性をもたれかけさせて、黒い愛用の鞄から聴診器を取り出し、早速
診断となった。
 診察をしている間、その男性は苦しいのか呻き声を上げる始末だった。トウタ
は何もすることが出来ず、ただハラハラ見ているだけだった。

 暫く聴診器で調べていて、う〜んと一体なんだろうと頭を少しの間、悩まして、
ハッとひらめいた。

「あ〜、あれですね。ただの喰い過ぎですね」

と言った瞬間

「う゛〜ん、チーズケーキ…もう喰えん…」
という呻き声だった。




 暫く経って、チーズケーキを食べ過ぎて(?)倒れていた男の意識が戻った。
「いや〜、面目ない。本当にかたじけない」
そう言って、深々と頭を下げた。が、体の方は本調子でないようで、起こすこと
が出来ず、木に横たわったままだった。
「医者として当たり前のことをしただけですよ。そんなに頭を下げないで下さい」
どうやら意識はハッキリとしているようだ。
「…しかし、我々が通ったから良かったものの、あのままでしたら、確実に危な
いでしたよ。一体どうしたのですか?」
「…いや、その、立ち寄った宿屋のチーズケーキがあって…、調子に乗って直径
18pのケーキを平らげて、その上、旅の途中で食べようと買っておいたケーキを
食べたら、腹を下して……」
 何とも恥ずかしい話で…、と頭を掻きながら事の経緯を説明する。
「…………」
「け〜き、丸ごと、食べちゃった…・?」
 思わず口から出てきた内容に絶句してしまった。しかも食べた量が尋常な量では
なく、この外見の人間がよくもそれだけ甘いものを平らげることが出来るものだと
感心するしかなかった。


 教訓:人は外見によらず。

「ま、まぁ、倒れていた理由は分かりました。お薬を飲んでおいてもらいましょう」
ズレてしまった眼鏡を直しつつ、側に置いておいた黒鞄を開けて、目的の薬を探し
た。
「間違うことなく食べ過ぎなので……」
ガサゴソと黒鞄をあさる。
「『超強力下剤』。二分の一かじりして下さいね」
とにこやかに言ってのけたホウアンは、両手の中に収まる程の硝子瓶を取り出した。
中には白い粉が入っていた。
「げ、下剤ですか……」
とかなり抵抗を感じたのだが、如何せん、今の状態では動くことすらままならない
のであったので、渋々と薬を飲むことにした。
横に控えていたトウタから水筒を渡してもらい、意を決して飲もうとした時
「○らん○らいざ〜ですか?」
と、瓶に書かれたラベルをぽつりと読んだ。
「○ラン○ライザー?」
ホウアンは渡していた瓶を慌ててぶんどり、目を近づけてラベルを見てみると確か
に
「○ran○uilizer……」
 (英)いらいらした気分や恐怖心を取り除く薬。神経鎮静剤。
 マイナー・○ラン○ライザー、船酔いなどを抑えるために用いられている。これと酒を一緒に飲むと酩酊します。(注)
「……」
「…………」
「………………まぁ、人ですからね、間違いだってありますよ」
そう言って渡された瓶には、今度はちゃんとラベルに『超強力下剤』と書かれてい
た。
 そう言う問題じゃないですよ、ホウアン先生。と心の中でツッコミを入れていた
トウタ君だった。

「いや〜、かたじけない。本当にどうもありがとうございました」
 先程の事はさておき、すっかりと体調が元に戻った。
「俺の名前は、ゲオルグ・プライムと申す。しがない股旅の剣士と言ったところで
すな」
 深々と頭を下げていった。
「ゲオルグさんですか。私はホウアンと申します。こちらは、私の弟子のトウタ」
そう言って、ホウアンとトウタも頭を下げた。
「医師でしたら、ミューズで構えていられたのですかな?」
 三人。木の下に腰を落ち着けて、雑談状態に入った。
「ええ。ミューズで開業していたのですが、……ハイランドからの襲撃を受けて、
命辛々逃げていたところです」
「ハイランドがミューズに?」
「はい。以前までは休戦協定が結ばれていたのですが、…反故になったようです」
そんなわけで、ミューズが落ちてしまい、逃げてきたんです。と説明した。
「良く無事に逃げられたものですな……」
「迅速な行動が功を奏したのでしょう」
「ところでホウアン殿達は、これからどちらに向かわれるつもりなのですかな?」
「…・まずは、サウスウィンドに行こうと思っています」
「サウスウィンド? 向こう岸にある都市でしたかな?確か…、赤月帝国との戦役
の折、都市同盟軍の要となった……」
「その通りです。…ミューズが落ちたとなると、次に向かう先はサウスウィンドと
なるのが必然でしょう。ミューズの兵の方々もこれ以上、ハイランドの侵攻を防ぐ
ために、サウスウィンドに集結する筈です。ですので……」
「しかし、気まずいことを言うことになるが、間に合いますかな?」
 ホウアン自身も、一番考えていた事。今から自分達が向かったとして、行き着い
た時にサウスウィンドが陥落されていないか。
「楽観的に考えるわけではありません。恐らく、ハイランドはミューズ攻略と共に
サウスウィンド攻略のために行動していると考えて当然でしょう。しかし我々は避
けることは出来ません。そして我々は、医に携わるものとして、怪我をしている人
を手当することが役目です。そのために、戦場へ赴かなければなりません」
 医者として、人の命を助けることを生業としている人間として当たり前のこと。
「そうですな……。
 ホウアン殿、サウスウィンドまで行かれるのでしたら俺を雇いませんか?」
「???」
「助けてもらいましたからな、俺としては是非とも礼を返したい。
 しかし、俺は生憎、剣でしか生きることが出来ないのでね、護衛のようなことし
か出来ないのですが、如何かな?」
 お代は無用ですよ。とにんまり笑った。
 ホウアンはそのゲオルグの申し入れを聞き、暫く考えた。
 確かにこのままでは、無事にまずコロネに着けるかどうか疑わしいものである。
治安も悪くなっているだろう。大体、医者と医者の卵では、戦いようがないのだか
ら。
それらのことをひっくるめて考えて、
「…・そうですね。我々だけでは不安ですからね。お言葉に甘えても構いませんで
しょうか?」
「勿論。ホウアン殿、これからの道のり、俺に任せてもらいましょう。助けてもら
った恩の分、しっかりと働こう」



 (last up 2000)