その日俺は、アンヌに用があって長い間、酒場にいた。
結構長かったと思う。
外はとっくに暗くなって、賑やかだったはずの酒場は静かに収まっていたから。
用が終わって部屋に戻ろうとして、振り向いていたら酒場が似合わない子がいた。
窓際のテーブルに一人。ジュースのグラス一つ。
ただ黙って座っていたのは、ビッキー。
いつも瞬きの鏡の前に立っていて、テレポートを快く引き受けてくれる彼女。いつも
笑っていて、何気ないことでも笑ってくれてるビッキーは、今はそうではなかった。
ただ、座ってる。ジュースが温くなることもお構いなしに。
どうしたんだろう。何か、聞いた方がいいかな。
…って思って近づこうと思ったら、一人、入ってきた。
俺は何とはなしに、ここに俺がいることがいけないような気がして、カウンターを蹴
って、中に滑り込んだ。
アンヌには文句を言われたけど、当然だけど、ちょっと少しの間、ここにいさせても
らうよう、頼んだ。
「ビッキー…、ここにいたんだ」
そう声をかけたのは、長身の青年。竜の翼をあしらったサークレット。初めてあった時
は十一才の時で、騎竜ブラックを失った時。今は新しい騎竜を手に入れている。
「フッチ君……」
少し反応が遅かった。
フッチはにっこりと笑ってカウンターにまず足を運んで、強めの酒を頼んで、ビッキ
ーの隣に腰を下ろした。
「いつもの場所にいなかったから、どうしたのかなって思ってさ」
大体、いつだって鏡の隣にいただろ、そういうフッチの顔は何か寂しげだった。
「ちょっと、ね。
それに、多分、今は私そんなに必要じゃないだろうし。
だって、前とかこういう時って大体、テレポートは必要じゃないもん…」
……前って、何時のことだろう。ビッキーとフッチさんって、知り合い、なのかな。
でもフッチさんって、かなり年上で、ビッキーは俺と同じくらいだけど。どうなんだ
ろう。
「そうだな。大体、こういう時期って忙しいのは軍師とか上の人とかだもんな」
マッシュさんや、シュウさん達。過去の記憶で常に忙しく動き回っていたのは、そんな
人物だった。眉間にしわを寄せていた姿が目に浮かぶ。
グラスに注がれる紅いワイン。
かなり渋みのきつい、上物のカナカン産ワイン。昔一度、ハンフリーさんとビクトー
ルさんが呑んでいるのを呑まさせてもらったことがある。あの時は渋くて渋くてしょう
がなかったけど、今は、その渋みが美味しかった。
それだけ、自分も年をとった……。
「隣構わないかしら?」
上から降ってきた声に振り向いてみると、ロックグラスとウイスキーの瓶を持ったア
ップルが立っていた。
「アップルちゃん…」
「どうぞ、空いてますから」
そう聞くと、アップルは普段では考えられないような雑な形で腰を下ろした。
グラスに酒を注ぐと、一気に煽った。
「アップルさん、大丈夫なんですか?」
一息ついたアップルの顔は、酒の所為でほんのり赤みを帯びていたが、意識は明瞭な
ものだった。
「平気よ、これくらい」
そう言い放つと、またグラスに酒を注いでいた。
困った。出るに出られない状態になった。どうしたんだろう。
アップルさんまで。
今日は、朝から仕事に追われていたのを記憶している。シーザーと一緒にいろんな人
に指示を出していた。
仕事が一段落ついたのかな。
「……やってらんないわよ」
唐突に言い放った言葉。
「……」
「…アップルちゃん、お仕事大丈夫なの?」
「強引に終わらしたわ。それに、シーザーもいるしサロメ殿もいるし。現役引退した私が
そう何でもかんでも、出しゃばるわけには行かないから。
でも実際は、もう少し仕事を終わらしたかったけど、どうしても、もう進まなくって」
グラスに口を付ける。でも今度は、煽るのではなく、適量を。
グラスに注がれたウィスキーは、部屋の室内灯を映し、ゆらゆらとゆらめいていた。
三人は三人とも口をつぐんだまま。重苦しい雰囲気が酒場を支配していた。
何か、あったのかな?三人とも。でも、何かあったっけ?
