「おっやぁ~~~? 珍しい組み合わせがいるもんだなぁ~~《
と深遠なる闇をぶち壊す声が二人の耳に入ってきた。
シエラは瞬間に、苦虫を潰したような渋面になり、イーヴァは拍子抜けしたように体の
力が抜け、のろのろと声のした方に首を向けた。
熊ことビクトールがそこには立っていた。
「よぅ、イーヴァ。お子さまがこんな時間まで起きていんのは、あまり褒められたモンじ
ゃね~ぞ《
「おっ、お子さま……《
ガキ扱いである。
「しっかも、相手がシエラとは一体何、話してたんだか…?《
とかなり、飲んでいるようであった。おそらく、久しぶりの仲間と飲み明かしていたのだ
ろう。
シエラは、ビクトールと同空間にいるのも嫌なのか、機嫌が悪いのを隠そうとせず、盆
を持ってその場から退出しようと、腰を上げた。
「何だよ、シエラ。もう戻んのか~~~?《
と絡んでくる。
「お主がおると、折角のワインが上味くなる。
それに…、明日は今日のようにいくまい。さっさと寝るに限るわ《
とつっけんどんな態度で、さっさと屋敷の中に入っていってしまった。
「……つれねーの《
バタンとドアが閉まる音が響いた後、外に二人が残される結果となった。
少し間が空いた。
ビクトールは少々酔いを醒ますために、夜風に当たっていて、イーヴァは膝を抱えて、
石畳に視線を落としていた。
僅かながら流れる風を体に受けながら、
「…なぁイーヴァ……《
「……何だ…?《
「お前、シエラと何話していたんだ?《
「…………《
「……無視か……《
「……お前もつれないんだねぇ…《
「……ビクトール《
「あん?《
「……あの、あのシエラって何者なんだ…《
「…………《
お前さぁ、俺の質問には答えてくれないのね…などと、思いながら、場の雰囲気からし
て、冗談を言うことが出来ないようで、どこを見ることなく話し始めた。
「…シエラ、かぁ……。お前は、どんな風に感じたんだ?《
ビクトールは見ずにそう尋ねた。
イーヴァは膝を抱え直し、顎を乗っけてぽつりと言った。
「……最初、あの場所で初めて会った時、……何も解らなかった。ただ、すごい色の組み
合わせの人だなって……。
それから、……何も解らなくて…怖かった…?のかな……。
何か、人みたいな感じがしなくて……《
あの、銀嶺城の大広間で会った時。
「…まぁ、ハズレじゃねえな……《
「…………《
「……シエラ。あいつは…、吸血鬼だ《
「……ネクロードと…?《
「あぁ。ただし、シエラは本家本元、紋章の力によって吸血鬼になった最初の存在だ。
『始祖』と呼ばれていたらしいが……《
「…『始祖』? 紋章で? じゃあ、紋章の継承者なのか…?《
「…何だ、気づかなかったのか?てっきり、気づいているんだと思ったが…《
イーヴァは首を横に振って
「何も…。天威やルックに会った時のような感じはしなかった…《
ビクトールは、ふ~んと相づちをうつだけだった。
「だが……俺も、あいつが吸血鬼の始祖で、月の紋章の継承者な事以外、詳しく知らない
からなぁ……、こいつの方が良く知ってんじゃねえのかな…《
そう言って、ビクトールは腰の星辰剣の柄を小突いた。
「…話は聞いてるだろう。イーヴァに何か話してやってくんねえか?《
夜の紋章の化身である星辰剣は、上機嫌そうな般若顔で口を開いた。
「…ビクトール……、貴様は儂をどう思っているのか…、一度じっくりと話さねばなるま
いか…《
と相も変わらず、上機嫌だった。
「うるせーな。いいじゃねえかよ、そんな堅っ苦しい事はよぉ……《
「貴様に言いたいことは山程あるが、こやつの手前、…昔話をしてやろうか…《
「我らは、貴様もそうだが、時の輪から外れた者故、時間という観念は無意味でしかない
が……、あれはもう1000年近くは生きておる《
「!?っ《
「!!《
『1000年』の言葉に、イーヴァは勿論のこと、ビクトールまで言葉を詰まらせた。
「厳密に言えば…、800数十年というところであろうが、それでも貴様には想像もつか
ないほどの永い時を生きている……《
「…ちょっ、ちょっと待てハルモニアのヒクサクですら、460ちょいだ…《
「…………《
「……今までの間、あれにも色々なことがあったであろう……。
小僧、あれも『紋章』の主となる前は、貴様と同じように己の『紋章』を畏れていた…《
「貴様の『紋章』は魂を屠ることで、力を得る。
あれの『紋章』は人の生き血を啜ることに悦を感じ、啜り力を得る。
人であった者が、人の血を啜る欲求を覚えるのだ、あれは吸血鬼になり果てる前に、己
を畏れ、深き森に己を封じた。
ただでさえ、女は月の影響が顕著に現れるからな……《
月の狂喜にも染まりやすいだろう……。
「じゃぁ…、今まで彼女は独りだったのか…?《
「否、400年以上前までは、多いとは言えぬが同族はいた。まぁ、小さな村が出来るぐ
らいだが……《
「……その後は…?《
「今から400年前に、貴様も知っているネクロードが『月の紋章』を奪ったことにより、
あれを残して全て死滅した。
…死を免れるために、『吸血鬼』に身を堕とした者も僅かながらいたが、それもまた、
あれの手によって皆、陽の下に還った……《
『孤独はわらわにとって、良き友人よ……。
我が同胞ですら、わらわをおいて皆逝ってしもうた……』
「あれは、死ねぬ存在よ。ただ生きることを要求されたのやもしれん…。
『始祖』であるが故、あれは『紋章』が無くとも、『上老』でいる。
そして、『吸血鬼』であるが故、限りなく『上死』に近い……《
そう言って、星辰剣の昔話は終わった。
彼女の1000年近くの生。僕には何も言うことなど出来なかった。想像など出来るモ
ノではないのだから……。
僕と同じように、時の輪から外れた存在。でも、僕は『人間』で、彼女は『人ならざる
モノ』だった。
彼女の孤独。たった独りのこの世の存在。二度の孤独。
少女の姿をした彼女は、変わらぬ姿で千年の孤独を纏っていた。
星辰剣の昔話が終わって、二人の周りには沈黙の檻が敷かれた。
無知であった自分の言葉が、彼女をどれだけ嘖んだことか……。
テッド以上に、レックナート以上に時に置き去りにされた彼女に対して、自分という存
在が判らなくなっていく……。
「…イーヴァ《
ビクトールの低い声が耳に響く。
「…………《
「……シエラがお前に対して、何を話していたのか知らんが、多分、こう言いたかったん
じゃねえのかな……。
……何の因果か知らんが、お前やシエラは紋章の継承者なんぞになっちまった…。
俺からはそのことがどんなに辛いことか、見当もつかねえ。
でも、シエラみてるとな、あいつ、結構楽しくやってってるんだよな。
それ見てて、生きていればなるようになるもんだって……。
生きてさえいれば、やり直しがきく。また何かに挑戦することができる。
前に進むしかないんだよ。俺達も、お前も……《
そこんとこ考えてみるんだな、そういって、ビクトールもまた、重い腰を上げて、屋敷
へと向かっていった。
生きているという事実。自分にとっては当たり前のこと。生きていなければ、自分は今
この場に存在しないだろうし、このように頭を悩ますことも、考えることもないだろう。
自分にとって、生きているということは何よりも大前提であるため、意識することなど
無かった。
だが、人が『生きている』と認める要素を持たない存在。
かりそめの生を持つ闇の眷属。
彼女にとって、欲しても得ることが出来ない、真実の生。
人はそれを持ち、彼女は得ることなく、かりそめであることを認めて、生きてゆく。
僕は生きている。かりそめでない真実の生を持ち。
でも僕は、彼女より生きるということに対して、無関心であった。
当たり前であったから。
僕以上に彼女の方が、『生きていた』。持っていないから。得られないから。
僕は死んでなんかいない。生きている。
だから、
彼女の『生』を、汚さないために、僕は……。
次の日は見事に快晴で、雲一つなく清々しい気分になった。
イーヴァを新たに入れて、天威達はまず一旦、城に戻ってからグリンヒルに向かうべく
バナーの村へと続く森を進んでいた。
パーティーは、前衛イーヴァ、天威、ビクトール、後衛シエラ、ナナミ、アイリと、前
後で男と女が見事に別れた隊形となった。
まだ朝靄が晴れぬ森の中を進む一行。
互いが思い思いに歩いている中で、声が降ってきた。
天威やビクトール達は前を歩いている。ナナミとアイリもそれに続くカタチとなってい
た。二人は、少々、その一団と後ろに離れた位置をのんびりと歩いていた。
「……何じゃ…。現金な奴じゃのう。先日まで、曇っておった輩が、今日になってみれば、
この空のように晴れおって…《
と腕を組みながら、つまらなそうに声をかけたのだった。
振り向きながら、歩きながら、
「……吹っ切った訳じゃないですよ。
ただ、…少しだけ、一歩だけ前に出てみただけですよ。
根本的なものは、何一つ解決してません…《
「当たり前じゃ。
お主のような輩が、そう簡単に問題を解決してしもうたら、わらわの立つ瀬がなくなる
ではないか。
精々、嫌になるほどじっくりと、悩み、解決すればいいのじゃ。
生憎と、答えを出すための時間と暇は、あるのじゃからな……《
「……そうですね。…でも、シエラよりは早くに答えを出したいと思ってますよ…。
人生を謳歌したいですしね…《
「ふんっ、言いよるわ。小僧めが《
そういうと、お互い、自然に笑みがこぼれ、クスクスと声を出して笑った。
イーヴァはそれから、天威達の後を追い、走っていった。
シエラはそんなイーヴァや天威の後ろ姿を見ながら
「……ほんに、答えが早く見つけられるほど、良いことはないわ…。
じゃが、わらわとて、未だ、答えを出し切れておらぬ……。
答えを出し、紋章から解放されることを祈るほかは、なし…か…《
シエラもまた、歩みを早め、天威達の後を追った。
空は高く、罪作りなほど、蒼く澄み切っていた…………。
(last up 2001) ←