ハルモニアの仮面の神官将が誰か判って、ササライさんがとりあえず協力してくれるって
事になって、大忙しになって……。
「どうしてなのかな。何でなのかな」
「何でだろうね。それ以外に手段はなかったのかな?」
「どうしてなのよ。何でなの。手段はあったはずよ。今までがそうだったんだからっ」
口から出てきた言葉は、疑問の言葉。でも答えは必要とされていない。
「どうして……。何でかな…、何でこんな事になっちゃったんだろ」
「…………」
「何で、何でルック君…。こんな事になったちゃったの……」
零れたのは言葉と涙。
ルッククン?
ルック、ってあのルックのことか?
何だよ。何でだよ。何でそんな顔するんだよ。
あいつはカラヤの村を焼いて、この戦を起こして、紋章を奪おうとする奴なのに、何で!
何で!!何でそんな顔するんだよっ!!!
「…ホント、やってらんないわ。 平静を保つのが精一杯だったもの」
「……。一言、何か、何でも良いから、言ってくれればいいのに」
「何で一人で決めちゃったの。私達、私達、仲間なのに。
一緒に戦ったのに」
私達って、そんなにもどうでも良かったのかな?私はそうじゃなかったのに…。
「色々と戦ってきて、色々と策を立ててきたわ。軍師ですもの。当然だわ。
『軍師たるもの、何時いかなる時であれ、冷静であること』
……、今回ほどこの事が辛い事ってなかったわ。
『仲間』なのにね。
『仲間』を私達、殺さなきゃならないのね……」
また、一息でグラスを煽る。
「……、ずっと、いつも黙ってて、本当に必要でない限り話さなくって、話した時も、人を
見下したような感じで、喋るのも面倒くさいのを隠そうとしない……」
実際、本当にルックには腹立てていたよ。あの横柄な態度には。
「でも。それでも、僕たちはあの戦争を共に戦った」
変わることのない絶対の事実。自分達だけの真実。
仲間だったって? 何だそれ。だってアップルさん。アップルさん。
だって、アップルさん何事もなかったみたいに、全く関係ないって顔して、話をしていた
じゃないか。
ビッキーは、フッチさんは……。
あの時、軍議の時……。確か……、
話を少し聞くなりで、部屋から出ていったんだ。
何かから背けるように。
ボトルの中身は半分を過ぎて。
「私達は仲間よ。どんな時でも、どれだけ時が過ぎようとも。イーヴァも、天威も、それを
どんなことがあろうとも、覆るものじゃない」
「私達、どうにもならないのかな」
「わからない。でも、ルックのしたことは許されるものではないよ」
彼の行った所行。過去、彼らが倒してきた人間と同じ事を犯してしまった彼。
そしてその結果は、余りにも明白。
「…………」
「なら、私は祈るよ。ルック君が赦されることを。
私は、戦うことになっても、倒すことになっても。それでも、ルック君の敵にはならない」
一〇八の星に祈る。彼を、彼の救いを。
コト…とグラスをテーブルにおく。
「……そうだね。僕たちは敵になってしまったけど、全く反対の道を歩くことに
なったけれど、それでも、僕たちが『仲間』であることには、何ら変わりはないよ」
「たとえこの世界が、全ての人が彼を罵り、彼を呪い、彼を責めて、世界が敵になっても私達
は、彼の『仲間』ね。それは変わることのないこと。
私達だけは……」
過去に戦った仲間。
だからって、でもあいつは……。
「さて、そろそろお開きにしないとね。明日がやばいわ」
「大丈夫なんですか?それだけ呑んで?」
「ビッキー達がいなかったら、本当に呑んだくれているところだったわ。
まぁ明日どんな状態になってるかはわかんないけどね」
「アップルちゃん、フッチ君…………。
私達は、私達だけは…ルック君の仲間でいようね」
静かに硬く頷いて、会は閉まった。
アップルさん達は、明日から何事もなかったように戦うのか……。
そして俺は、そんな三人に戦うよう言うのか。
それでも、どんな理由か知らないけど、俺は……。
(last up 2002)